生まれ変わりの真実
その頃から、あまりまわりと話をしなくなった。暗くなったと思われていたかも知れない。表情も変わったように思う。それまでは毎日のように鏡を見ていたのに、鏡を見るのが怖くなった。自分では理由が分からなかったが、今から思うと、次第に変わっていく自分の顔を見るのが怖かったからに違いない。
だが、そんな美由紀も自分がレズビアンであることを次第に忘れて行くようになる。
きっと真性のレズビアンではなかったからだろう。誘惑を受けて、レズビアン行為に一度走っただけで、普通であれば、レズビアンであることを恥かしく感じ、ジレンマに陥るはずなのに、美由紀は、自分が「目覚めてしまった」と思ったのだ。
――恥じらいがあってこそのレズビアン――
そう思ったことで、レズビアンであることを忘れていった。忘れて行ったと言っても、まったく記憶から抹消していったわけではなく、自然に消えていったものだ。忘れて行く中で、ホッとした気分半分、残念な気分半分であった。やはり相手がいなければ成立しないこと、相手を探すのも大変だし、自分が男役だと思っていることで、女性の中には、美由紀の視線を、気持ち悪いと感じていた人も少なくなかったに違いない。
レズビアンであるという意識が薄れていったからと言って、美由紀が男に走るということはなかった。しばらくは、孤独の中にいた。自分から飛び込んだ孤独の中ではなかったが、訪れた孤独を甘んじて受け止めていた。決して居心地の悪いものではなかった。なかなか見つからない相手を捜し求めていたことから比べれば、気は楽だったからだ。
相手を捜し求めている間も孤独だったはずだ。それでも目的があれば、孤独を感じることはなかった。今となって思えば、顔が真っ赤になってしまいそうな羞恥に打ちひしがれてしまいそうな探し人であったが、その時は、それなりに前を見ていたはずだ。前を見ていれば、孤独を感じることなどない。また孤独を感じたとしても、孤独を嫌なものだとして受け入れることなどないだろう。
孤独という言葉を考えると、まわりから、自分の内側に向かって入り込もうとしている力を感じる。孤独は力であり、感覚ではないというのが、美由紀の考え方だ。だから、気の持ちようで、どうにでもなるのではないかと思い、場合によっては、孤独を楽しむこともできるのではないかと思うのだった。
考えてみれば、美由紀は今まで、絶えず誰かを捜し求めていたような気がする。その中で、孤独な期間もあったが、孤独が寂しいと思っていた時期はそれほどなかったような気がする。気が付けば孤独から抜けていて、孤独だった頃を思い出すと、寂しかったという感覚がほとんどなかったことに気付いたのだった。
「忘れていたはずのレズビアン」
しかも、晴子の夢では、自分の方が女性役だった。
いや、記憶しているのが女性役を演じていた時だけで、自分が責めていた時間もあったのかも知れない。ただ、責められ役など今までに感じたことはなかった。相手が男性でなければ、自分を責めたとしても、感じることなどないと思っていたからだ。
美由紀の見た夢の中での晴子を思い出そうとしたが、思い出すことはできなかった。今、最初にレズに目覚めた時、そして鈴音に続く自分の性癖の生い立ちを思い出しているうちに忘れてしまったのだ。
――そんなつもりではなかったのに――
過去のことを思い出したために、晴子との夢を忘れてしまうなど、思いもしなかった。美由紀は心の中で、
「しまった」
と呟いている。呟きながら、再度思い出そうとしながらも、思い出せない自分の気持ちが次第に強くなっていくことを自覚していたのだった。
晴子を鈴音が恨んでいることを知ったのは、鈴音の部屋に初めて入った時だった。
確かにこじんまりとしていた部屋の中で、どこか、他の人にはない。いや、女性ではありえないような雰囲気が感じられたからだ。それは女性にしか分からないもので、しかも、同じ感覚を持つ人でないと分からない、
――ひょっとして、私も誰かを深く恨んでいるのかしら?
そう思うと、今までに孤独という意識が薄かったのも頷けた。誰かを恨むことが生きがいのようになっているのであれば、孤独感も前向きな考え方だと言えるだろう。ただ、そのこと全体を含めると、後ろ向きな考えなのかも知れないが、立っている方向に向かって正対していれば、すべては前向きな考え方になってしまうに違いない。
深く恨んでいる人が、誰なのか分からない。ただ恨んではいけない人を恨んでしまったことで、恨んでいること自体を、自分の中で押し殺しているのかも知れない。
そんな人がいるとすれば、美由紀にとっては、父親ではないだろうか。
美由紀の考えていること、子供の頃などは、美由紀がしてみたいと思ったことをことごとく握り潰されたと思っていた。
父親は、公務員で、厳しい人だった。
公務員だから厳しいというわけではなかったのだろうが、いろいろなことに厳しかった。時間に厳しい人ではあったが、それは美由紀も同じだったので、時間に厳しいことに対しては、さほど気にならなかったが、それ以外では、ことごとく反対された記憶しかない。
友達の家に、皆で泊まることになった。それは遊びに行って、子供同士で盛り上がったことで、自然とそうなったのだが、皆家に連絡し、許可を得ていた。
中学生の頃のことで、友達の少なかった美由紀が、参加したのも、その時お正月で、特別な日だったというのが、その理由だった。
皆、許可が出る中、美由紀だけが、
「バカなことを言うんじゃない。帰ってきなさい。車で迎えに行くから」
と言われて、強制送還されてしまったのだ。
その時の情けなさといえば、今思い出しただけでも、身体が震える。羞恥に対して、さほど感じない美由紀なのに、その時だけは、怒りと情けなさで身体が震えた。羞恥に対してあまり恥かしさを感じないのは、この時の経験で、感覚のどこかがおかしくなったのかも知れない。
感覚は感情によって左右されるが、感覚で一番大切なものは、バランスなのかも知れない。
「精神と肉体のバランス」
「明るい部分と、暗い部分のバランス」
いろいろバランスもあるが、総合的に本人に対してどう影響するかで、感情の感じ方が変わってくるはずだ。
その時の憎しみは、当然父親に注がれる。
「どうして? 皆泊まることになってるのに、私だけが?」
どう考えても、自分に対する「苛め」としか思えない。理由もなしなんて考えられるはずもない。
「相手のおうちにも家庭があるんだ。家庭のリズムを崩すことはできない」
「え? 私だけじゃないんだよ?」
「お前は、皆がするといえば、殺人だってするのか?」
「何言ってるのよ。するわけないでしょう」
「それと同じだ」
理不尽だと思った。だが、確かに父親のいうことに一理もある。だが、自分一人だけが帰ってきても、結果は変わらない。事実だけを見れば。これほど理不尽なことはない。
――じゃあ、私の気持ちなんて、どうでもいいの?
本当はここまで聞きたかったが、言葉にすれば、平手打ちが飛んでくる気がした。きっと、
「それはお前のわがままだ」
と、言われるに決まっているからだ。