生まれ変わりの真実
あくまでも部屋は自分の城であり、他の人が入り込むと、今まで抱いていた信念が、揺らいでしまうと思ったからだ。
どうして揺らぐことを嫌うかというと、自分の信念というものが、ハッキリと分かっていなかったからである。少しの揺らぎがあるだけで、どれほどの影響があるか分からない。そのため、自分の中に戒律を作り、破らないようにすることが必要だった。美由紀は、クリスチャンでも、どこかの宗教の門下生でもないが、戒律という考えには深い思いがあったのだ。
鈴音は、美由紀が守ってきた戒律を、あっけなくこじ開けてしまった。最初に部屋に連れてきた時、激しい後悔に襲われた美由紀だったが、鈴音の顔を見ていると、
――この娘にだけは、戒律を無視してもいいかも知れないわ――
と思うようになった。
一人に対して破ってしまっては、その時点で戒律ではなくなるのに、今でも美由紀は、鈴音以外の人を部屋に入れない限り、戒律を守り通していると、思っているのだった。
戒律を定めたのは、離婚してからだったかどうかすらハッキリしない。そもそも戒律という意識もなく、漠然と考えていたことを、ある時から、戒律と意識したのだ。それは何か夢を見た時だったように思ったが、それがどんな夢だったのかまでは思い出せない。美由紀にとって、夢を見るということは、何かのターニングポイントに必ず引っかかっているように思えてならなかったのだ。
最初に鈴音の部屋に入った時、少しビックリした。自分の部屋と、すっかり違うからだ。自分の部屋は、綺麗に片づけている。そのことが自分の中での自慢であり、人に言いたいと思う数少ない感情だった。片づけも全体のバランスを考えていて、一目で、綺麗に片付いていることが分かるのだ。
それなのに、鈴音の部屋は、逆に、適当に散らかっていた。
いつも自分の部屋を見ているので、どう見ても、汚く見えてきそうだった。
だが、それを感じたのは最初だけで、次に感じたのは、
――おや? 綺麗じゃないのかしら?
という思いだった。瞬きの瞬間に、位置が変わってしまったのではないかと思えるほどで、そんなことは考えられるはずもない。目の錯覚でしかないのだ。
――では、なぜ目の錯覚を起こさせたのか?
それは、部屋がこじんまりと片付いていることに気付いたからだ。
こじんまりと片付いているのに気が付くと、今度は部屋が少し狭くなったように感じられた。だが、それでも美由紀の部屋よりも、少しだけ広く感じる。部屋のバランスを重視しているわけではないので、広さに関しては、自分で感じているよりも次第に変わっていくのも分かる気がする。
自分の部屋をバランス重視にした理由も、
「部屋をいつも同じ広さに感じていたいから」
というのが、本当の理由だったのだ。鈴音の部屋を見て、そのことをハッキリと知った気がした。
部屋を不動の大きさにするのは、それだけ部屋に一人でいるのが怖いからなのかも知れない。
もし、部屋の大きさが違ってくれば、中にいる自分の感じる空気が圧迫されたり、薄くなって、息苦しくなったりするはずである。それがないのは、やはり部屋を一定の広さに感じたいという思惑があっての間取りやインテリアなのである。それも当然のことだと言えないだろうか。
鈴音の性格と、美由紀の性格の一番の違いが、そのあたりに含まれているのだろう。
部屋の大きさの違いに気付いた時、同時に、鈴音が神経質であることにも気付いた。
几帳面であることと、神経質なことは少し違っているが、神経質な鈴音が、洋三のような男を好きになり、その洋三が違う女に走ってしまったことで、精神的に少し乱れてしまったことも頷けた。
見た目は明るそうで、人当たりもいい鈴音だった。根は神経質で嫉妬深い性格。最近、自分が淫乱ではないかと気付いた美由紀から見れば、鈴音も美由紀に負けず劣らずの淫乱ではないかと思えてきた。
それも勝手な想像なので、ハッキリと分かったわけではないが、それでも、状況を聞いているだけで、頷けるところは随所にあるのだ。
そんな鈴音を見ていると、洋三のことをどこまで本気なのかが疑わしかった。好きな男性に対する態度は、美由紀の場合と少し違っていたからだ。美由紀は好きになると尽くすタイプではなかった。どちらかというと、相手に自分のことを理解してもらい、そしてお互いを高め合うというような、それが大人の関係だと思っていた。
だが、鈴音の場合は、完全に相手に尽くすタイプで、自分を押し殺してでも、相手に尽くしたいと思っている。そこに無理があるのは、見ていて分かる。鈴音は自分に自信がないのだろう。
小心者と言ってもいいかも知れない。部屋が狭く感じられるような片づけ方には、大胆さが感じられない。几帳面なところがあり、しかも神経質に感じるのは、そんなところから性格が分かるからだ。
だが、美由紀は、そんな鈴音を羨ましいと思ったこともあった。
鈴音は、何年か前の美由紀に似ているところがある。今、美由紀は、
「できることなら、数年前くらいからやり直したい」
と思っていた。
ただ、この気持ちは定期的にやってくるもので、もちろんやり直すことなどできるはずないことを分かった上で、まるで、ないものねだりをしているかのようだった。
それでも、すぐにその気持ちは打ち消される。
まず、一体どの時期まで遡るかということだ。数年前などという実に曖昧な表現しかできないのは、それだけ、遡る時期が分からないからだ。特に美由紀の場合は、過去のことを鮮明に覚えているわけではない。それが時系列となれば特に曖昧で、時系列が曖昧だからこそ、余計に思い出すことが困難になるのだ。
そのことを意識しているからなのか。美由紀の中で曖昧な記憶を呼び起こそうとすると、どうしても淫乱な性格をともなってしまい、最近では、迫丸の夢を見たり、晴子の夢を見たりしたのだ。
――それにしても、どうして、晴子に対して淫靡なイメージを浮かべてしまったのだろう?
晴子は、それほど、美由紀に近いイメージではなかったはずだ。迫丸も嫌なイメージしかなかったが、インパクトは強かった。いきなり思い出したというわけではなく、燻っていた厭らしいイメージが、美由紀の中で爆発したことで見た夢なのだろう。
晴子も、同じ理由で夢に見たのであれば、晴子は、
――静かに燃える思いが燻っていたのだ――
ということになるのだろう。
静かに燃えるというのは、まるで、墓場の中で見る、ひとだまのようなものではないか。映画などでは効果音があるが、本当に墓場で見るのであれば、効果音など必要ない。下手に効果音があると、ウソっぽく感じられ、シラケてしまうことだろう。薄青さが真っ暗な中で、明るすぎず、それでも十分目立って見えるのは、本当に不思議な感覚だ。実際に燃えているのを見たことがないので、本当に映画で見るような色なのか分からないが、ひょっとすると、そこには多分な着色が含まれているのかも知れない。
美由紀は、高校時代、
「私って、レズビアンなんじゃないかしら?」
と、感じたことがあった。