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短編集30(過去作品)

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 楽天的な性格といっても、いろいろなことに気付かない鈍感なタイプということではない。いろいろなことに気付いていてそれでも気にならない性格、それが楽天的な性格というのだろう。私の場合、気付くところは結構気付く。特によく知っている人が、普段しないようなことをしたりすると気が付くもので、それを問題にするかしないかは、その時の精神状態によるのだろう。
 しかし、その時に、
――とてもおいしく新鮮なのだが、よく知っている味の気がして仕方がない――
 と感じた。
 冷え切った身体で食べる熱い豚汁。この味を忘れられない。いつも食べているような感覚になるのはそのせいではないだろうか。
「おいしいでしょう?」
「ええ、とてもおいしいです。まるで毎日食べている味のように感じますね」
「そう言っていただければ嬉しいですよ」
 舌鼓を打ちながら、香りも同時に楽しんでいた。身体の奥から温かさが沁みだしてくるようで、眠気を誘うような心地よさがあった。身体が室内の温度に徐々に馴染んでくるようで、指の先の感触がカサカサしてきた。
――痺れているような気がする――
 と感じたが、その時に男性が話し始めた。
「そういえば、この間も同じように雪の中を車が故障したとか言ってやってきた男の人がいたなぁ」
「ええ、そうですわね。あれはいつのことでしたっけ?」
「そういえばいつだったかな? 少し前だったような気がするが、昨日のことと言われると、そんな気にもなるし……」
 そう言って、二人で話しているのを聞いていた。私が口出すのを控えたのは、何となく気持ち悪さがあったのと、早くその先を聞きたかったので、話の腰を折ることを控えたかったからだ。
「あの時も同じように、雪の日だったんです。その時やってきた男も豚汁を食べて泊まったのですが、あの時はどんな話をしたかな?」
「男性の仕事の話が多かったのではなかったですか。私にはよく分かりませんでしたよ」
「だけど、それもあまり長くは続きませんでしたね。男性は疲れていたのか、すぐにお休みのようでしたからね」
 確かに表から冷え切った身体でやってくれば疲れていても仕方がない。しかもこの部屋のように暖かく美味しい香りを含んだ湿気があれば、それだけで、気合が抜けて一気に疲れが出てくるというものだ。
「でも、あの人どうしたんでしょうね?」
 女性が呟くように言った。すると横で男性が、少し顔をしかめるような表情を作って、女性の顔を覗き込んだのを、私は見逃さなかった。
「どういうことですか?」
 初めて私が口を挟んだ。挟まなければいられなかった。
「翌日の朝になると、男の人はいなくなっていたんですよ。車もありませんでしたしね」
「まるで夢を見ていたみたいな感じですね」
 女性が横から付け加えた。
「ですが、確かに男の人はいたはずなんですよ」
「何か残っていたんですか?」
「ええ、表の雪は翌日も解けていなかったんですが、そこにはクッキリと車のタイヤの跡が二本、残っていたんですよ。翌朝には凍りついていて、前日から降りしきった雪のために……。夢だったら、タイヤの跡が残っているはずありませんからね」
「何とも気持ち悪い話ですね」
「そうなんですよ、タイヤの跡が残っていなければ、きっと夢だったと思うでしょうね。私も家内も、お互いに自分だけが見た夢だと思って話題にもしないでしょうから」
 それはそうだろう。特にそんな気持ち悪い話、誰が好き好んでするだろうか、残っていたというタイヤの跡が何を暗示しているのか、何かを訴えているのではなかろうかとも感じる。
 そういえば私にも睡魔が襲ってきている。指先のカサカサが本格的に指の痺れを感じさせ、完全に室温に身体が馴染んできていた。急激に暖かさに馴染んだ身体は、完全に空気と一体化しているように感じ、そのまま夢の世界へと誘うのだろうか。安心感が疲れを誘発し、睡魔へと変わってしまう。風邪薬が効いてきた時のように、頭が重く、耳鳴りだけが聞こえてくる。
 もう、夫婦は何も話していない。以前の訪問者が消えた話を聞いていると途端に睡魔が襲ってきたのだ。まるで催眠術に掛かったかのように重くなる瞼。いつの間にか話題もなくなり、静寂の中、意識が薄れてくる。
 目の前が少しずつ暗くなってくるのを感じる。このまま目を瞑ってしまうと、きっと眠ってしまって、瞼を開けることができなくなるだろう。かといって瞼を閉じなくとも、意識は完全に飛んでいた。目の前をクモの巣が張っているかのような感覚に、貧血で倒れた時の思い出がよみがえる。
 小学生の頃、あまり身体の強い方ではなかった私は、朝礼の時など、しょっちゅう貧血や立ちくらみを起こし倒れていた。そのまま気がつけば保健室で寝ていたということもあったが、気絶する前の感覚はあまり覚えていなかった。しかし、それでも、同じような感覚に陥ると、気を失うまでの過程がしっかりと思い出され、目の前に張ったクモの巣、指先のカサカサからやってくる痺れ、すべてが貧血を暗示していた。
 意識を失いかけていく中で、
――このまま気を失ってはいけない――
 と、もう一人の私が話しかけているように感じる。理性を保ったまま、まわりを見ると、そこには老夫婦が私を覗き込んでいる。
 表情は変わっていない。心配そうに覗きこんでいるわけでもなく、相変わらずニコニコした表情である。私だけが気持ち悪さを感じているが、周りから見ていて心配するほどではないのだろう。
 しかしそのうちに罪のない笑顔だと思っていた老夫婦の顔に、不敵な笑顔が浮かんだように見えた。唇が怪しく歪んでいる。ゾッとするほどの気持ち悪さを感じたが、
――おや? この顔は――
 思わず、気を失いそうになるのを必死で我慢しながら見つめた。きっと目はカッと見開いていたに違いない。
 目の前にある怪しげな笑顔に見覚えがあった。他の人に浮かんだ不敵な笑顔ではなく、明らかに老夫婦に感じたものだ。しかも、ごく最近見たものであって、遠い記憶ではないのだ。
――それこそ、夢で見たのだろうか――
 実に不思議な感覚である。普通だったら、睡魔に勝たなくて、そのまま眠ってしまえばよさそうなものを、その時に限っては睡魔に負けるのが怖かった。まるで雪山で遭難してしまって、
「起きろ、このまま眠ったら死んでしまうぞ」
 と言われているような感覚すらあった。
 どのくらいの葛藤があったのだろうか、所詮、睡魔に勝つことなどできるはずもなく、そのまま眠ってしまったようだ。夢の中で私は老夫婦を見ていた。眠っている私を覗き込んでいるようである。
 夢の中で感じたことは、私が老夫婦を知っているということだった。知っているというよりも以前に出会ったことがあるという程度だが、老夫婦は私に、語りかける。
「あなたのことは、ずっと以前から知っていましたよ。あなたは気付いているかどうか分からないんですけどね」
 どうして私がそれを夢だと感じたのか……。それは二人の存在が薄いからだったようである。
――薄っすらと後ろが透けて見えている――
 そんな感じが見受けられたのだ。
 老夫婦は私の見ている間に消えてしまいそうに感じた。意識が朦朧としてくる中、相変わらずの笑顔を見せている。
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次