短編集30(過去作品)
老夫婦を前にも見たことがあるように感じていたが、その時にも、
――前にも会っていたような気がする――
と思ったような気がする。
時間が繰り返しているのだろうか?
それとも前に会ったという記憶だけが残っていて、他の記憶がすっかり消えているのだろうか?
いや、あるいは目に見えぬ力によって消されてしまったのだろうか?
いろいろな憶測が頭を飛び交っている。
しかし、今回は胸騒ぎのようなものがあり、それが、
――もう老夫婦と二度と出会うことはない――
という予感めいたものを思い起こさせる。
繰り返していた時間が正常に戻るのであれば、それでいいのだが、老夫婦を見ていて感じた影の薄さが気になるのだ。
目の前をクモの巣のような闇が支配し始めている。闇が完全に漆黒になってしまうのが恐ろしい。
――夢なら早く覚めてほしい――
と感じるのも無理のないことだった。
老夫婦は完全に私を知っているようだ。さっき、前に泊まった人物の話を私にして、わざと意識させたようにも思える。
本当に老夫婦に会ったという感覚を今日初めて持った。しかしもう二度と会うことがないように思うのも皮肉なことである。
車の中から見た雪景色、本当にあれは今日の雪だったのだろうか?
今日という日に疑問を感じてきたのである。
昨日の自分の行動を思い出そうとすると、ヘッドライトにあたる雪を見ている時のように、遠近感がなくなっていた。
――そういえば、満タンだったはずのガソリンがまったくなくなっていたではないか――
まるで昨日のことが思い出せない。思い出そうとするのだが、今度は過去のことすら思い出せなくなりそうだ。
ガソリンがなくなっていたこと、これは私に昨日という日、いや、過去というものが本当に存在するものなのかと、不思議な感覚に陥らせる。
過去というものはあくまで自分があって、そのまわりにいる人の存在で形付けられるものだ。老夫婦の影が、今日は完全に薄く感じた。記憶の中にある老夫婦はもう少しハッキリとした印象である。その影が薄くなった……。
――私の過去が消えつつあるのだろうか――
何を根拠にと言われると困るのだが、自分に夢を見ているという自覚があるからかも知れない。
「田舎街で老夫婦、静かに息を引き取る」
というような記事が新聞の片隅に載り、それを何も考えることなく読み流している自分を見ている夢だった……。
( 完 )
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次