短編集30(過去作品)
実際に門構えはしっかりしていて庭も広そうなのだが、田舎であればこれくらいの家は普通なのだろう。屋敷と言ってもいいくらいだが、裏には大きな山が聳えていて、そのせいで大きな家に見えるだけかも知れない。
車を止めて中を覗いてみると、ちょうど縁側に面したところから明かりが漏れていた。蛍光色に漏れていて、結構中が明るいのが分かる。影が二つ見えるが、それほど大きくないことから老夫婦のような感じである。あたりを照らし出す明かりのおかげで庭を一望できる。奥の方には小さな池があったりして、さながら小さな日本庭園と言ったところだろう。
ゆっくりと門を入ると、入り口まで敷石が繋がっている。小さい頃に住んでいた田舎の友達の家もこんな感じだったことを思い出し、懐かしさがこみ上げてきた。
当時私はその友達の家に入り浸っていた。おいしいお菓子を出してくれる優しいおばさんの印象が深く、友達そのものよりもおばさんに会いたくて遊びに行っていたようなものだった。
母親としてはかなり若い人だったように思うが、おばさんというよりお姉さんと言った方がいいくらいの人で、近づけばほんのりと柑橘系の匂いがした。レモンの香りが一番近かったかも知れない。
レモンの香りを嗅ぐと、間違いなくおばさんを思い出していた。どこのお菓子なのか分からないが、とても甘いお菓子を出してくれた。しかも味は上品で、少しだけいただくのが、ミソなのだろう。
おばさんの雰囲気が上品だから、お菓子を上品だと感じたのか、お菓子を上品だと感じるから、おばさんが上品だと思ったのか、とにかくおばさんと毎日一緒にいられる友達が羨ましかった。
おばさんはいつまでも若々しかった。時々男の人から声を掛けられるといって笑っていたが、それもまんざら嘘でもないだろう。本心から嬉しくて私に話したのかどうか分からないが、笑顔が素敵な人には違いなかった。
それまで私は年上の女性にあまり興味を示さなかったが、おばさんを見るようになってから、年上に甘えたくなる自分に気がついた。もちろん、かなり年上の女性と付き合ったことなどないのだが、どうやら相手にとって私は母性本能をくすぐるらしく、甘えさせてくれる人がいたことも事実だった。まぁ、それも長続きはしなかったが……。
かなりその友達の家には足しげく通っていた。今日ここで暗いとはいえ、同じような門構えの家を前にして、友達の家の記憶が鮮明によみがえる。まるで昨日も訪れたような感覚があり、私がここにいることに何ら違和感を感じさせるものではなかった。
私が楽天的な性格であることをおばさんは知っていたようだ。おばさんにとってそこが気に入っていたらしく、いろいろ構ってくれたのだ。
「おふくろ、おやじとあんまり仲良くないんだ」
友達はそう言って嘆いていた。実際に父親の暴力などがあったらしい。上品で大人しいおばさんを見ていると実際の感覚は湧いてこないが、時折見せる寂しそうな表情に、思わず感情が入って見てしまっていた。
「君は優しそうね」
おばさんがそう言っていた。
「そんなことはないですよ。いつもあまりいろいろ考えていないからでしょうか?」
「それは羨ましいわ。そんな人に女って惹かれるのかも知れないわね」
「そんな……。僕はもてたりなんてしませんよ」
「きっと母性本能をくすぐるのかも知れないわ。それにあまり悪い方に考えない性格は、とっても羨ましいの」
精一杯の笑顔で私に話してくれた。その笑顔はとても綺麗で、私が楽天的な性格だと自覚するきっかけになった。
そんなことを思い出しながら、目の前の門を潜っていくと、気がついたら玄関先までやってきていた。あたりの様子を窺いながら躊躇していると、さっきまで暗かった玄関の電気がいきなりついたのだ。
思わずびっくりして目を見開いたが、完全に身体が固まってしまって、動くことができない。
「どなたかな?」
中から初老の男性を思わせる声がした。中の電気が明るく感じ、暖かさも感じることができた。思わず、
――ああ、助かった――
と思ったが、それは声の感じが優しそうな雰囲気を醸し出していたからだ。少し返事に戸惑っていたが、
「すみません。近くを通りかかったものですが、少し車が故障しまして、もし良かったら、一夜の宿をお願いしたいと思いまして」
「おお、それはお困りのようですな」
といいながら、玄関のガラス戸が開いて、男の人が出てきた。
年齢的には六十歳くらいだろうか? いや、七十歳を越えているかも知れない。あまり年上の人の年齢は分かりにくいが、思ったよりもしっかりしていそうで、安心した。どうしても田舎町というと世間知らずのおじいさんというイメージがあり、今さらながら自分が偏見で見ていたことを思い知った。
「どうぞ、中へ入って暖まってください」
と私を招き入れてくれた。
「ありがとうございます」
遠慮なく上がったが、そこも楽天的な性格か、それとも友達の家の雰囲気を思い出したこともあってか。違和感などなく上がりこんで、男性の後ろをついて中へ入っていった。
「お困りのようなので、今晩お泊めしたいと思うが、いいだろう?」
通されたのは和室の真ん中に囲炉裏がある、私がイメージしていた田舎の家そのものだった。
「いいですよ。それはさぞお困りだったことでしょう」
やはり初老の女性はそう言って私をこちらへと、手招きしてくれた。もんぺのようなものを穿いている女性は、いかにも田舎の奥さんといった感じで、部屋の中に溶け込んで見えた。生活に一番しっくりきた服装なのだろう。
「囲炉裏は冬においしいものを食べたいから残しておいたんです。都会の方には珍しいでしょうね」
囲炉裏に目を奪われていた私を見て、男性は笑いながらそう言った。その笑顔は暖かく気持ちのよいものだった。
しかし囲炉裏を見ていた私は、まるでいつも見ているような気持ちになって来たのはなぜだろう?
囲炉裏など、テレビで見るしかないはずなのに、見ているだけで、豚汁の香りがしてきそうで、空腹に拍車をかける。
「グ〜」
思わず鳴ったお腹の音に気付いた女性は、
「おやまあ、お腹が空いているんですね? こちらに来て食べてください」
「ありがとうございます」
と言って私が座るなり、すぐに食べれるように用意してくれた。まるで客人が来ることを予期していたのではないかと思えるほどの手際よさで、少し不思議だったが、それよりも先に空腹を満たしたかった。
「おいしい」
お世辞でも何でもない。寒くて冷え切った今、一番食べたいものが出てきたようである。
「それはよかった。いっぱいあるので、いくらでもどうぞ」
実際に鍋のふたを開けたのを見ると、本当にたくさんあった。二人ではとても食べきれるような量ではなさそうだ。
暖かくなって、お腹が徐々に膨れてくると思考能力が麻痺してくる。さっきまでチラッと感じた疑問など、すぐに忘れている。しかし、それは私が楽天的な性格であることから思うことではなく、漠然と考えたことだ。どちらかというと聡い方だからであろう。
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次