短編集30(過去作品)
信二にはおばあちゃんが何を言いたいか分かったような気がした。
「同じところをグルグルと回っていたの?」
「そうじゃ」
そうだと言われることが分かっていただけに、聞くのが怖かった。しかし、そのまま黙って話を先に進められる方がもっと嫌だった。
「まるで袋小路に入ったような感じだったんだろうね」
「袋小路って?」
初めて耳にする言葉だったが、言葉を聞いただけで神秘性を感じたのだ。
「袋小路っていうのは、いつも同じところをグルグル回っているような現象のことをいうのよ。ずっと回っているから、結局そこからは抜けられないの」
初めて聞いた言葉だったが、普段から考えていることだった。いつも何かを考えていて結論を見つけることもできずに、また同じところに戻ってくる。それを袋小路というのだろう。
「それから男は何度か同じ広場を通ることになるのだが、そのうちに森の奥から誰かが叫んでいる声を感じた。最初は蚊の鳴くような小さな声だったのだが、一回気付くと、次第に声が大きくなってくるように感じられたようだった」
おばあちゃんは続ける。信二は固唾を呑んで聞いている。
「何度目の同じ場所だったのだろう。男は恐る恐る声のする方へと近づいていったようじゃ。か細い声が次第に太く感じられ、近づくにつれて森の中に音が篭ったようになって、どこから聞こえてきたのか、まるでこだまのようだったらしい。果たして男が見たものは背が小さい妖怪だった。まだ子供のようで、頭から藁をかぶったようないでたちだったらしい」
「最初に背の高さに目が行ったんだね?」
「そうみたいじゃね。次第に視界が開けてくると、男に足がないことに気付いた。足がないというよりも、足が地に着いていると言った方が正解だろう。足には根が生えていて、下半身は完全に木になっていた……」
何となく想像はつくが、話を聞いているだけではそれほど怖い妖怪というわけではない。ただ、おばあちゃんの話し方が怖さを誘うのだ。
「その妖怪は言うんじゃ、「足がだるいよ〜。何とかしてくれよ〜」ってね」
聞いているだけで、自分まで足に根が生えてきそうな気がするのだから、当事者の男はさぞかし足が棒のようになったことだろう。
「男は聞いたそうな。「君は一体いつからここに?」とね」
「ずっと昔からいたんじゃない? そんな気がするよ」
「そう、足に根が生えるくらいの時間だからね。どうしてすぐに離れなかったのかと聞きたかったようだが、結局聞けなかったらしい」
話はまだまだ続く。
「妖怪は懐から水晶体を出した。そして男にそれを見るように言ったんじゃ。男がそれを見る。そして手を触れた瞬間、男は水晶玉に吸い込まれてしまった」
「それからどうなったの?」
「妖怪は言うんじゃ。「私は妖怪じゃなくて人間なんだ」ってね。自分は前にも同じようにここで足に根の生えた男に出会って、気がつけばこんな格好になっていた。男は自分と入れ替わって、新しい足を設けて軽やかに立ち去ったようじゃ」
入れ替わられた男の心境を考えると、妖怪を見た時の怖さなどと比較にはならない気がした。
誰も来ない場所。入れ替わって帰っていった男はその場所にどれくらいいたのだろう。それを聞けなかったことが一番の心残りで、反面聞けなくてホッとしている自分がいるのにも気付いていた。
果てしなく暗い世界が待っているように思える。水晶を受け取り、次に来る人に渡さなければ自分はそこから抜けることができない。最初は他人事のように思っていたが、次第に恐ろしさがこみ上げてくる。それが暗い世界を呼び起こしているように思えてならない。
足が棒のように硬くなっているのにやっと気付いた頃には、身体の感覚がなくなってくる。大声を出しても誰も助けにきてくれない。たとえ誰かが発見してくれたとしても、その人が助けてくれるなどということはありえない。その人を犠牲にして自分が助かるしか手はないのだ。
――そんなことは僕にはできない――
この期に及んでもそんな気持ちになるのは、それが夢の中だからだろう。いや、実際にその時になれば感じるかも知れない。きっと普段の感覚ではないはずだからである。
普段の自分なら、人を犠牲にしてでも助かろうとするだろう。いい悪いの問題ではない。助かるから考えられるのであって、死んでしまっては元も子もない。きれいごとなど言っている場合ではない。
そんな夢を最近になってまた見た。
大学を卒業し、社会人になって久しいにもかかわらず、おばあちゃんと一緒に住んでいた頃の思い出は、ごく最近のものだ。それを夢が証明してくれている。
田舎に住むようになってからの記憶はほとんどない。一体本当に田舎に住んでいたのか疑いたいくらいで、それだけ平穏な毎日だったからに違いない。田舎に住んでいた三年間というもの、本当にあまり考えることもなかった。だが、何か悩み事が起こったり、いろいろ辛いことがあったりすると、田舎でのことを思い出すだろう。今のところそこまで辛い思いをしているわけではない。だが、田舎での暮らしを思い出すような出来事もあるにはあった。
数年前から夢の中におばあちゃんが出てくるようになった。なぜ出てくるのか分からなかったが、不思議なことに出てくる場面はいつも田舎だった。いつも薄暗く、おばあちゃんの顔がハッキリしない。時間帯はいつも夕方だった。
おばあちゃんはボンヤリと何かを見つめている。ベンチに座っているのだが、そこは一緒に行った公園だった。田舎なのだが、公園だけは都会の中の公園で、ベンチに座ると、なかったはずのマンションなどが見えてくる。
――まったく都会の公園で座って見えた光景と同じだ――
見つめる先に夕日があるが、
――もっと明るかったように思う――
と感じると、やっぱり田舎の中にいるような気がして仕方がない。
夢の中のおばあちゃんはまったくの無表情だった。ニコヤカに見えるのだが、それは一瞬で、錯覚なのだ。見つめる先に誰もいないのを思うと、虚しさがこみ上げてくる。
夢を見るごとに、あたりが暗くなってくる。影が薄く見えてくるとでも言えばいいのだろうか。表情が自然なのが却って不気味である。
――おばあちゃんに会いたい――
と思うようになったが、その時には起きている時におばあちゃんの顔を思い出せないでいた。
そんな時だった。父から電話が掛かってきた。いきなりでビックリしたが、声が少し低くなっていて、自分が知っている頃の父と変わってしまったことで、かなり時間が経っていたことを今さらながらに思い知らされた。
「おばあちゃんが亡くなったんだ」
それが父の用事だった。
それを聞いた時、不思議と悲しくはなかった。むしろ、これで永遠に自分のそばにおばあちゃんがいてくれそうな気がしたくらいで、この気持ちをどう表現すればいいのか、その術が分からない。きっと何を言っても誰かに分かるような表現方法は見つからないだろう。
――何かの虫の知らせだったのかな?
あまり迷信めいたことを信じる方ではない信二だったが、おばあちゃんの死に関しては信じられるような気がした。
「おばあちゃん、死んじゃったんだ」
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次