短編集30(過去作品)
といっても、夕方が薄暗いというわけではない。色が裸電球のような感じで、明るさはきっと昼間と変わらないのではないだろうか。急激に日が沈んでいくので、暗くなったように思うが、実際は変わっていないように思えてならない。
蛍光灯から発せられる光は、まるでステージの上のようだ。あまり日中、どこかに留まってじっとしていることがないので、本来の明るさに気付かなかったのかも知れない。
ベンチは熱くなっていた。だが、以前に感じていたような縁側という感じはしない。どちらかというと額に薄っすらと汗が滲んできそうな、まるで初夏のような暑さだ。
初夏と秋口とではかなり赴きが違う。同じ汗でも気だるさを感じる汗は秋口である。初夏は爽やかな汗を感じるのであって、今の時期の日中にも同じ気持ちを感じることがある。それは爽やかさであって、気持ちよさでもあるのだ。
昨日のことがまたしてもウソのように思えてきた。おばあちゃんがそこまで考えて信二を公園に連れてきてくれたのだろうか? 子供心にそこまで考えている自分が恐ろしい。きっと昨日の光景を見てから、今まで何日も掛かって考えていたことをたった一晩で考えてしまったからだろうか? またしても頭の中はフル回転しているようだ。
何を見つめているのか分からないまま、公園に行くのはその日が最後になってしまった。家に帰ると両親は帰ってきていて、深刻な顔をしている。さすがにもう喧嘩はしていなかったが、雰囲気は喧嘩をしているよりも怖いくらいだ。
話しかけられる雰囲気ではない。そのうちに母がすすり泣きを始めた。信二とおばあちゃんはその場から立ち去ることもできずに固まってしまった雰囲気の中でかろうじて息をしている感じである。
息遣いだけが聞こえ、テーブルの上に置かれた一枚の紙を皆で見つめている。子供の信二にだけ分からないだけで、あとの三人にはそれがどれだけ重たいものか分かっているのだ。
父が印鑑をつく。
すべてが終わったのだ。
母は大きく息をつくとホッとしたような表情になった。父はそれを恨めしそうに眺めている。
翌日からの忙しさを分かっていたはずなのだが、一段落するのが、これほど肩の荷を降ろさせるものかと、何度もその時の母の顔を思い出していた。
きっとその時の母には、まわりの誰も見えていないし、声も聞こえていなかったことだろう。
しかし、翌日になればもうそんなことも言っていられなくなった。結局母親の実家に引っ越すことになり、転校手続きなどもあり、あっという間に一ヶ月が過ぎてしまった。
おばあちゃんもさすがにいられなくなり、田舎に帰ってしまった。父は仕事の関係で、この土地を離れるわけにはいかなかったので、この土地にとどまったが、どんな気持ちだったのだろう。いつも一緒にいるはずの人がいないのにまわりの環境は変わっていない。ポッカリと開いた穴がどれほど大きなものだったか、父にしか分かるはずもない。
「お前が大きくなれば、父の気持ちが分かるかな?」
田舎に引きこもってからというもの、信二は恵まれていたのかも知れない。学校でいじめられることはなかったからだ。しかし、考え込むとどうしようもなくなる信二にとって両親の離婚はあまりにも大きなものだった。
まるで他人事のように思えて、何がそんなに大きなことなのか分からない。友達が親切にしてくれればくれるほど、相手が羨ましく思えて仕方がない。どうせなら放っておいてくれた方がどんなに気が楽なことだろう。
なぜか、おばあちゃんといつも行っていた公園に行けなくなったことが一番心残りである。田舎にはあの公園に勝るとも劣らない自然があるにもかかわらず、あのこじんまりとした公園を懐かしく感じるのだ。
田舎の夕日は都会に比べると眩しい。同じ夕日を見ていても眩しさも違えば、暑さも違う。何よりも気だるさを感じないのだ。
急に歳を取ったような気がしてくる。ついこの間までただの子供で、何も考えていないことが普通だと思っていた。いろいろ考えていたのだが、結論など出るはずもないと思いながら、時間をかけて考えていたのだろう。
しかし田舎にくれば少し違う。何か結論が見つからないと気がすまないのだ。どこかで決着がつかないと次を考えることができないような環境、都会にはなかったものだ。
友達関係がそうなのかも知れない。今までであれば友達と一緒に遊んだりするのが苦手だったが、都会から来たという意味でも珍しさからか、皆が興味を持って話し掛けてくれる。
そのほとんどが興味本位であるが、何かに興味を持つことすら忘れてしまっている信二には新鮮だった。
両親が揃っていないことへの偏見は、自分の中にだけあった。友達の中にいれば却って嫌なことも忘れられるし、向上心というのが芽生えてくるように思える。
「田舎は閉鎖的だから、親も子供もよそ者を嫌うぞ。お前も大変だな」
と都会の友達から言われてきた。その顔には嫌味が溢れていたように思う。何も最後までそんな嫌味を言わなくともいいのにと思ったものだ。
田舎の話では、おばあちゃんから怖い話を聞かされていた。納屋のあるような大きな家で、夜などトイレというよりも厠という表現がピッタリする場所へ一人で行くのを想像してしまうと、マンションの部屋のトイレに立つのも怖くなってしまう。
その話を聞いた夜は、風の強い夜だった。
寒さが身に沁みてきて、お風呂に入ってすぐに布団に潜り込んだのだった。なかなか寝付かれない日で、風の強さもその原因だっただろう。
ビュービュー吹きすさぶ中、隣に敷いてある布団に潜り込んだおばあちゃんも、その日は寝付かれないようだった。
「どうしたの?」
とおばあちゃんが聞くが、
「何となく寝付けなくて、風が強くて寒いからかな?」
「そうね、でもおばあちゃんには少し生暖かを感じるのよ」
言われてみれば冷たい風が吹いてくる中で、時折頬を生暖かい風が撫でているように思える。夏でもないのに、こんな気分になるなんて不思議で仕方なかった。気だるい身体を引きずるように布団に入ったが、何か空気が重たく感じて、一旦布団に入ると朝まで起き上がりたくはなかった。
「信二に怖い話をしてあげましょうか?」
その時のおばあちゃんの顔は本当に怖かった。どう答えていいか分からずにたじろいでいたら、オッケーの合図だと思ったのか、おばあちゃんがおもむろに語り始めた。
「おばあちゃんも小さい頃におばあさんから聞いた話なんだよ。田舎の家だったから、本当に怖くてね。テレビも何もない時代だから、夜は本当に恐ろしかったものだよ」
という前置きだけですでに気持ち悪くなっていた。
「妖怪の話なんだけど、ある男が山で迷ったんだそうな。その男はきこりで、手には斧を持って、蓑のようなものを着ていたそうじゃ。きっと寒かったんだろうね」
その日の寒さのような感じだったのだろうか?
「ブルブル震えながら歩いていると、どうも迷ったらしい。本当ならとっくに里に下りてきてもいい頃なのに、なかなか降りてこない。それどころか木々の切れ目から見える里が次第に遠くなっているように思える。しかも、さっき見たのと同じような光景なんだそうな」
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次