短編集30(過去作品)
目に焼きついていた真っ赤な色が、今まさによみがえる。焦点が合ってくると、思わず手を伸ばしたくなるが、きっと遠近感はまともではないだろう。下手に手を伸ばして掴めなかったら本当に目の前から消えてしまいそうに思う。それほど不思議な感覚が目の前に広がっているのだ。
夢を見ていたという感覚は、顔をカウンターに寝かせながらでも感じるコーヒーの香りにもよる。手帳を目の前に置いて雑誌を探しにいった時の感覚ではコーヒーの香りを感じなかった。
――目が覚めたのはコーヒーの香りを感じたからではないだろうか?
そう思ったとしても不思議ではない。目覚めにコーヒーと言われるが、最高の香りを感じることができるのは、目覚めの時かも知れない。朝の目覚めであまり気持ちいい感覚を覚えたことは珍しいのだが、起きてから感じるコーヒーの香りには魔力のようなものがある。ひょっとすると一番嗅覚が発達しているのは、寝起きの時なのかも知れない。
朝一番では鼻の通りが悪い時があるが、それを和らげてくれるのがいつもコーヒーの香りだった。頭に刺激を与えたくなる時に感じる軽い頭痛は、今までの目覚めでもあった。睡眠時間と夢を見ていた時間帯の微妙なバランスが目覚めに影響しているように思えてならない。
目の前の手帳に手が伸びた時、その手が自分ではないように思えた。まだ顔を上げるには少しきついと思っているのに手だけが伸びている。拾い上げるように手に取ると、そのまま感触を楽しんでいた。
まだ夢の続きを見ているのだろうか、表面がツルツルしている。明らかに今朝拾った手帳とは違うものに感じた。使い古された感じはしないのだ。
夢の世界に陶酔したいといつも考えているからだろうか。仕事も忙しく、ずっと時間に追われている感覚しか残っていない。時間に追われることほど辛いことはない。自分のペースが掴めないのだ。特に精神的に余裕がないと自分の実力を発揮できないと思っている手島にとって時間を自分でコントロールできないことは、まったく余裕がないに等しい。
余裕がなくなると、余計なことを考えないで済むと思っていたが、そうでもない。時間に追いまくられている自分がまるで他人事のように見えてくると、ろくなことを考えてしまうことに気付くのだ。
手島は自分が躁鬱症であることに気付いていた。いつ頃からだっただろうか、躁と欝が周期的に襲ってくることを感じていた。最初に襲ってくるのは欝状態で、最低二週間くらいは、すべてが悪い方へと考えてしまう。だが、その期間を過ぎるとそれまでの悩みがまるで嘘のよう、完全に他人になってしまうのだ。余計なことを考えても、すべていい方に考えを向けることの時期、それが躁状態の時なのである。
欝に陥る前兆として、色の違いを感じる。すべてが黄色かかって見えてくるのだが、匂いも微妙に違ってくる。
――石のような匂い――
それを感じると、もうすでに欝状態から逃れられなくなってしまう。なぜなら匂いを感じた瞬間から、間違いなく欝状態がやってくる赤信号が見えているからだ。
欝の時には夜になるほど色がハッキリと見えてくる。暗い世界を恐がっているからだろう。何とかハッキリと見ようと無意識ながらに考えるからで、欝状態の時こそ、流されないようにしないといけないという意識が強い。
しかし意識はあっても身体がついてこないのが現実、どうすることもできない虚しさが襲ってきて、目の前の世界から逃れられなくなってしまう。
赤い手帳がやたらと眩しい。目覚めに赤い色は目に毒だと思っていたが、白い色よりは幾分かいい。赤い色をずっと見ていると、青い色が瞼に余韻として残っている。小学生の頃は青い色が好きだった。好きな野球チームも、青い色がカラーだった。今から思えば色で好きなチームを選んだようにも思える。子供がファンのチームを作るのなんて、そんなものだ。
中学になると赤が気になってきた。性格が明るくなったわけではなく、むしろ暗いところを持っている自分に気付いた頃だったように思う。躁鬱症を最初に気付いたのは中学の頃だった。
色について考えるようになった時期でもある。その時の気分を色で表現できるようになったのもその頃だった。いや、色でしか表現できないのだろう。自分の気持ちを表現するということはそれだけ難しいことなのだ。
真っ赤な手帳を見ていると思い出したことがあった。
あれはいつのことだっただろうか。確か大学時代だったように思う。まだ就職などということを考え始める前だったので、サークルに一生懸命だった頃である。いろいろなことを皆それぞれ好き勝手にやっているようなサークルで、まわりからは、
「合コンサークル」
などと呼ばれていた。確かに合コンは多かったように思う。しかしサークル活動をネタに合コンばかりやっているようなことはなかった。中には合コン目的に入部してくる人もいたが、それだけではない。元々芸術全般に夢を持って志しを一つにしているような連中の集まりだった。かくいう手島も創始期のメンバーの一人だったのだ。
サークル運営に関してはあまり深入りしていなかったが、部長にあたる人はいろいろ気配りの行き届いた人だった。芸術家というと、どこか職人肌のところがあり、あまり気配りに長けた人はいないものだと思っていたが、部長に限ってはそんなことはなかった。油絵を志す人で、作品には繊細さをこれでもかと思い知らされるようなきめ細かさがあった。
手島は確かに芸術というものに興味を持っていた。しかし、どれをやってもシックリと来ない。それでも自分の性格を芸術家肌だと思い込んでいたのは、変わったところがあったからだ。
あまり妥協することを許さない性格だった。気持ちに余裕を持たなければいけないと思いながら、どこか自分を追い詰めている時も無意識に感じることがある。だが、部長のようなきめ細かさや繊細さはなかった。大雑把で、とにかく始めてから形を作っていく方である。
「俺はインスピレーションを大切にする男なんだ」
と嘯いていたが、まんざら嘘とも言えないのは、同じサークルの人になら理解できるだろう。
サークルを一歩離れると、
「あの人は変わっているわ」
と陰口を叩かれる。本人も知っていて男性からはそうでもないが、女性にも思われていると思うと、さすがにショックではある。
そういえばいろいろなことをやってみたものだ。
――絵画、陶芸、音楽、文学――
思い起こしただけで、さまざまな思いがまるで走馬灯のようによみがえる。だが、肝心なところが思い出せない。どうして諦めたかであったり、どんな順番でやってみたかなどは思い出せるのだが、実際に芸術と向かい合っての気持ちを思い出すことができない。
――今があまりにも芸術とはかけ離れた生活をしているからだろうか?
確かにそうかも知れない。いろいろやってみたが、少しでも役に立っていることがあるだろうか。何一つとしてないではないか。今の生活に密着するものであったり、気分転換にでもしてみようなどと考えることがない。
「元々、お前は飽きっぽいからな」
小学生の頃からの友達と同じ大学になって時々話すのだが、彼からそう言われて思わず苦笑いをしてしまった。
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次