短編集30(過去作品)
「飽きっぽいというか、思ったようにならないと、投げてしまうんだな」
「それを飽きっぽいって言うんじゃないか。すぐ次にしたいことが見つかるんだろう?」
「ああ、そうなんだ。だから飽きっぽいというより浮気っぽいというべきなか?」
「それだけバイタリティがあるとも言えるんだね。短所であり、長所でもあるんだな」
長所と短所は紙一重だと聞いたことがある。友達と話していて今さらながらにそのことを思い知らされたような気がした。
「君は歴史が好きだったね」
「歴史はいろいろなことを教えてくれるしね。下手なドラマを見ているより面白いよ。僕は芸術にも繋がると思っているんだよ」
「芸術に?」
「ああ、すべてのことに繋がると思うんだけど、主義や主張や流派はどこにでもある。芸術であってもね。でもそれが歴史の世界では戦争という悲劇を起こしたりするんだ」
少し重たい話になりかかっていたが、確かに彼の言うように、歴史は下手なドラマを見ているより面白い。時代の中で生きていたという証拠を残したいと、稀代の芸術家は自分の作品に意気込んだに違いない。実際に後世に受け継がれ、彼らの芸術はいつの時代も色褪せることはない。
手島も歴史にも精通していたようだ。歴史を感じる趣味をいろいろ模索していたようにも思える。いろいろやってみて最後に何かを見つけたような気がしたのだが、それを思い出せないのだ。
そんな試行錯誤の真っ最中、いろいろ感じたことを思いつくままに綴ってきた手帳があった。表紙は真っ黒で、パッと見は普通の手帳である。
いつも肌身離さず持っていて、気がつけば書いていた。ネタ帳もかねていて思いつけばどこでも書いていたので、字は自分にしか読めないようなミミズが這ったような字だった。元々人に見られると恥ずかしいという思いから字も自然と汚くなった。
最近は実際に字を書くこと自体が減ってきて、パソコンによる文書が増えてきたことから、自然と字もいい加減になってきた。それは手島に限ったことではないだろう。
すぐに手帳はいっぱいになる。段落も関係なく空いているところに殴り書き、それではいっぱいになって当然である。数ヶ月で一冊が終わったりすることもあった。
几帳面な方ではない手島だったが、手帳だけはキチンと世代管理して、家の机の中にしまっていた。
色は適当に決めていたが、ほとんどが青か黒系統だった。同じ手帳ばかりではなかったが、大きさだけは統一していた。しまいこんだ後に見ると綺麗だからである。
あの手帳は五冊目くらいだっただろう。ちょうど一冊でだいたい一つの趣味、最初から考えていたわけではないが、偶然そういうことになっている。
――俺の趣味とこいつはいつも一緒なんだな――
机の中にある手帳を見ながら、しみじみ考えたこともあった。保管していたものの中でも一番大切にしていたものの一つである。
手島は自分の作品を大切にする方だった。絵画にしてもよほど気に入らないものでなければ部屋に飾っているし、ポエムなどの文芸作品もキチンとプリントアウトしてファイルに綴じている。他のことに関しては無頓着なくせにインデックスまで貼って残しているのだ。
だがそのほとんどが自分で考えているところまで行き着いたものではない。志しなかばのものばかりで、そういう意味では、考えの過程を綴っている手帳が大切だと思うのも当然と言えるだろう。
一番気持ちが入っていた時期だったと思う五番目の手帳、いつの間にか失くしてしまっていた。時々机の中から出して見ていたので、無意識にそのままカバンに入れて持ち出したのかも知れない。
一番気にして見ていた手帳でもあったので、表で見たような記憶もあるのだ。真っ黒で少しくたびれた手帳だった。
――どんなことを書いていたのだろう――
机の中にあっていつでも取り出せるという余裕のある時は、思い出せたものが、自分の手から離れ、永久に見ることがないかも知れないと思うと、内容の一端すら思い出すことができない。人に見られても、まるでアラビア文字のようで何を書いているか分からないものなので恥ずかしさはないが、何よりも自分の心の拠りどころを失くしたような気分である。気持ちのいいものではない。
手帳を失くしてから、しばらくは欝状態が続いていた。それまでも躁鬱の状態を周期的に繰り返していたが、その時は、
――そろそろ欝に陥りそうだ――
という予感めいたものに気付いていた。
自己暗示に陥りやすいから躁鬱になるのかと思っているが、当たらずとも遠からじだろう。それだけが原因ではないような気がするし。真髄をついているようにも思う。
失くした手帳が出てくることもなく、次第に手帳を失くしたことの大事さが自分の中から消えていくのを感じた。欝状態が治まりかかっているからである。失くしたことへの後悔は消えないのだが、自分の中での大切さのプライオリティが少しずつ下がっていく。それが躁状態への入り口でもある。
真っ黒な手帳を思い出していると、その時の心境が手に取るように思い出される。だが、肝心なことが思い出せない。手帳の内容である。
赤い手帳を失くした女性もまるでその時の自分と同じ心境に陥っているように思えて仕方がない。同じような性格で、同じように欝状態への入り口ではなかったかと思えることである。
しかし、中身は何も書かれていなかったのではないか。思わず頭を捻るが、もう一度見てみたい衝動に駆られた。カバンの奥深くに、まるで封印するかのように大切にしまいこんでいる真っ赤な手帳、取り出してみたかった。
――いやいや、少し様子をみよう――
一度見てしまったのだから、後は関係ないと思う自分と、いや一度見てしまったからには、もう二度と見てはいけないと思う自分との葛藤があった。勝ったのは後者で、自分がそれだけ保守的な人間だということを改めて思い知らされた。
喫茶店の中で開いて見ればきっと彼女が気付くだろう。だが、それでもいいような気がした。彼女を見つめながら手帳を手に取ることによって、もしそれが彼女のものであるならば、
「それ、私のなんですけど」
と一声かけてくれればどれほど気が楽だろう。精神的にホッとできれば後は何とでも言い訳できる。それくらいの言い訳は難しくないように思えた。
カバンの中をまさぐると、奥の方で手に触れた感触は、まさしく朝拾った手帳である。取り出しながらじっと彼女を見つめていると、彼女も手島の視線に気付いているようだ。
チラッとだがこちらを見ている。はにかんでいるようにも思えるが、それよりも少し怯えが露になっている。明らかに警戒心があからさまだ。下を見ているつもりでも、時々見上げるその目はなるべく手島と目を合わしたくないという気持ちがハッキリ見えるようだった。
――何をそんなに怯えているのだろう?
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次