追蹤
それから数日後、お嬢様は再びお庭に立っておられました。暫く拝見しておりますと、ふいに乱れ咲くつつじのうちから一輪を無造作に掴み、それを力の限り引き抜かれたのです。花はふつりと枝より離れ、お嬢様の手の内に握りしめられました。瑛子様にあるまじき乱暴な振る舞いに、私は面食らい、咄嗟に声を上げることができずにおりました。
その時、突然、お屋敷の方角から女中頭の芳江が現れました。芳江はお嬢様の腕をやにわに掴み、その指からつつじの花を捥ぎ取ったのです。そして腕を掴んだまま、強い足取りで瑛子様をお屋敷へ引き戻していきました。「芳江、痛い。痛いわ。」というお嬢様の泣きそうなお声と、「お嬢様がお痛をなさるのがいけないのですよ。」という容赦のない声とが聞こえました。
芳江は、間もなく二十五になる女中でした。濃紺の縞の紬を着て髪を翡翠の玉簪できちんと結い、私と同じく長く霧島家に仕える、厳格ではありますがよく気のつく女でした。
その日、芳江と廊下ですれ違った際、私は彼女に声をかけました。
「芳江さん、一つよろしいですか。」
芳江は振り返り、こちらに冷ややかな視線を投げかけました。
「何か。」
「確かに本日のお嬢様のふるまいは目に余るものがありました。しかし、流石にあれはやりすぎではありませんか。お嬢様がお怪我をなさりでもすれば大変なことです。」
その瞬間、芳江はキッと鋭い目で睨めつけました。
「貴方はあの現場を見ていながら、何もなさらなかったというわけですわね。」
「その点については私も反省しております。しかし、何もあそこまでなさらなくてもよろしいでしょう。幾分乱暴とはいえ、ただの子供っぽい悪戯ではありませんか。」
芳江はぐいと顔を近づけ、低い声で囁きました。
「子供っぽい。子供っぽいですって。いいえ、お嬢様は既に大人顔負けの女性でいらっしゃるわ。」
その言葉には強い皮肉が込められておるようでした。
「……私が本日お咎め申し上げたのは、お嬢様の行いに対してのみではありません。行いの裏に、霧島家のご息女としておよそふさわしくない思想をお持ちになっていること、それをお咎め申し上げたのですわ。」
「よく意味が分かりかねますが。何にせよ、霧島家の女中たるもの、そのように無暗に人に顔を近づけるものではありません。お嬢様の行動を咎める前に、まずご自分の行いを正されたらどうです。」
芳江はその言葉を聞くや否や、顔を真赤にして叫びました。
「これだけは申し上げておきますわ。お嬢様があのようにふるまわれるのも、私がこのように目くじらを立てるのも、その主な原因は辻村、貴方にあるのですよ。そのことをよくよく肝に銘じておくことですわね。」
芳江が踵を返した時、翡翠の玉簪がぐらりと揺れました。
私は芳江の言葉を反芻し、その嵐のような背中を、何時までも見送っておりました。
それからというもの、私と瑛子お嬢様はお屋敷の中でもほとんど関わることがなくなりました。私は旦那様の身辺のお世話とお客様の対応に追われ、またお嬢様の方から私にお声掛けいただくこともそれ以来ありませんでした。グラント将軍の蒸気船をご覧になられた感想も、遂にお聞きせぬままになってしまいました。ただ、時折瑛子様が練習なさるピアノの、時には激しく、時には寂しい音色だけが、お屋敷の何処にいても聞こえてくるのでした。