小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

完全なる破壊

INDEX|27ページ/30ページ|

次のページ前のページ
 

「そうかも知れませんね。でも、こんな時、計算高いと言われるのも、あまり嬉しいことではありません。それでも、こうやってお店ができるというのは、サラリーマンは辞めてよかったと思っていますよ」
 そういうマスターの心境を思い図りながら、さっきカウンターの奥にあった心理学の本を見つめた。
 小林は、別に心理学の本を見たいと思ったわけではない、さっきまでのようなマスターの暗い雰囲気の中で、いたたまれない雰囲気に陥った時、本を読むことで空気の圧力に負けないようにしようと思っただけだ。
 小林は、マスターの話を聞きながら、自分の研究に置き換えて考えていた。人の話、特に悩み事を聞いている時、自分の心境に置き換えて聞くというのは、小林に限ったことではないだろう。
 しかし、小林の研究は心理学のようなものではない。それでも、建築学を突き詰めていくと、
――どこか心理学にカブってしまっているところがないわけではない――
 と感じた。
「心理学というのは、他の学問や研究を突き詰めていくと、そのうちにどこかで必ずカブってしまうところがある。その時に、カブっていることに気付くか気付かないかというのは、結構その研究に大きくかかわってくることになるんじゃないかって思うんだよ」
 という話を、大学時代に心理学の講義を受けている時に聞いた気がした。
 実際には自分の志す研究とはかけ離れているところがあると思っていた心理学なので、大学時代の講義のほとんどは忘れてしまっていたが、この言葉だけは、なぜか頭の中に残っていた。
「心理学が他の学問とカブっているという話は私もよく聞くが、建築学も同じことが言えると思っている。何かを研究するということは、その接点を見出して、そこから導き出される道を見つけることが、今まで見えていなかったものを見出すためには必要な真理ではないかと私は思っているんだよ」
 というのが建築学研究所の教授の話だった。
「ところで、私の婚約者が婚約を解消した理由、彼女は何て言ったと思う?」
 マスターがそう言った。
「マスターは聞かれたんですか?」
「私が聞いたというよりも、彼女の方が言ったんだよ。最初はかたくなに理由を言わなかったんだけど、私がある程度、自分の置かれている立場を受け入れられる精神状態になった時になんだよ」
「それって、一歩間違えれば、火に油を注いでしまって、大炎上する結果になるんじゃないですか?」
「ええ、実際に私の中では大炎上でした。何しろその理由というのが、好きな人ができたということだったんです」
――よくあることだ――
 と小林は思ったが、それよりも、
「どうして、いまさら、つまりはマスターが立ち直ろうとしているその時に告げるんでしょうね。まるで傷口に塩を塗るようなものだ」
「ええ、そうなんですよ。しかも、その相手というのが男ではなく、女だっていうじゃないですか。これには開いた口が塞がりませんでした」
「えっ? そうなんですか? それはさらにショックですね」
「いえ、でもね、次第に自分の中でさめてくるのを感じました。そして、急に彼女が遠くに行ってしまったことを理解したんです。ある意味、彼女の言動のタイミングは、すべてにおいて計算され尽くしていて、私の中では、あっぱれだって思えてきたんですよ」
「そうかも知れませんね」
 と言って、再度マスターを見た。
 最初に感じた曖昧な雰囲気、そして心ここに非ずの態度に、どこか投げやりで他人事に見えた態度は、その時の後遺症があるからなのかも知れない。
「彼女は、私と付き合っている時、そんな素振りはなかったので、きっと会社の女性にたぶらかされたに決まっています」
「その人は会社の女性だったんですか?」
「ええ、婚約者は私とは違う会社だったので、彼女の会社の事情は分かりませんが、婚約解消を言われて、さすがに、『はい、そうですか』とは言えない私は、密かに彼女を探っていて分かったんです。だから彼女に告白されなくても分かっていたことではあったんです。でも、それだけに、彼女の口から本当のことを聞かされると、追い打ちをかけられたようで、さらなるショックを受け、トラウマになってしまいました」
「なるほど、完全にダメを押されたという感じなんでしょうね」
「ええ、その通りです。だから、本心では『余計なことをしやがって』と思ったのも事実だったんですよね」
「未練はなかったんですか?」
「ええ、彼女が会社の女性と仲良く歩きながら、ホテルに入っていくのを見た時、足元が急に割れて、そのまま地面に吸い込まれてしまう錯覚に陥りました。そして、そのあと、自分の感覚は自分が落ちた穴を表から見ている別人になったんです。すると、その穴はまるでビデオの逆再生のように、元通りになっていったんです。それこそ、昔見た特撮番組の一シーンのような感じでした」
 マスターは、自分が見てきたことを、今見たことのように話した。
 しかし、実際にその話がどこまで本当なのか小林は疑念を持っていた。目に見えていることに間違いはないだろうが、主観的にマスターが見ていることが果たして信憑性のあることなのか、疑問だったのだ。
「マスタ―はその時に何を感じましたか?」
 本当であれば触れてはいけないことなのかも知れないが、マスター自身が自分から話を始めたのだ。小林にはこの話には触れてあげた方がいいのではないかと思うようになっていた。
「女性というものは怖いものだという意識は確かにありました。でもそれよりも自分の知らない世界が目の前で繰り広げられていることに興奮もしましたね」
「それは隠微なイメージと捉えてもいいんですか?」
「ええ、でもそれだけではないとは思っています、それが何かと言われると、どう答えていいのか分かりませんが、ただそれだけではないということだけは分かるとしか言えませんね」
「実は僕も以前、気になっていた女性からフラれたことがあったんですが、彼女とはそこまで仲良かったわけではないので、最初はフラれたという意識はなかったんですが、日を追うごとに気持ちが揺れ動いてしまって、何も手につかなくなったんですよ。そのせいもあってか、心理学を気にするようになっていったんですね」
「小林さんはその時、その女性を好きだったんだって後から感じたんですか?」
「ええ、なくなってしまって初めて気付くこともあるっていう話をよく聞いたことがあったんですが、まさか自分が人に対して、しかも女性に対してそんな感覚になるなど、思ってもみませんでしたね」
「確かになくなって初めて気付くというのはよく聞きますね。でも私にはそんな感覚を味わったことはないんです。なくなったものへの意識は最初からあることばかりなんですよ。そうじゃないと、きっと気付かない気がします」
「ということは、マスターには、自分で気付いていないこともたくさんあるのではないかと思っているんですか?」
「ええ、思っていますよ。でもそれが自分にとっていいことなのか悪いことなのかはその時々で違いますよね。知らぬが仏という言葉だってあるじゃないですか。何も知らずにやりす過ごす。ひょっとすると一番幸せなことなのかも知れませんね」
作品名:完全なる破壊 作家名:森本晃次