完全なる破壊
「心理学も建築学も似たところがあるんだよ」
というのが口癖だった。
「それはどういうことですか?」
と研究員が聞くと、
「その答えを今研究しているんだよ。しいて言えば、『世の中に存在しているものは、必ず滅びる』ということかな?」
というだけだった。
要するに、教授が言いたいのは、自分もそこから出発して、ある程度までは来ていると思っているが、
「千里の道を歩くのに、九十九里をもって半ばとすという言葉があるが、まさにその通りで、今自分がいる場所もほとんど来たと思ったとしても、まだまだ半分くらいしか来ていないということさ」
ということだった。
「それでも君たちが目指すには私の到達しているところまで来るにはかなりの道のりだということを覚悟して置きたまえ」
と言われた。
相手が教授でなければ、少しイラッとくる言葉であろう。そこは尊敬する教授の言葉、別に腹を立てる必要もないだろう。
この言葉を聞いて、最初に感じるのは、
「目的地が見えている場所を目指し、一直線の道を歩いていくと、ほとんど来たを思って後ろを振り向いてみると、結構遠くに感じる。前を見ると、最初に比べてかなり近くに感じられることから、ほとんど来ていると思っているが、本当は半分も来ていないのかも知れない。それはきっと、自分が歩んできた道が実績があることであり、これからの道はまだ未知であることからどうしても軽く見てしまう」
という発想だった。
しかし、この言葉の本当の意味としては、
「物事は、終わりが近づいてくるにつれて、困難が増してくることから来ている言葉なんだ」
ということであり、感じていたこととは少し隔たりがある。
感じていたことは、自分にとって都合のいいことの解釈で、教授の言った言葉がこの意味に近いと感じることで、それ以上の発想が生まれてこなかった。だが、実際に教授が言った意味は自分に都合のいいことで間違いではなかった。教授はそこまで考えて、自分たち研究員に話をしたに違いない。
――これが教授の尊敬されるところなんだな――
教授が無意識にそんな言い方をするはずがない。
研究員のどれだけの人が教授の気持ちを分かっているのか分からないが、少なくとも研究員のほとんどは教授を尊敬している。一糸乱れぬ研究が繰り返されるのも、気持ちを分かっていなければ適わないことだいうことが分かっているので、研究員の気持ちを一つにするのは教授の手腕であることに違いないだろう。
小林がレナと知り合ったのは、大学の近くのバーでだった。
小林は時々、無性に一人になりたくなることがある。元々、躁鬱症なところがあるせいか、急に一人にならないと気がすまなくなるのだ。
それも鬱状態が近づいている時で、
――寂しい――
という感情が生まれる前に、一度でも一人になっておかなければいけないという気持ちがあったのだ。
普通の人なら、鬱状態の時は寂しさから、一人でいたくないと思うくせに、人と関わることが鬱陶しく感じられ、何をするにも億劫な自分をどうすることもできず、どうにも身動きができなくなってしまうのだ。
そんな状態を鬱状態なのだと小林は思っていた。そして、小林だけではなく、鬱状態に陥る人のほとんどは自分と同じ気持ちになると思っていた。しかし実際にはそこまで分かっている人は少ないのかも知れない。
――分かっていたとしても、どうすることもできない自分にやきもきするくらいなら、何も感じない方がいい――
と小林は思っていた。
ただ、小林は、
――自分は、躁鬱症の気があることで、研究員としての自分を見ることができるのかも知れない――
と感じていた。
そう思ってまわりの人を見てみると、何とも偏屈な考えを持った人が多いことか、ビックリさせられた。
まわりが受験に向かって誰もが寡黙で、何を考えているのか分からないといった高校時代から、開放的になった大学生を見た時に感じた、
――何と、こんなにもおかしな連中ばかりだったのか――
と感じさせられた時の感覚に似ていた。
開放感がこれほど人を爆発させる発想に導くものなのか、そして、受験というものが、そんな彼らを一気に狭い範囲に押し込めて、表に出すことをタブーとする世界だったのかということを思い知らされた気がした。
そんな大学入学当時の思いを、もう一度しようなどと思ってもみなかったので、研究員の皆を見た時、新鮮な気がした。
ただ、彼らはただの偏屈でもあった。奇抜な発想をすることもあるが、それ以外にも、急に内に篭ることがあり、ただ、それが受験時代の寡黙な人たちとは違っていた。
――もう二度とあんな時代に戻りたくない――
という思いがあった。
受験などというものがどうして存在するのか、嫌で嫌でたまらなかった。
皆が同じ目標を目指し、同じように勉強している。その中で優越を競うことになるわけだが、研究は違っている。
確かに同じ目標なのかも知れないが、発想は無限に広がっている。テキストがあって、試験範囲が決まっている中で勉強するわけではない。自分の信念の元、信じる答えを見つけ出すために、そして、これから先にテキストが出来上がるとすれば、その基礎を作っているのが自分たちなのだという意識を持つことで、陰湿な気持ちになることはなかった。
ただ、高校時代にはなかったプレッシャーがあるのは事実である。
お金をもらっての研究なので、中途半端なことはできない。だが、それも意識として他の社会人と別に違ったところはない。それでも、
――自分たちが先駆者となって、開拓していくんだ――
という思いがあるから、それがやりがいに繋がっている。
やりがいを目的としなければ、本当に高校時代と同じになってしまい、プレッシャーに押しつぶされるのは目に見えているようだ。
もし、小林は自分が他の人のように、普通に会社に就職していたとすれば、プレッシャーではなくストレスによって、潰れることになるという思いを抱いていたに違いない。
小林が一人になりたいと思うのは、研究員になっていなかった場合を想像した時が多かった。普段なら研究員以外のまわりの人が目に入ることはないのだが、急に目に入ってしまうことがある。
――俺って、本当は人間らしいところがあるのかな?
と思う。
普段は人間らしいところを感じないようにしているのは、我に返った時に思い出すのが、
――高校生の頃の受験時代――
だったからである。
そんな時に行く店は自分で決めていた。
あれは、研究員になってから二度目の、
――一人になりたい――
と感じた時であった。
真っ暗な通りを歩いていて、一筋の光を見た気がしたのだが、眩しいと思ったのは錯覚で、密かに光っている看板だった。まるで隠れ家のようなその店は、寂しさを癒してくれるような気がした。目に飛び込んできた紫色は、明るさを最大限に抑える色に見えて、妖艶さが彷徨う気持ちを彷彿させているようだった。
店に入ると、そこにはマスターが一人いるだけだった。
「いらっしゃい」
と元気のなさそうな声で言われて少しビックリしたが、
――いかにも隠れ家のような店らしいマスターだ――
と感じることで、別に嫌な気はしなかった。