完全なる破壊
だったようで、それまでは、お互いの楽しみを邪魔することのない生活をしていたのだったが、相手の男が、この長すぎる春に対して疑問を感じ始めたようだった。
プロポーズしてきた時、彼女は戸惑ったようだったが、二つ返事で、
「はい」
と答えたという。
彼女も自分では気付いていなかっただけで、その言葉を持ち望んでいたのかも知れない。
「結婚というのは最終ゴールのようなものなので、それまでは遊んでおかないと損をするわよ」
と、独身を謳歌していた彼女のいきなりの結婚話には、驚かされて当然だった。
もっとも、一番ビックリしたのは、自分だったようで、
「プロポーズされた時、二つ返事だったわよ」
と、ビックリしているといいながら、その表情には満足感が溢れていて、羨ましい限りだった。
「それはご馳走さん」
としかいえない自分に情けなさすら感じたほどだった。
彼女ののろけは結構続いた。アルコールが入るとその傾向は特に上がり、聞いている方が恥ずかしくなるほどで、いい加減嫌になっていた。
しかし、普段よりも酔いの周りが早かったのは幸いだった。いつの間にか眠ってしまっていて、マミは彼女をそのままにしておけないので、しょうがないから店の表に連れ出して、どこに行こうか迷ったが、目の前にあったラブホテルへと連れ込んだ。
――もう、しょうがないわね――
マミはそういいながら、彼女をベッドに寝かせると、自分もシャワーを浴びに行った。
マミはラブホテルに入るのは初めてではなかった。学生時代に付き合っていた男性と一緒に来たことがあったので、別に抵抗があったわけではない。相手が酔っ払いの女性というだけで、何かが起こるというわけではないので、別にかまわないだろうと思っていた。
シャワーを浴びていると、さっきまで彼女を介抱しなければいけないという思いもあってか、酔いが覚めたつもりでいた。しかし、熱湯を身体に浴びているうちに、ほんのりと温まってくる身体が火照ってくるようで、酔いが再度まわってくるのを感じた。
「はぁはぁ」
息切れしてくるのを感じたが、苦しいわけではなかった。どちらかというと、
――切ない――
と言った方が正解かも知れない。
シャワーが身体に当たるたびに、敏感になっている部分に集中的に無意識ではあったが当てていると、切ない思いがさらに増してきて、息切れが完全に喘ぎ声に変わってきていた。
そんな様子を彼女は知らないだろうと思っていた。しかし、彼女はすでに酔いが覚めていたようで、裸になって浴室に入ってくる。
「あっ」
後ろから抱きしめられて、あまりに突然だったにも関わらず、抱きしめられた瞬間に、急に脱力感を感じたのはどうしてだろう?
本当であれば、いきなり抱きつかれたのだから、身体が硬直して当然なのに、どうして力が抜けてしまったのか、マミは今の自分が置かれている立場を見失いかけていたようだった。
「どうしたの?」
というと、
「マミ先輩の身体、温かい」
と言って、さらに身体を密着させてくる。
「もうすぐ結婚するって人が、こんなことしちゃいけないじゃない」
というと、
「いいの。もうすぐ結婚するから、今しかないから、こうやっていたいの。マミ先輩は気付いていないかも知れないんだけど、私、マミ先輩のことが好きだったのよ」
なんという告白だろう。ただ、その思いは実は知っていた。知っていて、知らないふりをしていたというよりも、
――知っていたことを密かに楽しんでいた――
と言った方がいいだろう。
誰かに好かれるということがどれほど心地よい気持ちにさせられるのかということを、本当はずっと味わっていたかった。相手が女性であっても同じことであるが、むしろ相手が女性であることの方が嬉しかった。
男性という異性であれば、気持ち悪さもあるが、女性という自分も知っている身体の構造の相手であれば、どこが感じるのかも熟知していることが分かっているからだ。
しかも、
――禁断の恋――
という言葉に密かに憧れがあり、短大時代に付き合っていた男性も、実は高校時代の担任の先生だった。
相手が先生だという禁断の恋に、密かに燃える思いがあったマミは、人知れずという言葉が自分に似合っていると思っていた。
だから、後輩が迫ってきた時も口では諭すような言い方をしながら、相手の興奮を煽っていたのだ。その状況、そして相手の反応に興奮しながら、マミはもうすぐ手の届かないところに行ってしまうであろう相手を、今だけという限られた時間を精一杯楽しむことが終える思いに決着をつけることになると思うのだった。
ホテルの部屋には湿気を含んだジメッとした空気が漂っていた。その空気には独特の匂いがあり、甘酸っぱい匂いがしてきたかと思うと、何か不快な香りも感じられた。
その不快な香りの正体は最初どこから来るのか分からなかったが、どこか懐かしさを感じた。
――何かが腐ったような匂い?
そう感じたが、少し違っていた。
――そうだ、石の匂いだ――
子供の頃に小学校で鉄棒をしていて、握りを間違えてしまったことで、背中から転落したことがあった。打ちどころが悪かったのか、息ができなくなってしまったが、その時、石の匂いを感じたのだった。どうして石の匂いを感じたのか分からなかったが、その時も懐かしさを感じたのを思い出した。
しばらくして石の匂いをいつ感じたのか思い出した。
それは、もうすぐ雨が降りそうだと感じた時だった。湿気がゆっくりと忍び寄ってくるのを感じながら、ノートや教科書を触った時に感じたグニャっとした感覚。さらには身体に纏わりついてくる湿気が、不必要な汗を滲ませるようで、その時、鼻についたのが石の匂いだったのだ。
――何となく身体がだるい――
と感じた。
湿気が身体に纏わりつくことで身体が重たく感じ、まるで水の中でもがいているような感覚になるのだと思ったが、どうもそれだけではないようだった。その原因が息苦しさから来るものだということは何となく分かっていたような気がしたが、実際に自覚するまでにはかなりの時間がかかったようだ。
だから余計に石の匂いが不快であると感じていた。
もし、息苦しさがなければ、石の匂いを不快な匂いだとは感じなかったかも知れない。石自体にはさほど意識しなければいけないほどの匂いがあるとは思えない。
――息苦しさを感じた時、表に出てくるのが石の匂いであり、石の匂いを感じることで、息苦しさを再認識するというのも、その時と場合の状況によって、変わってくるものではないだろうか――
と感じるようになっていた。
ラブホテルの換気は結構強力だと思っていた。それなのに、甘酸っぱい香りと石の匂いを感じるというのは、よほどその時、鼻の通りがよかったのか、それとも、ラブホテルという環境と、そこにいるのが男性ではなく女性であるという意識が働いているからなのかではないだろうか。もっとも、相手が女性であっても、ラブホテルの雰囲気からは、男性に抱かれているという感覚が身体の奥から湧いてくるのは仕方のないことで、抱かれながら包み込まれる感覚は、まさに相手が男性であるという意識の元だった。