完全なる破壊
しかし、見つめていたのは髪の毛であって、自分の表情ではないことを思うと、何と感じればいいのだろう。マミはそれ以上何も言えなかった。
「私は官能小説を書く時って、髪の毛を題材にすることが結構あるのよ。髪の毛って、触られるだけで感じるような気がするでしょう? 別に性感帯だって思っていないから、本人も触られて感じると、別に淫靡な気はしないのかも知れないわね。でも、髪の毛っていうのは、生きている証拠だって思うの」
と彼女はそこまで言うと、言葉を止めた。マミがその言葉に感じるものがあることに気が付いたからだった。
「どういうことなんですか?」
「髪の毛って、毎日伸びていることを感じることができるわよね。背が伸びたり大人びてきたりするのはなかなか気付かないけど、髪の毛が伸びるのは、毎日気付いているはずなのよ」
と言われて、少し違和感があったので怪訝な表情になったが、
「自分では気付いていないと思っているかも知れないけど、実際には気付いているのよ。特に女性の場合は髪の毛の伸びを意識するのは髪を洗っている時なの。だからほとんど毎日気付いているでしょう?」
「ええ、そのタイミングなら、必ず気付いているわ」
とマミがいうと、
「そうなのよ。それに髪が伸びるのって、成長期に関係ないのよね。子供の頃から髪はずっと伸びてくるものなのよ。どうしてだか分かる?」
「どうしてなんでしょう?」
とマミが聞くと、彼女は少し勝ち誇ったような表情になったかと思うと、
「それはね、髪の毛というのはある程度伸びると必ず切るでしょう? 一定まで伸びると一定分切る。この繰り返しなのよ。背が伸びるのは、そうはいかないでしょう? 背が伸びたからと言って、伸びた分を切るわけではない。なぜかというと、どんなに伸びても背の場合は限界があるのよ。でも、髪の毛というのは限界ってないんじゃないかしら?」
と言われて、
「確かに、世界には髪の毛が自分の身体よりもずっと長く伸びている人がいるって写真も見たことがあるわ。何年も髪の毛を切っていないといって、そんな写真を見せられたことがあったの」
とマミがいうと、彼女は頷きながら、
「そうなのよ。身長はいくら伸びたとしても、二メートルちょっとがいいところでしょう? 巨人のような人がいるわけではない。それを思うと、髪の毛というのは永遠の命を育んでいるものだって思えるのよ」
「でも、年を取ってくると髪が抜けたり、白髪になったりするよね。それは限界ではないのかしら?」
「それはきっと、人間にとって適度の長さにずっと保ってきているからなんじゃないかしら? 長すぎず短すぎずという長さの中で、自分に合うと思っている長さに各々が好き勝手に長さを保っている。それがその人の美しさとして反映されているのであれば、美しさがなくなれば、次第に髪の毛もその美しさを失っていくという考え方ね。だから抜けたり白髪になるのを私は限界だとは思いたくないのよ」
彼女の意見には一理ある。
しかも説得力も感じさせ、マミはその意見を自分の身体に当て嵌めて考えてみることにした。
マミは、彼女の話を聞いていて、一つ気になっていたのは、
「毎日お風呂に入る」
というくだりであった。
――毎日お風呂に入って髪の毛を洗っているんだけど、その時、たまにだけど、髪の毛が抜け落ちる時があるんだけど、それって彼女の話からどう解釈すればいいのかしら?
と考えていた。
「私、お風呂に入って髪の毛を洗った時、髪の毛が結構抜ける時があるのに気付くことがあるんだけど、気にしなくていいのかしら?」
と思い切って聞いてみた。
「髪の毛が抜けるのは、問題ないと思うわ。私も実際に髪を洗うと結構抜ける時があるもの。でも、私も最初は気になったものなのよ。どうしてこんなに抜けるんだろう? ってね。でもあまり必要以上に気にする必要はないのよ。考えすぎることがいい場合もあるけど、圧倒的に意味のないことの方が私には多かった気がするのよね」
という答えが返ってきた。
それでも、彼女の言葉の中で、さっきまでの信憑性ほど確実性が感じられないような気がした。半信半疑というべきか、きっと自分で納得できないことだと思っているからなのかも知れない。
マミは彼女と話をしているうちに、
――彼女の話を表面上だけで聞いていてはいけない気がするわ――
それは、自分が思っているよりも彼女は深いところで何かが言いたいのだと思った。いきなり官能小説の話を始めたのも、何か言いたいことを奥に秘めているような気がしたからだ。
「官能小説って本当に難しいんですね」
髪の毛の話を少し棚に上げた形にして、話を戻してみたのは、彼女の奥に秘めている考えを表に出そうと思ったからだ。
話を戻すことで彼女の奥に秘めた話を引き出すことができるのか疑問だったが、彼女ならマミの考えていることを看過してくれるのではないかと思ったからだった。
「ええ、そうね。実際に書いてみると普通の小説よりも結構難しいわね。基本的には読者の性欲を満たすような作品でなければいけないということだし、かといって、いくらR18指定で書いているとはいえ、露骨な表現もできないですよね。あまりにも露骨であれば、却って読んでいる人もあからさまな表現に興ざめしてしまうこともあるでしょうからね。私は本屋に行って、小説の書き方などの本が置いてあるコーナーにも何度か立ち寄ったことがあるんですけど、そこに、官能小説の書き方という本もあったりしましたからね。それだけ他の小説と違って異質なものだという意識はありますよ」
と言っていた。
「賞とかもあるんでしょうか?」
「ええ、ミステリーやホラー、恋愛小説などと同じように、官能小説大賞のようなものもあるようですよ。実際に本屋に行けば、文庫本のコーナーの中に、官能小説のコーナーもできているので、知名度はあるんじゃないかしら?」
「実際の写真やビデオなどとは違って、文章だけだと想像力が試されることになりますよね。それは他のジャンルの小説にも言えることではあると思うんですが、官能に関しては他の小説にはないあからさまなテーマがあるって思います」
「そうよね。しかも、買って読むには少し抵抗を持っている人もいるだろうし、それだけに秘密を一人で楽しむという興奮もあるわけよね」
と彼女に言われて、マミはまた顔を赤らめてしまった。
彼女のいう、
――秘密を一人で楽しむ――
というのは、日ごろ自分がしている、
――自分を慰める行為――
と同じ感覚ではないかと思ったからだ。
――やはり彼女には見抜かれているのかしら?
と考えていたが、本当は別に彼女は深い意味を持っていたわけではなかったのだろう。
「自分で自分を慰める行為なんて、誰だってしていることなんだからね」
と口には出さないが、そう言っているのと同じなのだろう。
しかし、官能小説や髪の毛の話をしている時、彼女の口から出てくることはなく、彼女としては、
――そんなことくらい分かっていることよね?
と思っているのかも知れない。