短編集29(過去作品)
最初は喫茶店で待ち合わせたのだが、それぞれカップルを作るための趣向として、男女交互に席が決まった時、私の隣に来たのが、祐子だった。大人しくちょっと場違いな雰囲気を見ていると、まるでその時の自分を見ているようで、ほほえましく感じられた。彼女も少しオドオドしながらだが、私を見つめていたが、次第に微笑んでくれるようになっていった。
「実は私、人数合わせで呼ばれたんです」
その後、お決まりということでカラオケへと移動になったが、その時に祐子が話してくれたのだ。喫茶店ではなかなか話そうとしなかった祐子だったが、カラオケでは音の大きさに紛れて私に話をしてくれるようになった。席を決めているわけではなかったが、完全にカップルが決まってしまっていて。必然的に私の横に、祐子がいた。
お互いに願ったり叶ったりで、私には嬉しかった。きっと祐子も同じ気持ちだったに違いない。それ以後の裕子はビッタリと私にくっついてきて、変な意味ではなく、彼女の肩を自然に抱くことができた。
その日までの私は、女性の身体に興味があり、必要以上に見つめていたのも、まだ見ぬ女性の身体への憧れと、神秘性に無意識に目が行っていたからに違いない。それが嫌らしさを含んだ目だったことは否定できないが、それこそ「本能」の成せる業だったのだ。
だが、その時に感じた祐子の身体は暖かく、他の女性のような香水の匂いがするわけでもないのにとても心地よかった。香水がそのまま女性としてのフェロモンを撒き散らすものだと思っていた私には、祐子の香りは新鮮だった。きっとサラサラしたストレートな髪から漂ってくるシャンプーや、身体からのボディソープの香りが、そう感じさせるのだろう。
――この香りは初めてではないように感じる――
満員電車の中などで、隣に女性がいた時に感じたように思う。だが、その時は漠然と感じただけだった。これが女性の香りだという程度だっただろう。しかし、祐子に関しては違っていた。
――捜し求めていた香り――
そんな気がして仕方がない。
皆カップルが出来上がっていて、少々女性の肩を抱くぐらい誰も気にはしていない。よく見れば皆同じように肩を抱いていて、耳元に息を吹きかけるかのごとく、囁いている。
何となく嫌らしく見えるのは気のせいだろうか?
しかし自分も同じような恰好をしているのに、
――僕は違うんだ――
と思えてならない。きっと相手の女性の態度の違いから感じることであろう。
皆、相手の女性は含み笑いのような笑みを浮かべている。こういう場に慣れているというか、男の方も、そんな女性の顔を見ながらニコニコしている。それまでの私には信じられないような光景である。
しかし、私も祐子も含み笑いはおろか、ニコリともしていない。心地よさを感じていて、話をするというよりも、そのままずっと一緒にいたいと思う気持ちの方が強かった。
――ずっと前から知り合いだったような気がする――
肩を抱いている時、いつも祐子に感じることであった。
中学時代の友達の言葉を思い出していた。
「お互いにないものを求め、そして補う。それが男女の仲さ。近づきすぎず離れすぎず、一番いい距離でいることが一番いいのかも知れないな」
ないものを求める……。まさしくそうなのかも知れない。今まで知らなかった世界を知りたいと思うのは貪欲な気持ちの表れだろうが、ないものを求めると考えれば、私はその時、裕子が発散する香りに酔っていたのだろう。初めて感じた女性のフェロモンである。
カラオケもそこそこに、話もそれほどすることもなく、次回は二人で会うことを決めていた。祐子に断られるような気がしなかったのも、その場の魔力のようなものだったのだろうか? 私が、
「今度二人で会おう」
と言うと、無言でコクッと頷いた時の祐子の表情が、しばらく忘れられなかった。きっと初めて彼女にドキッと感じた瞬間だったに違いない。
電話を掛けて会う約束をしたが、それからの私は有頂天だった。会ってからどこに行こう、何を食べようなど、勝手にシュミレーションをしていて、そんな時間が贅沢で楽しい時間だということを意識していたからだろう。
それにしても、今まで祐子が他の男性に誘われなかったのはなぜだろう?
私は、初めて会った時のフェロモンのような香りの虜になってしまった。あの香りが祐子の香りで、女性独特の色香を漂わせているように感じるのだ。他の人にはあの香りを感じることができないのだろうか? 実に不思議である。
そういえば、餃子などのように匂いが強いものを食べた時のことを思い出す。本人には気付かない匂い、他の人はたまらなく臭いにもかかわらず、本人にはまったく意識がないのだ。口臭を取るガムを噛んでも、歯を磨いても、匂いが取れるものではない。すでに身体の中に入り込んでいて、汗となったりして毛穴から湧き出しているものなのだ。風呂にでも入らない限り、根本的に匂いが取れることはない。それをどれだけの人が知っているだろうか。
女性から醸し出されるフェロモンも同じようなものではないだろうか。本人には気付かず、まわりにいる人だけが感じる香り、しかも人それぞれ感じ方が違うかも知れない。いろいろな種類の香水が世に溢れているが、その中のどの香りを好むかは、男も女も、それぞれに違う。したがって、彼女のフェロモンを感じたのが私だけであっても、それは一向に構わないことだ。そう考えると、却って祐子との出会いに運命的なものを感じて不思議はない。
その次に会った時も、またその次に会った時も同じ香りがした。まるで春を思わせるような甘い桜のような香り、風に靡いて香ってくるのだ。
「いつも同じ香水をつけているの?」
思い切って聞いてみた。
「私、香水なんてつけていないわよ。私から香りがするの?」
「ああ、甘い香りが漂ってくるんだ。まるで春を感じるよ」
「ちょうど季節も春なので、私から春の香りが染み出してきても不思議はないわね」
そういって笑っている。笑ったり、私を見つめたりした時に香りを強く感じるのは、やはりフェロモンのようなものではないだろうか。
「まるでフェロモンだ」
「ええ、あなたを思っていると、自然に出てくるのかも知れないわね」
他の女性に言われると、少し引いてしまうようなセリフでも、祐子だと素直に聞くことができる。甘えたような雰囲気ではなく、大人の会話を感じさせる。ある意味冷めた付き合いになりそうな気もするのを、香りが引きとめているようだ。
祐子と一緒にいると、違う世界を垣間見れるようで不思議だった。夢の中に何度か祐子が出てきたことがある。私はハタチを越えていて社会人になっているのだが、その私の前に今と変わらぬ祐子が現われる。
祐子は私だと気付いていないようだ。私も漠然と歩いているようでまわりが見えていない。しかし、女性が私の隣を通りすぎて、すぐに後ろを振り返る。反射的な行動で、そこには意志が働いていない。
前から見た時はまったく気付かなかったのに、香りとともに振り返った後姿には見覚えがある。香りが思い出させてくれたように思う。
そもそも夢に香りなどあるのだろうか?
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次