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短編集29(過去作品)

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 だが、今ならそれも少し分かってきた気がする。私は小さい頃というと、あまり大人のいうことを素直に聞く少年ではなかった。
「勉強しなさい。そうじゃないと立派な大人になれませんよ」
 親や、学校の先生からそう言われる。まるで判で押したように……。しかも毎日。
――勉強って一体何なんだ? 立派な大人って一体……
 疑問だけが残ってしまう。
 いわゆる普通に素直だと言われる子供はそこで勉強しようと思うのだろうが、私はそうではなかった。
――自分で理解できないことを、どうしてしなければいけないのか――
 と考えてしまうと、やる気が出てこない。やらないと大人たちから、
「どうして言うとおりに勉強しないんだ」
 と言われ、宿題を忘れては先生に叱られ、連絡帳にその旨を書かれるなどして、親に連絡が行く。親は激怒する。
「何で宿題をしないの。お母さんは恥ずかしいわよ。あなただけがしていかないなんて、先生や他の親に合わせる顔がないじゃない。親の顔に泥を塗る気なの?」
 激怒の原因はよく分かった。それだけ私が理屈から行動するタイプだからだろう。話を聞いている限り、親は私のことより、世間体や我が身が可愛いのだ。そんな釈然としない理屈のために、子供の私がなぜ勉強をしなければならないか、不思議で仕方がない。
 しかし、元来私は勉強というものが嫌いではない。特に算数など、理屈で導き出されるハッキリとした答え、答えを導き出すためのプロセスの大切さ、私の性格に合っているのだ。宿題は別にしても、算数だけは、勉強する価値があると感じていた。
 そんな時に大好きだった祖母が話してくれた。
「あんまり無理することはないのよ。あなたはきっと一生懸命になりたいと思った時に最高の実力が発揮できるはずだからね。とにかく、自分の中でしっかりと理屈を繋げるように努力しなさい」
 目からウロコが落ちるとは、まさしくこのこと、理屈さえ繋がれば、一生懸命になるのは自分でも分かっている。今は理屈を繋げることに一生懸命になればいいのだ。
 だが、まわりはそんな目では見てくれない。宿題をしてこないのは劣等生の証のようなレッテルを貼られ、学校にいても面白くない。だが、それも長くは続かなかった。国語の時間に書いた作文の点数が、自分で思っていたよりよかったのだ。
「なかなかいい文章を書くじゃないか。素直な気持ちが表れているぞ。いつもそんな気持ちでいてくれれば、先生は嬉しいんだけどな」
 そう言って褒めてくれた。先生に褒められるなど初めてのことで、
――自信を持ってもいいんだ――
 と、感じると、今までモヤモヤとしていたものが少し晴れてきた気がした。
――宿題なんて言われてするものだと思っていたが、自分が自信を持つために今は何でもやってみる――
 と考えることが宿題をやる意義だと思うようになった。それからの私は宿題はおろか、勉強にも一生懸命になったのだ。
 成績はグングンうなぎ上り。元々好きだった勉強である。やる気になればこんなものだ。自分の実力に我ながら感心していた。
 だが、悪いことに、調子に乗ってしまったのも事実だった。勉強ができるようになったことで、周りとは違う自分を感じてしまい、自信を表に出すようになった。自分をすぐに表に出したくなるのも私の性格で、それが自惚れとして皆の目に写ってしまう。
 自分が他人でもそうだろう。まわりが見えていない私にそんなことが分かるはずもなかった。冷静になれば、まわりからの自分も見ることのできるのだが、それだけの気持ちの余裕が、自惚れてしまった私にあるはずもない。
――自惚れからは、余裕は生まれない――
 今なら分かるのだが、当時のことを思い出すと、不快な気分に陥ってしまう。
 当然まわりからはヒンシュクを買ってしまう。気がつけば虐められていて、なぜ虐められるのか自分でも分からなかった。
「お前たちと俺とは違うんだ」
 くらいのことを平気で口にしていただろう。虐めたくもなるというものだ。だが、実際に成績もよく、努力しているのを知ってくれている先生は、露骨に私を叱責することはしなかった。先生なりに、まわりとの調和の中で苦しんでいたのかも知れない。先生には悪い事をした。
 そんな私に余裕を取り戻させてくれたのは、友達の存在だった。さすがにいじめられっこのレッテルを貼られた頃には、自分に友達などできないだろうと思っていたのだ。欲しいとも思わなかったし、欲しいと思わないのに、できるはずもなかった。
 中学に入ると、私は少し遠い学校に入学した。そこでは、私のことを知っている人は、それほどいなかった。そのため、
――中学に入れば、きっと虐めはなくなるだろう――
 と思っていた。環境の変化が一番だと……。
 しかし実際にはそんなことはなかった。やはり虐めに遭ったのだ。同じ小学校から来た連中が、
「やつはいじめられっこ」
 と言いふらしていたに違いない。環境が変わっても変化のない生活に、少なからずのショックを覚えていた。
 そんなことを感じるとどうしても萎縮してしまい。自分の殻に閉じこもってしまった。まわりはすべて敵だらけ。そんな気分になってしまっていたのだ。だが、そんな時、声を掛けてくれたクラスメイトがいた。
 私は絵が好きなので、時々図書館で絵画の本を読んだりしていたが、
「なあ、今度一緒に美術館へ行かないか?」
 と誘ってくれたのだ。
「いいねぇ、僕が絵を好きなのを知っていたのかい?」
「いつも図書館で絵の本を見ているだろう? 知ってたよ」
 まわりがすべて敵だらけで、孤立無援だと思っていた私を見ている人がいたなんて信じられないくらいだ。少なくとも私に彼への変な意識はなかった。週末美術館に出かける約束をしたのだが、絵を見ている時の彼の横顔を見ていると、目の輝きには新鮮なものを感じていた。
 彼は名前を北野という。
「北野くんは本当に絵が好きなんだね。目が輝いてるよ」
「いやいや、柏木くんほどではないよ。君こそ絵の世界に吸い込まれそうな目をしているよ」
 確かにジッと見ていると、平面とはいえ、時々立体感を帯びて見えることがある。最初に見て感じているカンバスの大きさが、次第に小さく感じられるようになり、絵が遠くに見えてくる瞬間がある。それからもジッと見ていると、絵の中心を無意識に探している自分に気付くのだ。中心をある程度探し当てると、今度はそこを中心に絵が浮かび上がって見えてくる。立体感を帯びてくるのだ。そうなってくると、もう絵の世界に入り込んでしまったような錯覚に陥るのだ。北野が言うように、絵に吸い込まれそうな目をしているというのも、まんざらウソでもない。
 一つ一つの絵をそんな風に見ていてはかなり疲れてしまう。時間も相当必要だし、まず体力がもたない。見たい絵だけに集中して見るようにしている。
「絵を見ていれば、嫌なことも忘れられるね」
 と私が言うと、
「ちっぽけなことに感じられるんだよね。絵の世界に入り込んでしまうと、その瞬間だけは、自分が何でもできる万能な人間とまで思えてくるから不思議だよ。そんなことありっこないのにね」
 まさしく同感だった。
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次