短編集29(過去作品)
もちろん、最近見る夢にその友達がよく出てくる。何しろ大学入学の時から卒業までの四年間ずっと一緒だったのがその友達だった。
「類は友を呼ぶというが、まさしくその通りだな。きっと表に出ている性格は違って見えるんだろうが、内面的な性格は似ていると思うんだ。だから話をしていても時間を感じさせないし、奥深くに切り込んでの話ができるんじゃないかな?」
そんなことを話したこともあった。もちろん尾崎も同意見だし、夢に出てきた友達も学生時代と何ら変わっていなかった。
学生時代の二人が会話している。だが、夢の中では自分が大学を卒業し社会人になっているという意識はあるのだ。夢だと分かっているわけではないのにである。
夢で話をしている主人公の自分、そして夢を見ている自分は第三者の目で見ているのだろうか? 明らかに主人公の自分としてよりも第三者として見ている自分の方の意識の法が強いのだ。
夢を見るということで、異次元を思い浮かべることがあった。我々の世界とは別にまったく違う世界が広がっていて、どこかに入り口のようなものがどこかにあるというのだ。
その世界に入るには、きっかけがいる。しかしそのきっかけはどこにでも転がっているものではないだろうか、それに気付かないだけで、気付いている人は頻繁に行き来しているかの知れない。
この発想はあまりにも突飛だろうか? しかし異次元の世界の存在を否定しる人はそんなにいないだろう。あまりにも漠然としているだけに、SF小説などではほとんど同じ発想になってしまう。それだけにちょっとした発想もすべてが突飛に思えがちだが考えてみれば異次元という世界自体が漠然とした発想、可能性から成り立っている概念なのだ。それを突飛だと誰が言えるだろう。
――どこにでも存在する入り口――
しかし、その入り口に入り込んでしまうとこちらに戻ってこれる保障がない。向こうの世界にいくきっかけがあったからといってこちらに戻ってこれるきっかけがあるとは限らないのだ。ひょっとして世界が変わったことに気付かず、同じ世界をグルグル回ってしまう現象に陥ってしまうかも知れない。
「長所と短所は紙一重」
というが、これもちょっとしたきっかけで行き来してしまう異次元の世界のようなものではなかろうか。そう考えると、下手に短所に気を取られるよりも長所を伸ばすことに一生懸命になる方が得策というものである。
学生時代の夢をよく見るが、そういえばあの頃というと異次元に対して特殊な考え方を持っていたっけ。まわりの人間の中に異次元の人が混じっていて、相手が自分を異次元にいる自分とを比較しているのではないかと思っていたことである。
異次元の世界、それはこちらの世界とまったく同じ世界が広がっているのではないかという発想である。そして向こうにも自分と同じ人間がいて、同じような考えを持っているのではないかというものである。しかし、決定的な違いは「時間の経過」で、こちらの世界よりも早いのか遅いのか、とにかく時間経過だけが違う世界である。
もちろん異次元という発想には果てしないものがあり、それこそ尾崎の発想以外にもいろいろあるだろう。尾崎の発想は時間というものに重点をおいた発想で、その上でまったく同じ世界が存在してもいいのではないかと思うのである。
自分の発想がどこまで行くのか分からなくて怖くなることがあるくらいだ。学生時代には友達と夜を徹して話したこともあるくらいで、こういう話の好きな連中がいっぱいいた。しかし卒業し社会に出ると、こんな発想をしていそうな人を見かけることがない。ひょっとしてまわりから見ると自分まで堅物のように見えるのではないだろうか。眉間に皺を作り、しかめっ面をしているに違いない。そう思うと、最近の裕子の自分に対する態度が少し変わってきたことを感じるのだった。今までは何も言われることもなく、
「本当にいいんだろうか?」
と思っていたほどだったので、少し怖いくらいだった。
どこがどう変わったというのだろう。少し避けるようなところがあるのだ。尾崎自身も裕子が避けているからだろうか、無意識に避けてしまうように思えてくる。
相手に避けられているということを最初の頃は分からなかった。どちらかというと自分が鈍感だと思っている尾崎である。どんな些細なことにでも敏感な裕子との決定的な違いがそこにあるといってもいい。
「私は几帳面なのよ、あなたとは違うかも知れないわね」
「俺はいい加減だからな。だけど神経質でもあると思うんだけどね」
「でも几帳面じゃないでしょう? 几帳面と潔癖症と神経質な性格は似ているようで違うものですよね。どの性格がいい悪いの問題じゃないと思うし、それぞれ絡み合って一つの人格を形成していると思うんだけど、私たちは似ているところも多いと思うわ。でも決定的に違うところもあると思うのよ」
裕子とこんな話をしたものだ。最近そんな話をし始めたのも、きっとお互いの考え方についてそれぞれの思い入れが出てきたからなのかも知れない。
なかなか会えなくなったのはお互いに仕事が忙しくなったからだ。尾崎も商社で忙しく動き回っているし、裕子も貿易会社に入ったことで毎日が勉強だと言っていた。帰りもお互いに遅く、たまに早く帰れる時があっても、どちらかが遅くなるのではなかなか会う機会など訪れない。
休みの日にしても身体を休めることが最優先で、最初こそ無理して会っていたが、そのうちにお互いに億劫になってくるものだ。
「結構がんばった方よ」
休みの日に会えなくなったことを謝ると、裕子も同じ考えなのか、そういって尾崎をねぎらってくれた。尾崎にはそれが嬉しく、裕子の暖かさに触れたようだった。
だが、お互いが避け始めたことに気付いていなかったわけではない。会っていても会話が少ないのも分かっていたし、結局、
――違う世界に生きているんだ――
と思うしかないのかと考え込んでしまったが、それも仕方ないことである。
学生時代の夢を多く見始めたのは、裕子が私を避け始めてからだっただろうか。潜在意識としての異次元という感覚が、なぜ夢として現れるのか分からなかった。どこかに入り口があり、異次元の世界を覗く扉を開けた瞬間に目が覚める。垣間見るところまでいったのかどうなのか、自分でも分からない。だが、いつも寝ている正面に見える天井が異次元の入り口のように感じるのが、垣間見たような気になった証拠なのかも知れない。
理不尽なことを許せない性格に拍車が掛かってきたのを感じるのは、パリッとしたスーツに身を固めたやり手っぽいサラリーマンに限って、見ているといい加減なことの多いためだ。
禁煙場所での喫煙、携帯電話の使用における無作法、さらには駐車禁止位置での駐車などといった我が者顔での振舞い、実に腹立たしい。別に尾崎が腹を立てる必要など更々ないのだろうが、これも性格なので仕方がない。
それを裕子は分かっている。きっと自分を見ているような感覚なのかも知れない。
「最近のあなた、神経質すぎるわよ。どうしたの?」
「きっと考えすぎるところがあるのかも知れない。特に最近そんな風に感じるんだ」
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次