短編集29(過去作品)
――自分はノビノビとやれば、仕事ができるタイプなんだ――
と感じ、以前からコツコツ仕事をすることに長けていると思っていたことが間違っていなかったことを再認識していた。
しかし、鵜川が戻ってくると、そんな尾崎の自信は脆くも崩れ去る。彼の立場はすでに尾崎の立場をはるかにしのぎ、逆らえばいつ首になるか分からない状態でビクビクしながらの業務だった。自分のやり方が正しかろうが間違っていようが、立場の強い者に勝てるはずもない。世の中の矛盾と、社会のしくみを感じさせられるだけである。
しかし尾崎は理不尽なことの許せない性格である。果たして鵜川の態度が理不尽なのかどうなのか分からないまでも、自分が理不尽だと感じれば、すべてが理不尽に見えてくる。自分がすべて正しいとまではいかないが、自分の考え方を否定するような気持ちは持ち合わせていなかった。
それだけに、鵜川の出現と存在は、尾崎にとってはまさに「目の上のタンコブ」、煩わしいだけである。
そういえば鵜川氏の笑ったところをあまり見たことがない。ポーカーフェイスで、顔も白いことから、いかにも能面のようである。能面の下に隠された感情が果たしてどのようなものなのか、覗いてみたいものである。
いつも鵜川の存在を気にしながら仕事をしていると、思ったよりも疲れてしまう。ストレスがたまるのもその一つなのだが、意識しないようにしようとすればするほど気になってしまう。それが辛いのだ。
会社が次第に望む望まないにかかわらず、鵜川の思い通りの体制に変わってくるのが目に見えるようだ。
ジレンマに陥っていたに違いない。確かに鵜川のいうことに間違いはないので、逆らうことができないのだが、それは自分というものを捨てなければ承服できるものではない。
そんな尾崎は次第に自分の殻に閉じこもるようになっていったのだ。自分の気持ちのぶつける場所を探していたが、まさか裕子にぶつけるわけにもいかない。相談すればいいのだろうが、相談して心配されると却って辛いものである。
足が攣ったりした時に、人に触られたくない一心から我慢してしまうことがあるが、それと似ている。心配されると却って痛みが増すのである。
それは尾崎だけに限ったことではないだろう。
自分の殻に閉じこもることは小学生の頃によくあった。あまり友達と一緒に遊びにいくということもなく、かといって家に帰ってゲームばかりするというわけでもなかった。最初はすることもなく死ぬほど退屈な思いをしていたが、時間がまったく経っていないことが何よりも苦痛であった。
殻に閉じこもっていると自覚していたが、それを認めたくない。そんな自分が嫌だったことも否めないが、どうしようもなかった。
今から思い出すと、案外懐かしかったりするものである。過去を振り返ることはあまりよくないだろうが、まったく思い出さないというのも学習をしないという意味で、いけないことのように思う。
中学に入るとそんなこともなくなってきた。友達に恵まれたというべきか、いろいろと誘ってくれる人が増えてきたのだ。最初はそれでも露骨に嫌な顔をしていたことだろう。だが、それでもしつこく誘われているうちに自分の中の壁が溶け落ちてくるのを感じていた。壁があったことは認識していたし、表も見えていたつもりでいたが、溶け落ちた向こうの世界は、思ったより明るかった。
窓ガラスを通して明るい世界から暗い世界を見ると、反射して向こうが見えなくなってくる。マジックミラーのような現象である。それと似た現象を感じていた。一度明るい世界に出てしまうと暗い世界がどんな世界だったか、想像もつかないだろう。それだけ明るい世界は魅力的なのだ。
友達の中にはいろいろなやつがいて、自分が殻に閉じこもりやすい性格だということも、皆を見ていると自分でも認められそうな気になってくる。まわりの人の目をあまり気にしていないつもりだったのに、結構気にしていたことも分かってきた。気にしているからこそ、自分のそんな性格を認めたくなかったに違いない。
そんな考え方が間違っていたとは思わないが、損な性格だったと思えてしまう。まわりを見えるということは自分に余裕ができて、自分の性格を把握することができるということをしっかりと認識できたのだ。
だが、一度殻に閉じこもるという癖がついてしまうと、なかなか忘れられないようで、ふとしたことから殻に閉じこもってしまう。それが小学生時代を懐かしく思う感情に結びついてくるというもので、それが自分で怖いものだという自覚すらない。
「所詮、人の性格なんて簡単に変わりはしないさ」
尾崎の話ではないが、人の性格の話をしている時に出てきた言葉だ。それには尾崎も賛成で、
「性格って、生まれ持ったものと、まわりの環境によって育まれるものがあるけど、生まれ持ったものに関してはなかなか変えられるものではない」
と答えていたものだ。
尾崎にとっての殻に閉じこもる性格はまさにその通りかも知れない。今から思えばそのことを自覚しての言葉だったように思えるくらいである。
それだけに自分が一旦意識してしまうと、まわりの目が気になってしまい、余計に自意識過剰になってしまう。自意識過剰になればなるほど今度はまわりが見えなくなり、見えていると思っていたまわりが見えなくなっていることに気付かないままである。それが一番怖いことだと思っている。
「あなたは、自分を卑下するところがあるみたいね」
裕子に言われてドキッとした。自覚はあるが人から指摘されたのは初めてだった。他の人は気付いていないのか、それとも気付いていて知らない素振りをしているのか、まずそれが気になった。自分の殻に閉じこもって卑下しているくせにまわりの目は気になるのだ。なぜなのだろう?
「俺だから言ってくれるのかい?」
「もちろんよ。こんなこと、他の人には言えないもの」
ということは気付いているが、なかなか言えないものだと思っている人も少なくないだろう。人の目がこれほど気になるとは自分でも不思議だった。
「どうしてそんなになっちゃったの?」
「どうしてって、前からこんな性格だよ」
「私と知り合った頃はそんなことなかったわよ」
そう言って尾崎を責める。やはり尾崎は裕子と知り合った頃、自分を卑下するところがなかったのだろう。だから知り合えたとも言える。
すべてが後ろ向きの考え方である。自分を殻に閉じ込めるのも後ろ向きな考えが優先しているからで、自虐的な考え方もその延長線上にあるのだろう。
だが本当にそれが悪い性格だと言えるのだろうか?
絶えず何かを考えて行動していると思う尾崎は、考え込む時と、考えるより先に行動に移す時がある。何も考えずに行動に移す時は、最初から結論が分かっている時か、あるいは考えるだけ無駄だと思う時である。
中学時代にできた友達の中の一人に相川というやつがいるのだが、彼とは大学こそ違うところへ入学したが、大学を卒業するまで一番の親友だった。何かあれば彼に相談していたくらいで、逆に彼も何かあれば尾崎によく相談に来たものだ。
そんな相川に言われたことがあった。あれは尾崎が好きな女性へ告白しようかと悩んでいた時のことだ。
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次