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短編集29(過去作品)

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紙一重



                紙一重


 尾崎毅は自分の性格がどうなのか悩んでいた。それはいい悪いの問題であって、人から今まで指摘されることもなかったが、どうも影でろくなことを言われていないようだ。
 自分で分かっているのは潔癖症だということである。しかし、時々いい加減なところもあり、ある程度のところで妥協してしまったりする。いわゆる中途半端な性格なのだ。
 尾崎には里崎裕子という彼女がいるのだが、そんな尾崎に対していつもそばにいて何も言おうとしなかった。どちらかというと無言の忠告とでもいうのだろうか、裕子の言いたいことは大体想像がついたのだ。
 尾崎が裕子のどこを一番気に入っているかというと、理不尽なことを許せないところだった。あまり自分からいろいろ喋る方ではないので気付かない部分も多いが、ルールが決まっていてそれに対して守らない人はもちろんのこと、とにかく中途半端な行動を取る人を許せないのだ。特にまわりに中途半端な行動を取る人の方が圧倒的に多いこともあってか、余計にそういう人が許せない。口に出さずとも表情を見ていれば自ずと分かってくるというものである。
 尾崎にも同じところがある。ひいてはそれが潔癖症に繋がるのだろうが、それが極端なのか、それとも許容範囲なのかが自分でも分からない。性格がすぐに顔に出てしまい、まわりにバレバレの性格だということは、以前から指摘を受けていた。
「あまり自分の損になるような行動は慎んだ方が自分のためだぞ」
 高校を卒業する時に担任の先生に忠告されたことがあった。今から思えば性格を前面に押し出していたために、露骨に煩わしく見えたのではないだろうか。今ではまわりにそんな人がいれば毛嫌いするような性格になっている自分が嫌だった。
 だが、性格というものはある程度までは治せても、そこから先はなかなか治せないというところがある。自分の信条にかかわるようなところを変えることは不可能ではないだろうか。自分の根本的な性格を変えるようなもので、到底受け入れられるものではない。自分ではなくなってしまうような気がしてくるからだ。
「長所と短所は紙一重」
 という言葉を聞いたことがある。中学の頃だった、授業の中で先生が話していたように思う。授業内容とはあまり関係なく雑談のような感じだったが、尾崎にはその話がとても印象に残っているのだ。
 野球部の顧問だった先生は、野球になぞらえて話をしてくれた。
「君たちは、よくナイターなどを見ていて解説者が、『バッターの苦手なコースは、そのバッターの一番得意なコースのすぐそばにあるものなのですよ』と言っているのを聞いたことがあるんじゃないかな?」
 と切り出した。尾崎もよくナイターを見る。その時にやはり先生のいう解説を聞いていたので、納得して何度も頭を下げていた。気になってまわりを見るが、皆同じように頭を下げていた。さすがに野球中継の話となるとほとんどの男子生徒は共感が持てるのか、真面目に聞いていて納得していたのだ。
 クラスの中でも中心的な存在の生徒が先生の話に相槌を打つ。
「それが長所と短所は紙一重だということですか?」
「そういうことだね」
 その男子生徒の質問はいつも皆を代表しているようで、誰も彼の質問に対し、嫌な顔をする者などいなかった。
「代表して聞いてくれている」
 彼はそんな存在だった。
 尾崎もいずれそんな存在になりたいと考えたこともあるが、自分の性格を顧みるとやっぱりできないということが分かってくる。基本的にまわりとあまり関わりを持ちたくない性格であり、到底まわり全員に受け入れられる性格でないことは明らかだった。
――自分の長所と短所って何なのだろう――
 きっと皆話を聞きながら考えていたに違いない。尾崎自身も、長所や短所というものを単独で考えたことはあったが、比較して考えることはなかった。まったく違うものだと思っていたからだ。しかし先生の指摘するように紙一重の世界に存在するのであれば、両方比較して考えられないこともない。まるで目からウロコが落ちたような気分だった。
 紙一重というが、どれほどのものなんだろう?
 一口に言われてその太さを考えると想像がつかない。中学生の頃では考えることはできても経験が伴わないのでなかなか分からない。
――何かあってその時に初めて気付く――
 そんなものではないだろうか。
 皆頷きながら聞いているが、果たして自分の性格を本当に把握できた人がどれだけいるのだろう。尾崎には疑問だった。何しろ自分がその一人だったからである。きっと紙一重という言葉が、ある程度の納得はできても、具体的なことになると皆無に近いような気がしてくるからだろう。紙一重という言葉、ひょっとして都合のよい言葉なのかも知れない。
 また尾崎には裕子にないところもあった。時々、自分を卑下してしまう性格があり、その性格は会社の同僚によって形成されたのだと思っていた。
 とても胡散臭いやつで、ことごとく尾崎に逆らう人がいる。名前を鵜川昭三というのだが、鵜川という名前を聞いたり、横を鵜川が通っただけでも思わず避けてしまったりしている。意識過剰なのは分かっている。考えないようにしようと思えばできないこともない。しかし、気にしていなくとも不安が付きまとうのだ。気になり始めると雁字搦めになってしまうのは自分の性格によるものであることを分かっているくせに、それを認めたくない自分がいるのだ。
 鵜川は尾崎よりも会社では先輩である。一年だけだが、仕事の上での一年とは、予想以上のものだろう。しかし尾崎は大卒、鵜川は専門学校卒である。年齢的には尾崎の方が上なのだ。
 そんなこともあって最初の頃の鵜川は、それほど気になる相手ではなかった。どちらかというと他の先輩の方が性格的に変わっていて、相手をしているだけで疲れていた。それでも馴染もうと自分なりに努力したつもりだったのだが、すべてが空回りに終わってしまった。その結果、部署内で、いつの間にか少し離れたところに置かれていたことを思い知らされたのだが、それも半年経って気付いたのだ。それだけ鈍感なのだと自覚させられた尾崎であった。
 半年の間、鵜川を気にすることはあまりなかった。あまり目立たないタイプであったが仕事はできる方だ。きっと自分でコツコツすることが性格的に合っているのだろう。
 しかし、尾崎が入社して会社の雰囲気が一変した。
 時代は先の見えない不景気の真っ最中、社会はリストラ、併合合併、中小企業の倒産と荒れに荒れていた頃である。
 そんな頃にうまく入社できただけでもよかった。そう思っていたのだが、それも最初の数ヶ月だけ、実際に仕事をしてみると、仕事をこなしていようがいまいが、結果がすべて、生産性のない社員はすぐに捨てられてしまう。そんな状況で、自分の実力を出せる人はいいが、合っていない仕事についている人はたまったものではない。
 尾崎だけではない。会社では皆がピリピリしながら仕事をしている。
――何を考えて皆仕事をしているんだろう?
 そればかりを考えながらの仕事だった。
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次