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短編集29(過去作品)

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 夢を見ている時と、実際に感じている時とが分からない時がある。これだけ何度も見たような記憶があれば、その中の一つくらいは現実にあったのではないかと思えるから不思議である。ほとんどは夢に違いないが、夢というのも潜在意識がなければ見ることはできないだろう。
 角を曲がって見つめるその先はまた角を見つめている。男がまた曲がろうとしているのだ。曲がりきった後には影だけが残り、影がでこぼこになった地面に浮かんで見える。
 影を浮かび上がらせる要素の一つに舞い上がる「砂塵」があった。砂嵐のように残った影を吹き上げているように見える。耳に残った風の音が、虚しさを感じるが、また同じところに出てくるということを分かっていて追いかける虚しさに似ている。
 実は男の姿を覚えているわけではない。後ろ姿だけでも覚えていればまだ違うのかも知れないが、どんな体型で、どれほどの背の高さかなど、まったく記憶にない。あるのは砂塵に巻き上げられた影の印象だけである。
――相手もひょっとして私の影を追いかけているのかも知れない――
 そう思ったのは、かなり後になってからだった。同じところをクルクルと廻っているだけである。同じように相手の影を追いかけているように思えてならない。
 しかし、考えれば考えるほど夢なのだ。同じところを廻っているということだけでも十分なのだが、さらに不思議に感じるのは、影が必ず一方向からだということである。
 角を曲がっても同じように後ろに影が残るということは普通では考えられない。
 同じ時間で影の方向が変わっているということを意味しているからである。
 では、時間の感覚が麻痺しているのでは?
 とも考えたが、それこそ夢である。時間の感覚を鈍らせるのが夢だと思っていたからで、夢の神秘性を今さらながらに思い知らされた。
――夢とは潜在意識の中で見るものだ――
 という考えがあり、それこそが、夢の中の袋小路のようなもの。抜けようと考えれば考えるほど、同じ場所から逃れることはできない。意識があるにしろないにしろ、夢から覚めて覚えていることは希である。やはり、現実にも見たように思うのか、それとも最初からの潜在意識なのか、男を追いかけ、角を曲がるシーンが頭から離れない。
 風が舞っているのを見ると、乾いた空気を思わせる。喉が渇いてきて、オレンジジュースを飲みたくなる。オレンジジュースは子供の頃に、私が熱を出して寝込んだ時に、よく母親が買ってきてくれたものだった。普段飲めば酸っぱく感じるオレンジジュースも、その時は本当に甘く感じたものだ。
 その母の面影を持った女を無意識に捜していたのかも知れない。
 夢のようなシチュエーションの中、出会った女。気がつけばベッドの中にいて、気がつけば意識していた女。私にとって初めて感じた思いだった。意識がそのまま愛情に変わるかどうか、自分でも分からない。しかし、妻に感じたものとは明らかに違うもので、すべてが夢の中で繰り広げられたような感覚に陥ってしまう。
 誰かを追いかけてしまうという夢が潜在意識なら、相手が違っても、いつも追いかけていたいという気持ちに陥っても不思議ではない。誰か分からない人を追いかける。それが自分の潜在意識の中で一番大きい母の姿、きっと、出会った女に母を感じたのだろう。
 しかし今は母を感じることもない。彼女と出会って、身体を重ねた瞬間から、母に対して抱いていた気持ちが誇大妄想だったことに気づいた。私の中で女性と一番ピッタリのイメージが母だった。理想の女性として捜し求めていたのだろうが、イメージにピッタリの女性が現われ、まるで夢のような一夜を過ごすことで、母のイメージが、彼女に吸い込まれていくように感じてしまう。
 彼女とはどんな会話をしたのだろう?
 覚えていないのは、あまりにも予想できる会話が、そのまま進んだのではないかと思えるからで、夢の中での会話と錯綜しているのかも知れない。
――夢の中では覚えていなくても当然だ――
 という意識が強く、現実であっても、夢のような時間だと思った瞬間から、私の記憶の中から消えていったのだろう。それも徐々にというわけではなく、一気にである。徐々にであれば断片的に覚えているのだろうが、断片的な部分がまったく記憶として残っていない。不思議なことだった。
 その時の気持ちをどうしても「不倫」だと思いたくない自分がいる。だから無意識ではあるが、忘れようとしているのかも知れないと感じるのも無理のないことだ。
 しかし忘れてしまうのは哀しいことだ。いくら「不倫」と思いたくないとはいえ、忘れてしまうことへの抵抗感はかなりなものである。
――自分の中からなくなってしまう――
 普通の状態で考えれば、これほど辛いことはない。大袈裟だが、自分の存在理由につながってくるように思えて仕方がない。
 喫茶「ジャスティ」で、不倫相手と実際の奥さんとが言い争うのを聞いていると、次第に母の面影を持った女のイメージが風化していくのを感じる。
 中二階への階段が、十三段だったことを思い出した。
 きっと私が自分の中で、
――不倫はいけないことなんだ。妻に対しても自分に対しても……
 と思っているからだろう。
 だが、完全に消えることはない。頭の中で風が吹いてきて吹き飛ばそうとしても、結局忘れることはできないのだ。
 砂を巻き上げるほどの強い風が吹いてきたとしても、そこから決して離れることのない影のようなものだ。
 乾燥した空気の中で、今日も影を追い求めている。角を曲がっても見えてくる同じ影を永遠に追い求めることになったらどうしよう。いや、きっと追い求めることになるだろう。自分の知っている母は、ずっと私の中で年を取ることもなくいるのだから……。


                (  完  )

作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次