短編集29(過去作品)
追い返そうと睨むと、怯えたように縮こまって、それ以上進めないように思えるのだが、私が歩き出すと一定の距離を崩さぬままついてくる。走っても同じだった。急いで角を曲がって、塀から垣間見ると、姿がないのでホッとしたのだが、よく見ると目の前にいるではないか。歩き始めようと踵を返した瞬間に合ってしまった目、思わず座り込んでしまった。
もう追い返そうという気力もない。そのまま家に帰ると、
「どうしたの、孝蔵。犬がついてきてるわよ」
母が驚いたように犬を見つめている。
「知らないよ、勝手についてきたんだ。追い返そうとしてもダメなんだ」
母は、犬の顔をじっと見ている。犬も、固まったようにじっと母を見つめていたが、急に尻尾が揺れ始めたと思うと、
「ワン」
大きな声で一言吠えた。
「今日からこの犬も、家族の一員ね」
「えっ?」
まさかの母の言葉にビックリした。てっきり、
「捨ててらっしゃい」
と言われると思ったからだ。そう思ったからこそ、ついてくる犬をかわいそうだと思いながらも、逃げようとしたのだ。犬を連れて帰ってきたことで、私を叱責するような母の顔など見たくなかったからである。
私の不思議そうにキョトンとしている顔を眺めながら、母はあっけらかんと言った。
「だって仕方ないでしょう。それとも捨てに行く?」
思わず首を左右に振った。
「じゃあ、うちで飼いましょうね」
その時の母の顔も犬の顔も、私には忘れられない。
その犬も、二年して死んだのだ。子供心にとても悲しかった。哀しい出来事というものが、他人事のように感じた瞬間だった。
その犬が死ぬ数日前からうるさかった。二年も経てば、最初の頃は可愛がっていたつもりだったのが、次第に疎ましくなってきて、エサをやったり散歩をさせる役は、母親にさせてしまっていた。たまに散歩に連れていくと喜び勇んで走りまわっていたのが印象的だが、それも私だったからと思ったのは、死んだ後になってからだった。
――こんなことなら、もっと可愛がってあげていればよかった――
後の祭りである。
うるさいのを家族は本当に疎ましく思っていたようだ。散歩に連れて行ってあげたり、エサをあげるのは確かに母に任せていたが、それも可愛いからしていたわけではない。誰もする者がいないからしているだけで、決して楽しんでしていたわけではない。
それが分かったのは犬が死んだ後だった。誰も悲しもうとはしない。母などの顔を見ていると完全に、
「ああ、これで厄介払いができたわ」
と言っているのがよく分かる。自分の思っていることが顔に出るのは、きっと母譲りなのだろう。
「クゥンクゥン」
うるさいまでも私が近づくと鼻を鳴らしてこちらを見ている。かなり弱ってきたのが分かってきてから、玄関においてあげるようにしたのだが、夜などくらい明かりの下に見ると、目が潤んでいる。弱々しさが少し遠くからでも見て取ることができ、近づくと震えているのが分かる。それでも健気に尻尾を振っているのが、実に痛々しい。
あまりうるさいので、私も玄関で寝てあげたが、それが結局最後の夜となってしまった。気がつけば私も寝ていて、起きてみればぐったりとなって動かなかった。
手で触ってみる。
「冷たい」
思わず叫んだが「硬い」と思ったのと、どちらが最初だっただろう。死に顔は安らかだった。それだけに愛おしさを思い出してしまい。可愛そうに感じてしまう。
犬とはいえ、生き物の「死」に立ち会ったのは初めてだった。いつも何かを考えているはずの頭の中に何もなかった。しばらくは、何かと考えていないとたまらなくなるのが分かっているのか、考えようと頭を巡らすが、無理だった。却ってきつい。自然に任せるしかなく、ただ死に顔を見ていれば暗い玄関先で私を見上げた時の潤んだ目が思い出されて仕方がなかった。
最初こそ、死んだ犬を見て皆声を出せずに見下ろしていたが、固まってしまっていたのは、短い時間だけだった。とりあえず、母が毛布を被せてあげ、
「今度、お庭に埋めてあげましょう」
と一言言って、そのまま、台所で食事の支度を始めた。さすがに会話のない夕食だったが、翌朝からは、何事もなかったかのような毎日が始まった。
何も考えられない時期、それこそが私にとって、他人事と思えた時期ではなかっただろうか。確かにいつまでも死んだ犬をじっと見ていた自分だったが、見ていて思い出すことがそれほどあったわけでもなく、却って皆の薄情な態度に苛立ちのようなものを覚えている自分に気付くだけだ。何とも嫌な空気に包まれた気がしていたのだ。
それが小学生時代の大きなトラウマになっていたのかも知れない。
――本当に哀しい時は、他人事のように思うんだ――
というトラウマである。
中学に入って、母方の祖母が亡くなった。たまに遊びにきては、おこずかいをくれたり、小さい頃はいろいろなところに連れて行ってもらった記憶がある。
初めて列席した葬式、知らなかった世界を垣間見たような気分になったが、なぜか哀しさはあまりなかった。
「おばあちゃんは八十七歳の大往生だったからね」
祭壇の中央に飾られた遺影がニコヤカに笑っている。本当にもう二度と見られないなど信じられない笑顔だ。私はおばあちゃんの笑った顔しか見たことがない。
「安らかな顔」
死に化粧を施された後に見た顔を、母はそう表現したが、笑った顔しか見たことのない私に、安らかの意味が分からなかった。
一抹の寂しさを感じたが、なぜか犬が死んだ時ほど辛さを感じなかった。一緒に住んでいたわけではないからかも知れないが、少なくとも血のつながりのある祖母である。なぜそれほど悲しみが沸き起こらないか実に不思議だが、きっと犬の死んだ時に受けたトラウマがないからだろう。犬が死んだ時は、身近にいて、しかも最後一緒に寝てあげた。そして私を見上げる顔にドキッとした記憶が頭に焼き付いて離れない。
――二度とペットは飼わない――
と思うに至ったのは、自分を見つめるあの目を見たからだ。今でもたまに夢に犬が出てくる。出てきたからといってどうだというわけではないのだが、あまり連れていってあげたことのない散歩に連れていっている夢だったり、エサを一生懸命に食べているところを見ている夢だったりするのだ。起きてからいつも、
――あまりしてあげたことがないのに――
と不思議に感じ、それだけトラウマが大きいことを思い知らされるのだ。今でも庭の土の中に眠っていると思うと、朝出かける時、手を合わせてしまう。
妻と初めて抱き合った時、私はトラウマから解放されたような気がした。ずっと寂しいと思う気持ちが永遠に続くのは、自分の身体が人恋しさを欲しているからだと思っていた。それは間違いではないだろう。見つめられてドキッとしたのは、犬が死ぬ前とは状況が違うが、あれ以来だったように思う。白い肌に魅せられてしまった私は、犬の表情を思い出した後に、その顔を忘れることができたのだ。
――私をトラウマから救ってくれた女――
それが妻だったのだ。
しかし、実際に結婚してしまうと、真面目なだけがとりえの真知子に、少し疑問を抱き始めていた。それは真知子のせいではない。私の性格がそうさせるのだろう。
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次