短編集28(過去作品)
警笛が響く公園
警笛が響く公園
警笛の音が聞こえてくる。
いつも聞いている音なのに、今日は籠もって聞こえてくる。まるで、追悼の意を表しているようで、哀しく、虚しい。
いつものように仕事が終わり、普段どおりに駅へと向った。これといって寄るところもなく、駅へと真っ直ぐに向うのは今までと同じで、なるべく近くまで帰っていたいと思うからである。さらに仕事でくたくたに疲れ果てているのが一番の理由で、どこかに寄るにしても、帰りを考えると近くまで帰っていた方が、気持ち的にも楽だからである。最近は仕事が忙しいせいか、会社を出るのも遅く、夏でも真っ暗になってからの帰宅であった。
遅いには遅いでメリットもある。
電車に乗っている時間は二十分くらいのものなのだが、定時に仕事が終わって帰る電車内といえば、サラリーマンに学生と、いかにもラッシュ時らしい。座ることはおろか、立っていてもまわりのうるさい声には閉口してしまう。あまりうるさいのは腹が立つばかりで、仕事で疲れている時などは、こみ上げてくる怒りを抑えるのに必死だ。
電車を降りて、他の人の後ろをダラダラ歩くのが嫌な私は、いつも改札に一番近いところに陣取って、扉が開くや否や、自動改札をダッシュで駆け抜けていた。
しかし、最近の残業では、そんな気を遣う必要などない。電車の中はほとんど人がおらず、たまに酔っ払いがいて気分が悪いこともあるが、それ以外では苦になることもない。
ゆっくり座ってのんびりと車窓を眺めている。表は途中から完全な田舎風景へと変わり、表の景色よりも車内の景色がガラスに反射して見えるくらいである。
最初は本当に寂しかった。
――何が哀しくて、こんな寂しい電車で帰らなければならないんだ――
と自分に言い聞かせながら帰っていた。まだ忙しさが始まった頃は仕事の要領も分からず、遅くなることに違和感だけを感じ、ただ遅くなることで何とか仕事をしているという自己満足を得ようとしていたように思う。
それでも良かった。気分的に満足できれば、次の日への活力にもなるし、何よりも残業手当になるからだ。しかし、実際に仕事にも慣れ、要領が分かってくると、本当に情けなくなってくる。
――たったこれだけの資料をまとめるのに、こんなにも掛かったのか――
と思うようになれば、今度は要領よくできることで、一日も間にこなせる仕事量が増えていく。
効率のいいことを発見するたびに、
――これは実にいい――
と前向きに仕事ができるようになる。さらには、時間の感覚が麻痺してくるほどになってくると、あっという間に夜の八時近くになっているのだ。
充実感というのだろうか。今まで感じたことのない満足感を身体全体で感じていた。それだけに、帰宅時間にはへとへとになり、電車の揺れが心地よい睡魔となって襲ってくることもしばしばあった。
それでも眠らなかったのは、それだけ仕事での気力が余韻という形で残っているからだろう。何度か家に着いた瞬間、玄関先で寝てしまったなどということもあったくらいである。
「ガタン、ゴトン」
電車が揺れると警笛が鳴った。途中何度もカーブを曲がり、山間を縫うようにして田舎へと入っていく。昼間だったら緑の綺麗な景色を楽しめるのだが、夜の帳がすっかり下りて、あたりは漆黒の闇。どこまで行っても消えることのない闇にそれこそ吸い込まれそうな気分で車窓を眺めながら帰っていたのだ。
警笛の音で眠りかかった頭がシャキッとすることもある。だが逆に警笛の音で身体の力が抜けるような気分になる時もあるのだ。
途中にいくつもある踏み切りから赤い光が入ってくる。近づいてくる時と、遠ざかっていく時の警笛の違いをいつも感じていた。
――ドップラー効果――
高校で習った物理の授業を思い出す。音のドップラーを利用して速度を図ることができるのはセンセーショナルな感動を私に与えてくれた。
「野球で用いるスピードガンなどが、そうなんだ」
と聞かされて、救急車や、踏み切りの音などを気にしていたものだ。物理の授業は嫌いだったが、生活に密着していたり、新型として開発された機械などの話になると、途端に興味を示して授業に集中していた。物理の授業だけではない。他の授業などでも、興味のあることは一杯あった。
――学校の勉強というより、学問としての勉強をしてみたかった――
と今さらながらに思っている。そう感じているのは私だけではないだろう。
帰りの時間は実に中途半端なものだった。早い時間であれば、通勤ラッシュに重なり、もう少し遅ければ、今度は呑んで帰る人たちで多かったりする。ある意味一番楽な時間であるのも事実で、これが残業のメリットでもある。
一度、さらに一時間くらい遅く電車に乗ったことがあった。駅のホームに上がった瞬間から酔っ払いの酷さには閉口してしまい。大声であたりを憚ることなく話をしている連中もいれば、バカ笑いをまわりに撒き散らしているやつもいる。こちらは仕事で疲れているのに、何とも腹の立つ連中である。
私はあまり呑める方ではない。すぐに顔が真っ赤になり、ベロベロになるまで酔うなどということはない。自分が分からなくなるまで呑む前につぶれるのが関の山だ。まだ、それほど仕事が忙しくない時に何度か誘われたこともあったが、あまり付き合った経験はない。正直、会社の連中と呑みにいっても面白くない。なぜなら、話題といえば、仕事の話か、上司のグチである。仕事の話が架橋に入ってくると、お約束で上司のグチへと発展するパターンなのだ。
会社を離れてまで仕事の話はしたくない。しかし、これといった話題があるわけでもなく、仕方なしに話題が仕事の話になるのも自然な流れだ。皆が口に出さずとも思っている上司へのグチも、アルコールが入っていると露骨になってしまう。あまり酔うことのできない私には、苦痛でしかない。むしろそんな話題なので、酔えないといっても過言ではない。
あまり酔えない理由に、
――ここから帰るまでが大変なんだ――
というのもある。
たいていは会社の近くで呑むため、私のように通勤電車で帰って、駅を降りてさらに徒歩で数十分のところだと、なかなか酔うというのも辛いものだ。他の連中は、会社の近くが多いので、呑んでいてもそれほど苦痛を感じずに帰れるはずだ。酔い潰れれば、タクシーに乗ってしまえばいいのだ。
私が彼らに付き合ったのは、数回程度のもの、呑んで帰るとすれば、一人で家の近くの焼き鳥屋というのが、夕食を兼ねて寄る程度のものである。
酔っ払いを乗せた電車というのは無法地帯だった。バカ笑いや大声もさることながら、携帯電話の着信音がいたるところで聞こえ、電車内であるにもかかわらず、大声で話している。すぐに切ればいいものをくだらない話に花を咲かせている。聞きたくもない話が嫌
でも耳に入ってくるのである。苦痛以外の何ものでもない。
それが、九時半を過ぎた頃の電車内の風景だった。
――一時間違うだけで、ここまで違うものだろうか――
と奇妙な気持ちにもなったくらいである。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次