短編集28(過去作品)
本音ではあるが、やはり女性に案内してもらえると思っただけで、胸の高鳴りを感じる。大学に入学すれば彼女を作ろうと考えていたが、その前に年上とはいえ、女性の知り合いができたということは嬉しいことだ。同じ入学してくる連中より一歩前に出たような気がして嬉しく感じる。
「あなた、名前は?」
「勤、田代勤っていいます」
「勤くんね。分かったわ」
泰子は私の顔をジロジロと見ていたが、
「小学生くらいの頃に、近くに住んでいた子に似ているんだけど、違うみたい。ジロジロ見てごめんなさい」
「え、いえ、いいんです。僕は女姉妹いないので、女性と話すこともあまりありませんでしたね」
「彼女とかいなかったの?」
「ええ、ほしいとは思ったのですが、なかなか」
確かに高校時代など、彼女がどうしてもほしかった時期があった。しかし、女の子と付き合っている友達は皆つっぱっているような連中ばっかりで、私にツッパリができるわけもなく、高校時代に彼女はできないものだと諦めていた。
「私もね。高校までは真面目だったの。眼鏡をかけていて後ろで三つ網をしたような髪型していたわ。それこそ目立たない石ころのような女の子だったわ」
今からでは想像できない。ストレートな髪型に見えたが、後ろは少しカールが掛かっていて、茶髪に染めた髪は唇に引いた真っ赤なルージュに映えていた。ミニスカートにロングブーツと、いかにも女子大生といった感じで、本当なら近づくことすら無理だっただろう。
まさかそんな女性が私に話し掛けてくるなど思ってもみなかった。大学に入って嫌というほど見ているうちに、次第に免疫がついてくることで話し掛けることができるだろうというくらいにしか考えていなかった。しかも年上である。高校を卒業したばかりの私に、到底太刀打ちできる相手ではないと思われた。
「大学というところは、そんなに人が変わってしまうものなんですか?」
「それはちょっと違うわね。変わってしまうんじゃなくって、本当の自分を見つけるところなの。もちろん、人の真似をする人もいるだろうけど、それでも自分に似合わないとそのうちに気付くものなの。だから、最後は結局自分の最適な鞘に納まってしまうのよ」
「そんなものなんですか? じゃあ、僕もそうなんでしょうね」
「ええ、そう。でも、最終的な判断は自分が下さないとダメなの。そうじゃないと本当の自分が分からないままの中途半端な性格が出来上がってしまうわ」
「難しいんですね」
「でも、だからこそ大学って楽しいところなのよ。いろいろな人がいて、いろいろなお話ができる。高校の頃って私もそうだったんだけど、どうしても自分を隠してしまうところがあるでしょう?」
確かにそうだ。皆同じ制服に身を包んで、同じカリキュラムで、極端にいえば同じような考えを植えつけられる。
――思春期の一番大切な時なのに……、いや、一番大切な時だから?
いろいろ考えるが、それも泰子と話している時に、考えていることだった。押し付けに対しての反発は、どうしても教育問題に関わってくることだろうと、かなり後になって考えていた。
「でも、本当にいろいろな人の集まりなのよ。それだけいろいろな本質を持った人がいるというべきかしら。だから楽しいのよ」
泰子の話を聞いていると、本当に楽しいところのようだ。しかし、少し怖いところもある。
「本当の自分に気付くっていうのも怖いものじゃないですか? 僕は少し怖い気がしますね」
「本当の自分が分からない方が怖いかも知れないわよ。特にいろいろな人がいる中ではね」
「そうなんですか?」
「自分に気付いた時の感動っていうのは、貴重なものよ。それが嬉しいことであっても、ガッカリすることであっても……」
遠くを見るような眼差しを見せた泰子は、きっと本当の自分に気付いた時のことを思い出しているのだろう。
「泰子さんはどっちだったんですか?」
「私はガッカリした方かも知れないわね。元々、もっと賑やかな方が好きで、いつも人の中心にいるようなタイプだと思っていたのよ。でも違ったわ」
下げた頭が印象的で、気持ちがすぐに顔や態度に表れる人なのだろう。それだけに人をまとめるのに向いていないのも想像できる。そういう性格をなかなか自分で把握するのは難しいのではないだろうか。すぐに態度に出る性格というのは、裏を返せばそれだけ正直な性格に思えて、私には好感が持てる。年上の女性という見方で見ていたが、しっかりした性格というよりも、可愛らしさを感じさせられるようでジックリと顔を見てみたかった。
最初は「お姉さん」というイメージが強かったが、次第に「可愛い」と感じるようになり、泰子の話を親身になって聞いている自分に気付く。
「あなたって優しいのね。一生懸命に聞いてくれる」
「きっと泰子さんの優しさに触れたからかも知れませんよ。どこが? って聞かれると答えにくいんですが、しいて言えば気持ちが表に表れるところですかね」
私は思っていたことをストレートに表現した。彼女であれば、ストレートな表現の方がいいと感じたからだ。なぜなら素直に理解してくれると感じたからで、そんな相手に含みを持たせたような表現は無用である。
――母親に似ている――
そのことをハッキリと感じたのは、会うようになって何回かしてからだったが、初めて会った時にも、おぼろげながら感じていたような気がする。
泰子とはその後大学を案内してもらい、私が入学してからも、ずっと一緒にいることが多かった。それが恋人同士と呼べるものだということに最初は気づかなかったが、それだけ一緒にいることが自然だったのかも知れない。
大学に入ると家庭は完全に凍り付いてしまったかのようだった。家に帰れば、皆無言である。最初は夫婦の会話がないだけだったが、そのうちに母が私に話しかけることもなくなっていた。いつも自分の気持ちを素直に表に表わしていた母が、次第に何も言わなくなる。どう見ても自分の殻に閉じこもっていくようで、それをどうすることもできない自分に腹も立った。
「女ってね、ギリギリのところまでは我慢するの。でも、それが我慢できなくなったら、その人の性格にもよるんだろうけど、心を開かせるのは難しいわね」
泰子が話してくれた。女という表現を使っていたが、それが女性全般に言えることなのか、それとも泰子自身に言えることなのか判断に苦しんだ。しかし、少なくとも私の母には言えるに違いない。そう考えながら母を見ていると、私自身、どうしていいか分からなかった。
私は思いきって家を出ようと考えた。大学の近くにアパートを借りて一人暮らしを始める。元々そんなことを考えたことなどなかったが、それは泰子の意見でもあった。
「僕が家を出たら、両親は離婚するかも知れない」
「そんなにギクシャクしているの?」
「ああ、僕にはそう見えるんだ。父も母も頑として口を開こうとしないんだ」
「それならなおさら二人だけの方がいいかも知れないわ。もしそれで修復しないんだったら、別れた方がいいことだってある。ズルズル引っ張っていくと却って膨大なエネルギーを使うことになるし、しこりだって残るかも知れないのよ」
泰子の両親は中学の時に別れたらしい。説得力はある。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次