短編集28(過去作品)
暗黒の世界を想像することは頭の中ではできない。だが、実際に見えている世界の裏に暗黒の世界が広がっているように思えてならないのは気のせいではないだろう。こうしている一寸先を想像することは不可能なのと同じで、暗黒の世界を想像することも不可能なのだ。一寸先だってすぐそこにあるものかどうか分からない。目を瞑った瞬間にまったく違う世界が広がっていないと誰が言い切れるだろう。疑い出せばきりがない。
赤石は以前見た映画を思い出していた。
船が遭難して、数人がどこかの無人島へと流れ着く、そこは火山地帯とジャングル地帯に別れているが、食料があるであろうジャングル地帯には、危なくて近づけない。食料の補給に行った一人のものがジャングルに入ったまま帰ってこないのだ。火山地帯には食料などない。幸い水だけは何とか近くの川で補給できるので、命だけは持たせることができるが、それだけである。
食料がなくては、衰弱してそのまま死を待つだけである。
何の希望もない。あるのは不安と絶望だけだ。精神的におかしくならない方がどうかしている。助けが来るわけもない。彼らは他の人と接することもなく、待っているものは死あるのみである。
最初の頃はさすがに人間としての理性を持っていたが、そのうちに残るのは動物としての本能だけである。
「食べなければ死んでしまう」
それだけが頭に残った。
「食料のないところでどうやって?」
そのうちに体力や気力のない者が絶命していく。苦しみながらの死ではないことが、せめてもの救いで、苦しみを目の前で見せ付けられれば、皆その瞬間に気が狂ってしまっていただろう。
絶命した仲間を手厚く葬ってあげられるだけの気力など残っていない。皆感覚が麻痺していた。
一人がおもむろに呟く。
「食料……」
目の前にあるのは、さっきまで生きていて、絶命した仲間の屍だった。今までじっとしていた連中の視線が一瞬、屍に向けられる。明らかにさっきまでとは目の色が違う。カッと見開いた先にある屍を見て、誰の目にも明かりが差し込み、光ったように見えたのだ。
映画といえども、そのシーンだけはゾッとするほどリアルだった。その顔が印象的で忘れられない。それから目の前で繰り広げられた光景、人間の倫理を鋭く切り裂いた映画であった。
倫理というものに挑戦する映画だった。それも実際にあった話をモチーフにしているようで、今では考えられない話である。しかし、戦時中のように食料がない時代に、兵隊がどこかに取り残されたとしたらどうだろう。どうやら実際にあった話とはそのあたりに存在しそうである。
その映画を見た時、赤石は初めて死というものを考えたように思う。それまでは、寿命がくれば死を迎えるだろうというくらいにしか考えていなかったが、一歩間違えれば自分にもすぐ横に死というものが控えているのではないかと感じたからだ。
映画のように早く死んでしまえば、後に残った者から食われてしまう。後に残った者も食わなければ自分も死んでしまう。
法律的に緊急避難というものがあり、相手を犠牲にしなければ自分が生きられないような究極の場面などがそうである。例えば船が沈んだ時に一枚の板があった場合、一人なら大丈夫なのだが、二人であれば確実に二人とも死んでしまうといった場面で、相手を板に捕まらせないようにして見殺しにしても、それを罪に問われることはない。
それも本当に二人では絶対に沈んでしまうのかという細かいことは誰にも分からない。状況が極限状態であるということ、そして、自分が生き残らなければならないために相手を犠牲にしたという事実だけが存在するのだ。
だが、いくら法律で罪に問われることがないとはいえ、罪悪感が一生消えることはないだろう。無事に生還でき、気持ちに余裕ができれば、余計に罪悪感に苛まれてしまうのは仕方のないこと。しかも、人間の肉を食らうということは、昔から人間のタブーの一つとされてきた。
「私の身体の中に、もう一人いるんだ」
と次第に自分が分からなくなってくる。
映画のラストで、主人公の男は気が狂ってしまう。理性に過去の悪夢が忘れられず、葛藤の中で苦しんでいるのだ。見えないはずのものが見えたり、幻聴が聞こえたり、それだけでも男の神経は蝕まれ衰弱していく。そして最後は自ら命を絶つのだった……。
ラストシーンも死に対しての挑戦のような話であった。主人公が死を選ぶというストーリー展開はそれなりに想像がついたが、見終わった後でも、心の中に深く刻まれたことも事実であった。
その映画を見てから映画館を見ると、すでに日が暮れていた。まわりはネオンで煌びやかだったが、どうもいつものネオンサインとは違う雰囲気がして仕方がない。あまりにもネオンの一つ一つの明るさがハッキリしすぎているように感じられた。
「視力が戻ったみたいだ」
その頃の赤石は、視力の低下を少し気にしていた。ネオンサインを見てもぼやけて見えて、明かりがにじんでいるようで、そのすべてが大きく重なって見えるようだった。しかしその時は以前のようにくっきりと明かりの一つ一つが確認できたのだ。映画の余韻に浸っているので、意識がぼんやりしているのではないかと思ったが、却ってしっかりしているようだ。
気が狂ってしまった映画の主人公、その表情が忘れられない。虚ろな表情に見えるのだが、目はカッと見開いて何かを見ている。虚空を見つめているその目が怪しく光った時、その瞳が緑色に変色したように感じた。映画の特撮効果なのだろうが、死んでいったものの魂が彼の中で生きているということを徐実に表現していて、それがリアルさを誘う。
まるで瞳の奥で食われてしまった男が生きているようだ。時々男の魂が現われ、自分を表現しようとする。恨みというわけではないのだろうが、主人公の理性と戦っているように感じられるのだ。
映画は、宗教的な要素も深かったようで、人肉を食らうという究極のテーマを、「いけないこと」として描いている。少なくとも、究極のテーマを描くとすれば大なり小なり、同じような教訓を与えるようなラストに仕上がるだろう。
表に出て見たネオンサインでやけに緑色が気になったのは、映画で見た主人公の瞳に写った緑の閃光に魅せられたからだろう。それにしてもあまりにも鮮明すぎるのが気になるというものだ。
緑色というより青に近いように思う。鮮やかな色は緑と言うよりも青色なのだということを知ったのもその時だったように思う。
信号機を見た時の青、その時ほど鮮やかだったことは、いまだかつてなかったことだった。
「あの時は鬱だったのかな?」
後から思えば、それが初めての鬱への入り口だったように思う。
鬱に入る時は自分で分かるものだ。それは赤石だけの意見ではなく、以前に洋介が話していたのを思い出した。
「このことだったんだ……」
その時に思い知ったような気がした。
すべてにおいて、洋介が感じることをその後にだいぶ経ってから感じている赤石だったが、洋介がまるで違う人種のようにも見えていた。
「何となく洋介の気持ちが分かるような気がする」
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次