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短編集28(過去作品)

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 そう感じる自分が怖い赤石だったが、彼が行った先が地獄か極楽か、それが気になってきた。もちろん今まで死後の世界など真剣に考えたこともない。確かにイメージを描いていて、地獄は嫌だと漠然と考えていたが、自殺を考えたことがあるわけでもなく、死というものを目前に考えたこともない。それだけに洋介の考えがおぼろげだが分かってきた自分が恐ろしいのだ。
 赤石は今、屋上のほこらから目が離せない。そこでメラメラと消えることなく燃えているろうそくの火が少しずつ赤みがかってくるのを感じていた。線香の香りとあいまって、そこから視線を逸らすことができない。その間に地獄を想像したり、以前に見た映画を思い出したりしているうちに、生前の洋介を思い出していた。
 洋介という男、それほど神経質な男ではなかった。どちらかというと赤石の方が神経質で、細かいことを気にする男である。月と太陽の話をしている時でも激論を戦わせていたが、論理立てて考えていたのは、むしろ彼の方だったように思えてならない。
 線香の臭いを嗅いでいると、洋介の告別式を思い出す。告別式に出たのはその時が始めてで、木魚と読経が今でも耳にこびり付いて離れない。
 そんな中で今こうしてほこらのろうそくを見ながら線香の香りを嗅ぎながら洋介の顔を思い出そうとするのだが、なぜかぼやけて思い出せない。
「そういえば、どんな顔をしていたっけ」
 何となく遺影の顔は思い出せるのだが、それ以外はピンと来ない。
 なぜか浮かんでくる断末魔の表情。その顔に見覚えがあるのだが、どうにも洋介のように思えない。この世のものとは思えないその顔は、誰のものなのかを考えているが、どうにもハッキリとは分からないのだ。
 それだけあまりにも凄まじいものだからだろうか?
 断末魔の形相を自分で想像するなど今までにはなかったことだ。それだけショックだった洋介の死。それが自分に無関係だとどうしても思えない洋介。
 次第に断末魔の表情が近寄ってくるように感じるのは、赤石がほこらに向って歩んでいるからだろうか。
 ほこらに近づいた赤石は、その中をそっと覗き込んだ。中から一塵の風が吹いてきているようでろうそくの炎が横に揺れている。
 炎からかすかに上がるすすが、まるでほこらを焦がすのではないかと感じられるのは、それこそ目の錯覚だろう。しかし、線香の香りが感覚を麻痺させているのが分かっているので、それ以上炎が大きくならないような気がしている。
 思わずほこらの中に顔を突っ込んで線香の臭いを嗅いでいると、後ろから誰かの気配を感じて思わず振り向いた。だがそこに誰かがいるわけではなく、ただ感じるのは風だけだった。
 もう一度ほこらを見るが、どうしても背中に視線を感じるのである。
「今度こそ誰かがいる」
 振り向くとそこには、一人の初老の男性が立っていた。
 その男はほこらを覗いている赤石に熱い視線を送っていたが、すぐに踵を返すようにしながら屋上の柵の方へと向っている。
 その先にはこの間洋介が飛び降りたところがあるのだが、洋介が飛び降りたところと寸分狂わない場所へと向っているように思える。
「洋介は同じようにあそこに向ったんだ」
 そう思えて仕方がない。
「危ないですよ」
 声になったか分からない。いや、きっと声になっていないはずだ。心の底で、
「彼を止めてはいけないんだ」
 と思っている自分に気付く赤石、なぜそう感じるのか、分かっているくせにそれを認めたくないのだ。
 男は無表情のまま、飛び降りの体勢に入っている。じっと見つめている赤石にはどうすることもできない。止めることができないという思い、そして、男が誰だか分かっているが、それを認めたくない思い、それぞれの思いが交錯し、赤石の頭の中で錯乱しているようだ。
 赤石はかなしばりに遭っている。目の前の男はじっと屋上から下を見ているが、その時は赤石の方を意識していないようだ。それがどれくらいの長さなのか分からなかったが、赤石にはかなりの長さに感じられた。
 男の表情に顔色は感じられない。土色かかっているという表現がピッタリで、日が落ちたあとの一瞬灰色になる時と同化しているように見えるのも気のせいではないだろう。男に気を取られていたは、もう一度ほこらを振り返ってみると、ろうそくの炎が強くなっていた。
「燃え落ちる寸前にろうそくは激しい炎を上げるというが」
 思わずそんな言葉を思い出した。
 かなしばりに遭う中で、下をじっと見ている男が見えているものが、目を瞑れば瞼の裏に浮かんでくる気がしてくる。さっき、男が覗いているところから覗いた時の下までの距離よりもさらに遠く感じているのではないだろうか。風はさらに強く、まるでそこに人を近づけないようにしようという心遣いのようなものを感じる。
「天使か悪魔か」
 果たしてどちらの仕業だろう? 男がどこのどういう人か分からないが、目の前で飛び込もうとしている人がいて、赤石も平気でいられるはずがない。
「参ったな。何も自分の見ているところで死ななくてもいいのに、どうせ死ぬならどこか他でやってくれ」
 という思いもある。それだけ目の前で今から起こるであろうことを他人事のように見ているのだ。ろうそくが激しい炎を上げる。それを見ていて自分の瞳が焦がされるような気持ちになると、今度はろうそくから目が離せなくなってくる。
 男の行動も気になるのだが、ろうそくから目が離せないのだから仕方がない。これも見たくないものを見ないようにしようという自分の本能がそうさせるのだろうか。
 背中で男の気配を感じているが、視線を感じることはなくなった。
 もう男はこちらを見ていない。
「あぁ〜〜」
 糸を引くような声が次第に遠ざかっていく。グシャっという砕ける音がしたのを聞いたかどうか定かではない。明らかに男はここから飛び降りたのだ。思わず耳を塞ごうとしたが間に合わない。瞬間を見なかっただけでもよかったと思えばいいのだろうか。
 それにしても遠ざかっていく時の糸を引く声の不気味だったこと、まるで自分が叫んだような錯覚に陥ってしまっていた。
 頭の中にある洋介とした月と太陽の話を思い出している。自分が月で洋介は太陽だ。太陽である洋介は突然消えてしまった。まわりを照らすものが何もないなか、月である自分がどうやって光ればいいというのだろう。
 しかし赤石はそれから数十年は生きるのだ。そしてその結末がどうなるか、その時分かったのだ。未来を知ってしまうということがパラドックスだということは分かっている。なぜ、厳禁である未来を知ることができたのかまで、赤石には分からない。
 そういえば、最近昔のことをよく思い出すようになった。
 洋介が死んでからそこのマンションの屋上で自殺したのを含め、事故で死ぬ人が増えたらしい。そのためか、気持ち悪がった管理人が慰霊の意味も込めて屋上に一つの小さなほこらを作ったのだ。
 そのほこらの横にはそこで自殺した人、あるいは不幸にも事故で亡くなった人の名前が掘り込まれている。その中に洋介から数えて七人目、ちょうど洋介が飛び降りて十五年目のところに掘り込まれている文字は、「赤石三郎」と書かれていた。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次