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短編集28(過去作品)

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 人は極限状態に陥ると笑い出すという。まるで気が狂ったかのような形相になって、笑い出すらしい。昔の処刑された人々はどうだったのだろう? 謀反を起こした首謀者であったり、クーデターの犠牲となった、当時の国家元首であったり、戦国時代の敵武将であったり、斬首された人たちのことを考えてしまう。いや、歴史上あまり表に出てこないが、敵将の肉親というだけで、幼い子供たちまでもが斬首されることもあったようだ。相手の血族を根絶やしにしないと、いずれ自分たちや自分の親族に災難が降りかかるといものである。平清盛と源頼朝しかりである。
 いくら時代が違い、死を恐れることのない武将であったとしても、死から逃れることのできないと分かった状況に身を置いて考えることとは一体何だったのだろう。どんなに考えてもあと数時間で自分の命は終わるのである。その心境たるや想像を絶するものがあるはずだ。
 読経していた人も多いだろう。この世の未練を残すことなく死んでいこうと思っていた人もいるだろう。死んだらそこで終わってしまうと皆思ったのだろうか? いや、きっとその先の世界を思い描いていたに違いない。できれば行きたい極楽浄土、間違っても責め苦しかない地獄になど行きたくはない。だからこそ読経に勤しんでいたのではないだろうか。
 今の時代であっても、死を前にした人は、自分が行ってきたことを振り返るだろう。極楽か地獄か、それを考えているに違いない。それは普段から考えることのない死というものを考えるからだ。なるべく考えたくないのが死というものであり、生きるために頑張っているからだ。
 洋介は極楽だろうか、それとも地獄だろうか?
 少なくとも知り合いは極楽にいてほしいと思う。しかし彼のように自らが命を絶った者が本当に極楽に行けるのだろうか? 何をどう考えても架空の空想、すべてに疑問符がついてしまう。
 一体何を考えているんだろう?
 赤石は考える。死んだ人のことを考えていると、どうしても気が滅入ってきてしまい、生きることへの疑問を感じてしまう。
――このままでは鬱状態に入り込んでしまう――
 今までにも何度となく鬱状態に陥ったことがあったが、その原因は漠然としていた。楽しいことを考えることが多かったはずなのに、いきなり鬱状態への入り口を感じたと思えば、もうダメなのだ。そこから先に待っているものは、今まで見ていた同じ世界なのだが、違う世界のように思えてくる。どこが変わったというわけではないが、しいて言えば色が違い、少し臭いもしているように思う。
 黄色かかった色である。黄色のサングラスを掛けて見ているような感じで、太陽を見ているといつも黄昏たように見えている。眩しさはそれなりなのだが、刺すような痛さを感じることはない。まるで痛みを感じることもなく、身体の感覚が麻痺しているようだ。
 感覚がないといっても、いつもだるさを感じているようで、身体が火照っているように感じる。時々感じる身体の熱さは、そのせいで感覚が麻痺しているのではないかと思わせるほどで、まるで肉離れを起こしたような痛さであるが、すぐに痛さも麻痺してしまう。そんなことを繰り返していると、次第に気分が滅入ってくるのか、鬱状態に陥ってしまうのだ。
 感じる臭いは石が焼けるような臭いという表現がピッタリではないだろうか。
 石が焼けるというと、アスファルトが太陽に照らされて熱くなっているところに、雨が降ったようなそんな臭いだ。熱くなったところへ雨によってできる水蒸気が埃も一緒に蒸発させるために起こる臭いなのだろうが、何ともいえない臭いがする。
 それと同じような臭いを感じることがあった。
 小学生の頃わんぱく坊主だった赤石は、ケガが絶えない子供だった。よく危険な遊びをしてはケガをしていたものだ。今から思えば、よく後遺症の残るようなケガがなくてよかったと思うくらいで、それでも骨を折ったり、全治数ヶ月のケガは結構起こしていた。
 そんな時に木から落ちたりしたこともあったが、急に枝が折れてしまって、背中から落ちてしまったのだ。運悪く背中のところに小石があったから溜まらない。
「ウゲッ」
 声にもならない悲鳴とはこのことだろう。本当に声になったかどうか分からない。自分では声を出したつもりなのだが、きっと声になっていなかっただろう。なぜなら、一瞬呼吸ができなくなってしまったからである。
 本当に一瞬だったのか?
 それも分からない。痛さを背中で感じながら、麻痺していくように身体が痺れたかと思うと、呼吸ができないのだ。あっという間だったと思うのは後から考えるからなのかも知れない。
 そんな時に感じる臭い、それが石の炊けるような臭いだ。アスファルトに降った雨が蒸発する時の臭いだと、感じた瞬間にすぐに分かってしまう。実に不思議なことだ。
 身体が覚えている臭いということなのだろう。臭いを感じるとすぐにアスファルトを連想してしまう。
 鬱状態の時に感じる色の違いは、いつも夕方を思わせる。そのくせ夜になると煌びやかなネオンが却って鮮やかに感じられるようになり、却って不気味さを感じない。本当の暗闇がどんなものかを知らないからかも知れないが、知ってしまえばきっと恐ろしさから立ち直ることができないだろう。
 鬱状態の時でも、「死にたい」と感じないのは、そのためだと思う。暗闇の本当の恐ろしさというものを知ってしまえば鬱状態でない時でも死にたくなるのではないだろうか。赤石は洋介が飛び降りた屋上から下を眺め、そう感じていた。
 真の暗闇というのがどれほどの恐ろしさか、想像もつかない。ライトがいきなり消えた時のような残像も残らず、まわりの気配を感じることもできないように思う。足を一歩踏み出すだけでどれだけの勇気がいることだろうか。踏み出した先が断崖絶壁かも知れない。どこに安全な場所があるというのだろう。すべての人間が息を潜めて、蠢いていることだろう。
 暗闇のことを考えると今実際に見ている目の前の光景を、それすら本当なのかと疑ってみたくなる。今までに実際に見えている光景を疑ったことなどなかった。自分の目には絶対の自信がある。それは赤石だけではないだろう。自信がなければ何もできるはずがないのだ。人間、一つ何かを疑えば、それが消えることは永遠にないだろう。
 人と人との信頼は相手の言葉や表情で自分が判断するものである。目の前に見えているものすべてが本物だという前提の元にすべてを判断することになるのだ。それが信じられなければどうしようもない。
 自殺をしたくなる人間は、暗闇の恐怖を垣間見ていたのではないだろうか? 果てしない暗闇の恐怖、そこから先は果てしない不信感であり、それが他人に向けられるものであっても自分に向けられるものであっても終わることがないだろう。
 そう考えると、死を恐れない気持ちも分かるような気がしてきた。上から見下ろした時の恐怖、それを恐怖と感じないほどに自信喪失していれば、恐怖感もなくなっている。そこに自殺の理由などいらない。
――恐怖から逃れたい――
 その一心だけが存在するだけなのだ。
 今実際に見ている明かりのある世界。暗黒の世界とは別世界なのだろうか?
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次