短編集28(過去作品)
自殺した人がどれほどの気持ちで自殺したのか分からないが、それを肴にして楽しんでいる人たちがいるのは、実に悲しいことだと思う。しかし、もっと哀しいのは、ほとぼりが冷めると、そんなことに誰も見向きもしなくなることだ。週刊誌のネタに踊らされていろいろなあることないこと勝手な話題を盛り上げ、話を大きくしているくせに、時間が経てばバッサリと切って次のネタに走る。実に嘆かわしいことだ。
だから、赤石は最初からそんな話題に乗ろうとはしない。まるで死んでしまった人を冒涜しているように思うからだ。
洋介の死は結局自殺として片付けられた。予備校で何かがあったのか、それとも、一人で悩んだ末に最後は自分を追い詰めるようなことになってしまったのか分からないが、状況から考えると自殺以外には考えられない。もちろん、状況証拠だけの空論に過ぎないのだが……。
なぜ赤石は洋介の死んだところを訪れ、下を眺めてみようと思ったのだろう? この場所に来るのは初めてだった。ここは、洋介の住んでいるマンションというわけでもなく、誰か知っている人がいるマンションというわけでもない。なぜここが選ばれたのか謎だった。
下ばかり見ていて気持ち悪くなった赤石は、まわりの景色を見てみることにした。遠くに山が見えるが、まるで同じ高さに思えてくるような錯覚を覚えた。山肌の緑が美しく、
「遠くから見るから綺麗だけど、近づくと、案外汚いものなのかも知れないな」
と独り言を呟いていた。
山に西日が当たって、緑で彩られたところが綺麗に光っている。まだらになって見えてきて、木々一本一本が確認できそうなくらいである。それぞれに影ができていて、もう少し近ければ、山肌の立体をクッキリと確認できるに違いない。柵を五本の指すべてで掴み、顔を柵に近づけて、まるでかぶりつきのような状態で見ている。今までにこれほど鮮やかな山肌を見たことなどなかったに違いない。
見ているうちに次第に遠くなっていくような気持ちになってきた。あれほど鮮やかに見えていた木々が、ぼやけて見えてきたからである。目が慣れてきたのか、それとも西日の移動で、先ほどまでの鮮やかさを感じなくなったのだろうか。きっとどちらも原因の一つとなっているはずだ。
だが本当にそれだけだろうか?
赤石はそれ以外にも原因があるような気がして仕方がない。
ここから見ていると、最初に見えていたものが次第に遠ざかって見えてくるようだ。吸い寄せられる感覚があるのも仕方のないことではないだろうか。風の誘発もある。高所恐怖症でなくとも、恐ろしいところであることは間違いないように思う。
高いところから下を見ていると、まるで自分の気が狂ったのではないかと思えてくる。遠くに見えるものが自分を呼んでいるように思えてきて、飛び込みたくなるのもそのせいではないだろうか。何かに呼ばれているような気がしてくるのは、何か幻聴が聞こえているようにも思え、目の前に広がった世界が変わって見える。
まず色からして違う。
真黄色とまではいかないが、黄砂が降り注いだような世界を見せてくれる。夜と昼で信号の色の違いを感じるが、まさしくそれと似たところがあるようだ。
明るい昼間に見るよりも、暗い中で浮かび上がる蛍光は、鮮やかな青と赤を見せてくれる。それに比べて昼はまわりの明るさのため目立たないのか、緑だったり、ピンクかかった赤に見えてくるのだ。何となく黄色かかっているといってもいい。まさしく気が狂ったかに思えるような状態である。
子供の頃に、昼に見る信号と夜に見る信号の色の違いに、真剣に悩んだものだ。今ではごく当たり前のこととして気にもならないが、小学生の頃などは、きっとこんな感覚は自分だけで、
「人に聞くにも勇気がないし、もし、おかしいのは君だけだといわれたらどうしよう」
などという疑念を抱いていたものだ。何が恐いといって、自分だけだったらどうしようという思いが一番恐ろしかった。他の人にもありえることであれば、恐くも何ともないのだが、それを確認する術を知らなかった。人に聞いて違うといわれた時に感じる孤独感と憔悴、果たして耐えられただろうか。
色以外に感じるのは、目の前に広がる光景の幅である。大きさといってもいいだろうが、自分がおかしいと感じてくると視界の幅が心なしか広がったように見えてくる。ワイドな画像が目の前に飛び込んでくるのだ。
しかし、個々を見ていると、その一つ一つは小さいのである。距離感が麻痺しているのか、遠いものが大きく見えたり、目の前のものが小さく見えたりするのだ。まるで、幾何学模様にデザインされた天井を見ているような時に感じる錯覚である。和室での木目調の天井にも同じことがいえるだろう。
そんな不思議な感覚が周期的にあるのだ。自分ではそれを躁鬱症のようなものだと自覚しているが、それを感じ始めたのは中学に入った頃からであった。
それまでにも同じような感覚があったような気がする。しかしあまりにも漠然としていて、後から思い出そうとすると、霧に包まれているように思えてくる。
子供の頃の記憶は夢の中とよく似ている。思い出そうとすればするほど思い出せないものだ。それは目が覚めるにしたがって忘れていく夢のようである。
洋介の飛び降りたマンションの屋上には、ほこらが立っている。小さなほこらだが、真っ赤な色が印象的で、じっと見ていると赤鬼のように思えてくる。
中学の頃だっただろうか。ホラー小説を好んで読んでいたが、その時に印象に残ったのが地獄をイメージした話だった。閻魔大王によって下された審判で、地獄に送られた人はその責め苦に苦しめられる様を描いていた。少し話題になったこともあってか、映画化された。さすがに賛否両論ありロードショーが途中で打ち切りということにまでなったが、それだけに赤石にとってセンセーショナルであった。
最初に原作を読んで映画を見たのだが、原作のインスピレーションをはるかにしのぐ映像に度肝を抜かれたものだが、そのあとさらに原作を読み直した。するとどうだろう。あれほど衝撃を受けた映像だったにもかかわらず、原作がさらにすさまじいイメージを植え付けてくれる。一度映像を見てしまうと、普通であればそのイメージが強く残っているためにそれほどの衝撃を受けないものだが、この作品に感じてだけは、そんなことはなかった。脳天を杭で打ち抜かれたような衝撃である。
先ほどから風の中に混じって暖かい空気を感じていたが、どうやらほこらから沸いて出ているような気がしてならない。小さなほこらの中央にろうそくが二本立っていて、その真ん中から線香の煙が細い線を形成している。
こちらではさすがに屋上らしい風を感じているにもかかわらず、線香の細い線はほとんど真っ直ぐに真上を向いている。暖かい空気を感じるのも風がないのを分かっているからではないだろうか。
それにしても、なぜか誰もいないのにろうそくがついていて、線香の煙がたなびいている。赤石がここに上がってきてからかなり時間が経っているだろう。そういえばここに上がってきた時に、ほこらを気にしたのではなかったか。あの時は線香やろうそくなどに気がつかなかった。ついていれば分かりそうなものである。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次