短編集28(過去作品)
月と太陽の話
月と太陽の話
月と太陽が一緒に存在できる世界があるのだろうか? 赤石三郎は考える。
天体について考えるのは学生時代から好きだった。友達とSF映画を見に行って、帰りによく激論を戦わせたものだ。
月と太陽は表裏一体。どちらかが表に出ている時はどちらかが隠れている。まるで裏表を同時に見るようなものだと思っていた。同じように丸いではないか。
「俺は太陽が好きだな。何と言っても華だし、当りを照らしているという自負もある」
そう友達の洋介は話していた。
「いや、俺は月が好きだな。いろいろロマンチックな話が生まれるのも月からだし、魅惑めいたものを感じるじゃないか。言い知れぬ魅力だね。太陽にはそんなものはない」
赤石も言い返す。
「だけど、月がなくとも生きていけるが、太陽がないと、我々は一瞬にして生命を失うと思うが?」
友達も負けていない。
「それはそうだが、月だってなくなればどうなるか分からない。潮の満ち干きだって月の引力の影響なんだぜ、なくなればバランスが崩れてきっと予期せぬ恐ろしいことが起きるに違いないさ」
論議が白熱し、激論へと化していた。
そもそも赤石は洋介のような意見を持っていた。明るくて大きなものが一番強く、一番気になるものだと思っていたのだ。だが、月というものを気にし始めると、妖艶な雰囲気を持っていることが、まるで大人の雰囲気でもあるかのように気になり始めた。
黄色い月が真っ赤に見えることがあるのだと聞かされたことがあった。あれはおばあちゃんからだったと思うが、きっと昔の伝説ではなかろうか。そういえば月に関する伝説やおとぎばなしは昔からかなりあるではないか。
かぐや姫の竹取物語などその代表作で、平安時代の和歌などで月を題材にしたものも多い。特に女性の肉体的な周期の月を匂わせるようなニュアンスが神秘的で、微妙に年月日の単位である月とをダブらせて描いている。真っ赤な月のイメージは、まさに女性の身体の神秘を思わせるものである。
洋介とは小学生時代からの友達で、お互い腐れ縁だと思っているような仲だった。別れというのは突然訪れるものだということを思い知らされたのが、
「洋介君が亡くなったそうよ」
と母に聞かされた時だった。
その時の母の顔は今でも覚えている。ここまで色が失せてしまえば、土色に人の顔がなれるものなのかと思えるほど、変色していた。開けている口は尖っていて、まるで口笛でも吹きそうな表情ではあるが、目をカッと見開いている形相は、それまで見たこともないものだった。
だがそれは一瞬だった。後から考えるとそんな)顔になったのが本当にその時だったのか、疑いたくなるくらいである。自分の肉親ならいざ知らず、息子の友達が死んだという知らせで、ここまでの表情になるか、いささか不思議だった。
マンションの屋上からの転落死なのだが、当初、事故と自殺の両面から調べられた。しっかりと柵がしてあるマンションの屋上から事故ということは考えにくい。ちょうど大学入試の失敗という時期に重なったことで、受験失敗による飛び降り自殺として片づけられたのだ。
その頃はちょうど赤石が大学に入ってすぐだった。不幸にも同じ大学を目指していて、赤石だけが合格し、洋介は不合格だった。そのショックは計り知れないものがあったが、合格発表から既に数ヶ月が経っていた。理由がそれだけだったとは思えない。
洋介をよく知っている赤石としては、正直受験に失敗したことが自殺の原因だとは思えなかった。彼が落ちたというマンションの屋上には行ったことがある。確かにあそこから事故で転落したということは考えられないだろう。そういう意味で自殺という結論に間違いはないだろうが、理由を受験失敗だと簡単に決め付けられない自分がいるのだ。
「ここから落ちると痛いだろうな」
洋介が落ちたというところには花や穀物が置かれていて、生々しさがまだ残っているそんな頃、赤石は現場に足を踏み入れた。上から覗くとこれほど気持ち悪いことはない。別に自殺志願者でなくとも、こんなところから下を眺めていれば、まるで吸い寄せられるような錯覚に陥るのも無理のないことだろう。
「どんな風に落ちたのだろう?」
マンションには回転式の窓があり、それが開いていると突起物のようになって、まともに落ちるとぶつかってしまうかも知れない。
「もし開いていたら……」
そこに身体を打ちつけ、死ぬ前に痛い思いをするに違いない。
「きっと嫌だと思うだろうな」
その時、自分だったらと思いながら赤石は下を眺めていた。風が吹いてきたのがこれほど恐ろしいと思ったことはなかった。かなしばりにあったかのようである。
元々高所恐怖症だったはずの洋介である。まず、こんな高いところに一人で来たこと自体が赤石には分からなかった。下から見上げた時はそれほど高くないと思っていても、上から見下ろす時の高さ、その違いが恐ろしいのだと言っていた。その洋介がなぜこんな高いところに昇ったのか、そのことが信じられない。
洋介ばかりではない。高所恐怖症は赤石にも言えることだった。彼も高いところは苦手で、何よりも下を見ていると吸い込まれそうな気持ち悪さが嫌いだった。飛び降りたくなくとも、思わず足が竦んでしまって、いうことを利かなくなるのが恐ろしい。
風が背中を押す。
いくら柵より内側にいるから安全といっても、やはり高いところは恐ろしい。背中を押す風がどんなものでも突き破って自分を叩き落そうとするかのような錯覚に陥ってしまいそうだった。
上から見ていると影が長く伸びているのが不気味に感じられる。これが上から見た時に地面が遠く感じる理由なのだろう。その時赤石にはハッキリと分かった。もちろん、洋介もあまり高いところから真下を覗いたことがないだろうからそんな感覚がなかっただろうが、きっと飛び降りる時には感じたことだろう。その予想は何となくついた気がする。
何度となく新聞や雑誌で飛び降り自殺の記事を見る。特に芸能人や政治家などは雑誌の恰好のネタになるようで、面白おかしく書かれていることだろう。
「死んだ人間くらい放っておいてやればいいのに」
こう感じている人も少なくはないだろうが、そんな記事をまともに信じたり、一喜一憂したりする読者がいるから一向に減らないのだ。特に主婦という人種は、まことにそういう記事を好物としているようで、話題にすればどこまで発展してしまうか、想像もつかないほどである。
電車の中吊りなどで目にする週刊誌の紹介は、実に読者の心を捉えそうなものが多い。赤石などは、
「こんなもっともらしい話、あるわけないじゃないか」
と、ある意味冷めた目で見ているが、感受性の強い人や、話題に飢えている人には、たまらないのかも知れない。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次