短編集28(過去作品)
「生々しい感じが残っているからかも知れないね。でも、夢ってよく分からない。起きてしまえば、昨日見た夢でもかなり前に見たようにも感じるし、かなり前に見た夢を昨日見た夢のように急に思い出したりするんだ」
「でも不思議よね。今朝見た夢っていうのは、意識とは別に、本当に今日見たんだって思える何かがあるみたいなの。だからあなたの言う不思議な感覚は、私にも分かるの」
言葉にうまくできないことを、美咲は実にうまく表現してくれる。まるで私の考えていることが見透かされているようで気持ち悪いが、それでも私には美咲の考え方が新鮮に写るのだった。
美咲という女性と知り合えたことは私にとって素晴らしいことだった。付き合いは今でもある。しかし今では恋人同士というよりも友達のような関係である。別れたという感覚はないのだが、いつの間にか友達のような感覚になっていた。
その方がお互いにしっくり来るのかも知れない。私はあまりベタベタするのは好きな方ではなさそうだ。最初付き合い始めた時は、毎日でも、いや、ずっと一緒にいてもいいくらいに思っていた。それだけ話題も尽きなかったし、充実した時間を過ごせていた。
「あら、もうこんな時間」
「話をしていると時間なんてあっという間だね」
という会話が日常茶飯事だった。だが、いつも一緒にいたいと思っているのは、お互いの時間や都合を尊重しているからで、気持ちの昂ぶりを抑えられなくなって、絶えず一緒にいることを考えてしまうと、今度は億劫になってくることに気付いた。お互いに少し距離を持った方がいいと感じ始めたのが同じ時期だったことが、ずっと友達でいられる秘訣なのだ。今でも一番の友達である。これは間違いないことだ。
「離れそうで離れない適度な距離」
ということを感じるたびに、高校時代に私の前を歩いていて縮まらない距離の男性の存在を思い出す。顔はほとんど覚えていない。横顔を見て、ドキッとしたという感覚はあるのだが、西日に照らされて光っている顔だったり、漆黒の闇の中でかすかに灯る街灯に浮かび上がった不気味な顔だったりして、まともな顔の印象ではない。それだけがセンセーショナルなイメージを植えつけているわけではないが、おぼろげにしか思い出せないのは、ハッキリとその男の顔を見たからに違いない。
美咲にとって私とはどんな存在なのだろう?
美咲には今付き合っている人がいる。美咲は私にすぐ報告してくれた。
「今度私お付き合い始めたの。彼が私と付き合いたいって告白してきたからなんだけど、どう思う?」
「どう思うって、それは美咲が決めることではないのかな?」
美咲がどういうつもりで私に意見を求めてきたのか分からないが、私にとにかく何か意見をしてほしいのかも知れない。
美咲は、私と一緒にいて話をしている時は、難しい話などがすぐに出てくるが、他の人と話す時は、あまり自分の意見を話さないらしい。
「美咲って無口なのよ。こちらが意見を求めても、ハッキリと答えないし、きっと頭の中で意見の整理がついていないのかもね。こちらの話もどれだけ真剣に聞いてくれているか疑問に思う時もあるわ。なんとなく一生懸命に話している私の方が、馬鹿みたいに思えることがあるのよ」
美咲と私の共通の女友達に聞いた意見である。グチとまでいかないが、美咲に大事な話はしないということだった。話をしていても一方通行では、大切な話をしていても、虚しいだけである。
「あなたとだったら、色々な話ができるのよ」
駅を降りて帰り道の公園のベンチで話していた時に何度となく言われた。
しかもそのシチュエーションはいつも同じだったように思う。その時にハッキリ覚えているのが、目の前に植えてある大きな木の影の長さである。いつも足元近くまで来ていて、その影の形が歪に見えていた。
影というのは、自分の影のように、起点が自分にあれば綺麗な形で見えるのだが、そうでなければ形は歪である。元々の形が目の前にあるから何の影か分かるだけで、影だけを見て、元の形を想像するのが困難なことも往々にしてあるだろう。
木から伸びた影もそうである。だが目の前に伸びている影を、逆に木の根もとの方へと視線をずらしていった記憶が残っている。それを美咲が話してくれた、
「あなたとだったら、色々な話ができるのよ」
という言葉をさらにセンセーショナルな場面に演出してくれているのだ。
駅を降りて家までの帰り道には、いろいろな場面に出くわした記憶がある。特に公園の近くを通りかかった時、公園は線路沿いにあり、ベンチに座っている時に、嫌でも通り過ぎる電車を意識しないわけにはいかなかった。一人でベンチに座って考え事をすることがあった私は、通り過ぎる電車の中を無意識に目で追っていたように思う。
ベンチに一人で座って考え事をする癖は、高校時代からあり、今も続いている。仕事が忙しい時はまずないのだが、学生時代などは結構あったように思う。ちょうど、夕方沈みかけた西日を見ながら、影の長さを考えていて、気がつけば、電車の中の明かりを感じるほど、まわりが真っ暗になっていることもあった。公園を照らす街灯が、木に影をかすかに作っているが、多方向からの明かりなので、木の根元を中心に、放射状に広がった影を見ることができる。西日に照らされたセンセーショナルな感じではないが、気がつけば不気味さで目を離すことができなくなっていたりする。
美咲が付き合っていると言っている男と、どんな付き合いをしているか、ハッキリとは知らないが、私と一緒にいる時の方がイキイキしているのではないかと感じるのは、気のせいだろうか?
私以外の人と話をしていて、美咲が楽しそうな顔を想像するのは困難である。自意識過剰なのかも知れないが、実際に共通の女友達に聞いた話から想像すると、無理のないことのように思えて仕方がない。
美咲が私に何でも話してくれるのは、私の意見を知りたいからなのか、それとも自分の意見を吐き出したいからなのか分からない。だが、どちらも間違いではないように思う。美咲の話を貴重な意見として噛み砕き、自分なりの意見にして話を進めようと心掛けている私に対して、美咲は実に満足そうな表情をするのだ。きっと美咲も、私との会話を同じように考えているに違いなく、会話が果てしなく続き、時間の感覚を忘れさせてくれるのは、お互いに目が輝いて見えるからだろう。
お互いの相乗効果は、やはり適度な距離を持っているからに違いない。必要以上に男女関係というのを意識するでもなく、お互いに気持ちをぶつけ合って、言いたいことを吐き出しながら、結論を導き出そうとする。
「あなたとだったら、色々な話ができるのよ」
いつもこの言葉が頭の中に焼きついて離れない。
公園のベンチが気になり始めたのは、高校の頃からだった。中学時代までは、電車で通学ということもなかった。通学路がまったく違ったからなのだが、なぜかこの公園は気に入っていて、時々来ていた。公園の近くに友達がいたからであり、よく公園で話すこともあった。時間的にも夕日が沈む時間なのだが、それほど意識はなかった。
作品名:短編集28(過去作品) 作家名:森本晃次