異能性世界
時計はどこにあったのだろう? てっきりリナの家にあったものだと思っていたが、違ったのだろうか。西洋の城の絵は、似たような絵がたくさん出回っているだろうし、喫茶店などで飾るにはちょうどいいかも知れない。だが、喫茶店に飾ってある絵をいちいち気にして見ている人は、よほど絵に造詣の深い人でないといないだろう。それこそ、
――路傍の石――
そのものではないだろうか、目の前にあっても目立たない。気配を感じないので、あっても気づかない。喫茶店の中の絵には、存在感があるが、そこにあるというだけで、内容までは意識する人は少ないだろう。
まりえの表情を見ていて、どこか他人事に見えるのは、意識して見ていても、どこかに「路傍の石」を意識するものがあるからだろう。他人事に見える視線は、冷ややかで、その分、無意識に感じられる。他人事というのは、いい加減というよりも、無意識な気持ちの表れなのではないだろうか。
「まりえちゃんは、絵を描くのかい?」
「ええ、最近よく描くんですよ」
「どんな絵を描くんだい?」
「前は風景画が多かったんですけど、最近は人の顔を描くようになったんです。この間も近くの交差点で絵を描いていたんですけど、面白いもので、毎回同じ風景に見えるんですよ。これも同じ日を繰り返している反動のようなものじゃないかって思うんです」
「それは、同じ風景を見るから、同じ日を繰り返しているような錯覚に陥るんじゃないかい?」
「そうかも知れませんね。でも絵を描いている時の私は、頭の中に残像が残っているんですよ。残像が残るから絵が描けるんですけど、その残像がまったく一緒ではないんです」
「それはどういう意味だい?」
「同じ大きさの風景なんですけども、残像になると、次第に小さくなっていくように感じるから不思議なんですよ」
修は、今日の電車の中での風景を思い出した。最初は次第に風景が小さくなり、近くのものがどんどんゆっくりになっていく風景を見た。内容は違うかも知れないが、まりえの話を聞いていて、今日の電車の中での光景を思い出したのは、偶然ではないように思えてならない。
「今度、見せてもらおう」
「ええ、ぜひ。私も秋山さんに見てもらいたいと思っていたんですよ。秋山さんが絵に造詣が深いという意味ではなく、私の描いた絵を、秋山さんがどう感じるかが知りたいんですよ」
修も絵に造詣が深ければ、もっと違った意味で、まりえの絵を見てみたいと思っただろう。そして絵を見て、それなりの評価をするかも知れないが、それがまりえの望んでいることだとは思えなかった。評価してもらいたいというよりも、絵を見て何かを感じてほしいと思っているのかも知れない。その思いがあるからこそ、まりえが絵を見た時に他人事のような顔ができるのではないかと思うのだ。
絵を立体的に見ることができるとすれば、絵の中に入り込んで、絵の方からこちらの世界を覗いているようなイメージを捉えることができるだろう。子供の頃に見た夢で、空が割れて、その向こうから人が覗きこんでいるのが見えた時、自分が絵の中にいて、絵を見ている人には、絵の中の動きが見えないという錯覚を抱かせるのを感じた。
明らかに絵の中と、表から見る世界は、それぞれの方向から見ているというだけではなく、まったく違った世界が出来上がっているのを感じさせるのだ。
絵の中が平面であり、表が立体であるというのは、表から見ている理屈だ。絵の中に入りこんだ人がいないのだから、分かるはずもない。逆に絵の中の世界から表を見ようとしても、見えるものではないだろう。四次元の世界を創造することはできても、実際に見た人はいないので、証明はできない。それは二次元世界から三次元世界を見た場合でも同じであろう。
だが、夢という世界が、その二つを結ぶカギだとすればどうだろう。発想はいくらでもできるのだろうが、同じ日を繰り返しているという思いを抱いているまりえが描く絵はどのようなものか、見てみたいものだ。
同じ日を繰り返しているという感覚は、平面と似ているかも知れない。日にちを重ねることが高さを重ねると考えると、堂々巡りの同じ日は、高さを重ねない。イメージとして平面を思い浮かべたとしても無理もないことだ。
まりえは修の部屋で時計の音を聞きながら、絵を眺めていた。最後まで絵に対しては他人事のような視線を送っていたが、しばらくすると、頭を何度か前に傾けながら、納得しているかのように見えた。
「私は、絵を見ていると、夕日を思い出すんですよ」
「どうしてなんだい?」
「絵の中の世界から、表を見ている気分になった時、空を見るでしょう? その時の空が夕日を想像するんですよ。夕日以外には想像できないというべきかしら。風のない夕凪の時間を思い浮かべてしまうのね」
まりえの口から夕凪という言葉が出てくると、ドキッとする。
さっきも
「交差点で絵を描いている」
という言葉が口から出てきた時、自分が感じているキーワードと同じものだと感じると、ドキッとしてしまう。
まりえが描いた絵を見てみたくなった。そこに何が写っているのか、何となく想像がつく。
「絵を描いている時の私って、本当の自分だと思うんです。じゃあ、普段が違う人なのかって思うと、それも自分なんですよ。ただ、本当の自分とは程遠い自分。でもそんな自分が一番表に出ていて、私の印象を形作っているんですよね」
「そんな姿を見てみたいね」
「そうでしょう? 私も本当の自分を見てみたいんですよ。自分というのは、鏡のような媒体がなければ見れないものじゃないですか。だから余計に自分の姿を客観的に見ることができる表からの目のようなものがあればいいなんて夢みたいなことを考えてしまうんです。そんな時に、絵の中から自分を見たら、どうなんだろう? なんて考えたりしたんですよ。だから、今も絵を見る自分が客観的にしか見えていない気がするんです」
まりえのそんな話を聞きながら、修は、城の絵を見てみた。
そこにはよく見ると、城に続く階段があり、そこに一人の男性が急いで駆け上がっているのが見えた。
彼は身体に甲冑を纏い、頭には兜をかぶっている。手には槍を持っていて、城に向かって駆け上がっている。
城からは、数十人の同じような武装した集団が出てきて、どうやら、戦闘が始まりそうな予感がある。
「一対数十人」
明らかに攻め手の方が不利だった。
それを分かっていて攻め手は挑んでいるのだ。
それが分かってくると、次第に先頭部分が拡大されて見えてくる。男の形相までが一瞬だけだが見えた気がした。
「覚悟した男の顔というのは、あんな表情なのか」
と思うほど、目は一点しか見えておらず、まわりから攻撃されたら、まったく気付かないだろうと思うほど、猪突猛進だった。
すぐに全体像が映し出され、今度は城側の兵士の顔も垣間見ることができた。こちらはさすがにそこまで目が血走っているわけではなく、さすがに人数的な優位が、それを証明していた。
ただ、それでも映像としてハッキリしているわけではなく、最初はそれがなぜなのか、分からなかった。
そしてまた全体像が映し出される。
「うわあああ」