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異能性世界

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 夕凪の時間に合わせなければいけないという確固たる証拠もない。ただその時間に合わせなければ、もし出会えなければ後悔が残る気がしたのだ。後悔とは意識の中で、
「やれるはずのことをしなかった」
 という思いを抱いた時、感じるものなのではないだろうか。
 交差点までは、思っていたよりも時間が掛かった。会社を出てから駅に向かうまではあっという間だったのに、電車に乗ってから後は、結構時間が掛かったようだ。一つの目的に向かって進んでいる間に、それぞれのターニングポイントで、いつもに比べて時間の掛かりがまちまちだというのもおかしなものに感じられた。
 電車の中では扉の近くに立って車窓から流れる景色を見ていたが、いつもよりも、景色が小さく感じられたのが気になっていた。
 景色は遠くに見えるものほど遅く流れていくと言う当たり前のことを、今さらながらに気付かされた気がしていたが、近くに見える光景も、その日はゆっくりと感じられた。そのくせ電車のスピードに変わりはない。線路の軋む音に変わりがなかったからだ。
 目に見えているものよりも、耳で感じる方が正常に感じる。スピードが遅いわけはないという固定観念が、目に見えるものよりも耳で感じる方を優先させたのだ。
 間違いないという感覚を自分の正常な意識として正しく認識させるために、本来なら目で見たものを優先すべきなのに、耳を優先させたのは、理屈で自分を納得させることが一番だと感じたからに違いない。
 そう思った時に、次の瞬きで、目で感じる現象も正常に戻っていた。目の前を流れる風景もいつものように早かったのだ。
 そんなことを感じているうちに、あっという間に降りる駅に近づいていた。
――いつもよりも早かったような気がする――
 きっと余計なことを考えたからなのかも知れない。
 電車がホームに滑り込んでくると、思ったよりもホームには人がいた。降りる人はそれほどいなかったのに、普段と二本ほどしか時間が違っているわけではないのに、これほど光景が違いとは思ってもいなかった。少しだけ早い分、学生が多い。乗車してくる客のほとんどが学生であることから、客層の違いで乗降客の人数の違いは当たり前だった。今日はそんな当たり前のことを、いちいち感じさせられる日だったのだ。
 駅を降りると、夕日が最後のあがきで、ろうそくの消える炎の寸前のように明るく輝いていた。日が落ちると、冷たい風が吹いてくるのが分かっているので、夕日の暑さが、今は身に沁みるかのようだった。
 ここから交差点までは、不思議と慌てる気にはならなかった。落ち着いた気分は、何かの覚悟を思わせるようで、
「もし、会えなければ、それも仕方がない」
 とまで感じていた。
 交差点の光景が、目を瞑れば浮かんでくる。そこに果たして現れたリナの顔が、シルエットで浮かんでいたのだ。
 前に見た時よりも大きく見えるのは、逆光になっているからかも知れない。人通りの多い交差点で、まわりの人の姿がかすんでいるほど、リナの姿には後光が差していた。ゆっくりと歩いてくるその姿は、まるで修が現れるのを最初から分かっていた落ち着きのようだ。
 修はリナの姿を見ると、笑顔を見せた。リナも笑顔を見せているのだろうと思うと、今まで差していた後光が晴れて、想像通りのリナの笑顔がそこにはあった。
「お久しぶりです」
 先に口を開いたのはリナだった。
「俺が来るのを分かっていたのかい?」
「ええ、そろそろ来られる頃だって思っていました」
「俺が最後に声を掛けた時、どなたでしたっけと答えたのは、君かい?」
「ええ、そうですわ。でも、あの時は、あなたに私をこれ以上意識させないようにしないといけないという思いがあって、そう言ったんです」
「どうしてなんですか?」
「修さんは、私のことを忘れてしまった方がいいと思ったからなんですよ。あなたの思っている通り、私はあなたの中学時代の同級生だった女の子です。あなたがいろいろ苦しんでいるのをずっと見てきたつもりだったんだけど、最近のあなたを見ていると、もう一度会いたいという気がしてきたんですよ。私は自分の気持ちを整理できないところまできていたのかも知れません」
「じゃあ、どうして俺に他に自分を思ってくれている人がいるって教えてくれたんですか?」
「まりえさんは、あなたや私と同じで、パラレルワールドの存在を自分で意識していたんですよ。あの人も私はずっと以前から知っていて、彼女のことも何とかしてあげたいと思っていた。私はまりえさんにもあなたにも、パラレルワールドではない世界で知り合ってほしかったんですけどね」
「普通に出会えば、恋心は抱かなかったかも知れませんね」
「そうですね、あなたたちを会わせたのは、少し失敗だったかも知れないと思いました。で、そのあとあなたは、奈々子さんとそのお兄さんの話を聞いたんですよね?」
 リナは、奈々子のことも知っているようだ。一体、リナは修のどこまで知っているというのだろう?
「あなたが買ってきた絵のことも知っています。あの絵は、実は私の家にあったものなんですよ。あなたが私の家に以前遊びに来た時に見たことがあったはず。だから、見覚えがあって当然なんですよ」
「俺があなたの家に遊びに行ったことがあったんですか?」
「ええ、私の家族は昔から大きな屋敷に住んでいたんですけど、ちょうどその頃に没落して、私は家族と一緒に逃げるように街を去ったんです。だから、あなたの記憶の中からも消えていた。でも、その頃の記憶が完全に封印されてしまっていたのは、私にも分かりませんでしたけどね」
 あまりにも唐突な話と、どこまで自分のことを知っているのだろうという話とで、少し感覚がマヒしかけていた。自分が自分ではなくなるような感覚が、マヒに繋がっているのかも知れない。
 リナは続けた。
「でも、今日はあまりあなたとお話をしている時間がないんです。申し訳ないんですが、もう一度ここに来てくれますか?」
「いつ来ればいいんですか?」
「それは、多分あなたが今から以降に感じることで分かってくると思います。実は、今の私にもそれは分かりません」
「何とも、腑に落ちないところが多いですので、俺は君の話を全面的に信用しているわけではない。でも、今は君を信じるしかないと思っているので、その言葉を信じます。本当はいろいろ知りたいことがあってきたんだけど、今度は話してくれるのかな?」
「ええ、あなたのご期待に添えられることを私も祈っています」
 そう言って、リナは踵を返して来た方向へ歩いて帰った。
 リナの話を聞いていて、本当にビックリした。ここまで知られているということにもビックリしたが、それ以上に、リナにも僕のことで分からないことがあるような言い方をしたのが気になった。
 とりあえず、まりえに会ってみたいと思った。
 そのまま、喫茶店まで歩いてみたが、いつもより表から見て、店が暗く感じられたのは気のせいだろうか。いつものように扉を開けて中に入ると、まりえはいなかった。
「今日、まりえちゃんは?」
 と聞くと、
「まりえちゃんはね。三日前に辞めましたよ」
 と言われ、ビックリした。
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次