小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

異能性世界

INDEX|33ページ/43ページ|

次のページ前のページ
 

 最初こそ、不思議な世界に戸惑ったが、そのほとんどが、修の想定内のできごとであった。次に起こることを予期できたのだ。予期できたということは、それだけ余裕も出てくるのだろうが、さすがに同じ日を繰り返しているなどという発想は、いきなり目の当たりに突きつけられると、頭の中がパニックになるというものだ。
 それでも、夢で見ていることだと思ってみると、今まで想像したことがなかったのが不思議なくらいだった。
 夢が想定外であれば、それは実際の世界のことでも起こることなのかも知れないと思ったりもした。
 夢だと思っているわけではないが、感覚がマヒしてくるのは、夢を見ている感覚に似ているのではないかと思う。それが自分の知っている世界でのできごとでなければ、納得できてしまうのは、どこか人生に諦めの心境があるからかも知れない。
――自殺?
 自殺する人の心境を考えてみた。普通に考えれば、
「痛い、苦しい」
 まず、この思いが頭を過ぎる。
 そして、この世への未練を考えて、死んでも死に切れないと思うから、自殺を思いとどまるのだろうか?
 それとも先にこの世への未練を考えてしまうのだろうか。
 修だったら、先に、
「痛い、苦しい」
 を考えてしまうだろう。ここで自殺を思いとどまるのかも知れないと思った。むしろ、この世への未練など、どこにあるというのだろう。将来のことなどハッキリもしない。漠然と、
「これから楽しいことがいっぱい待っている」
 などと言われても、
「はい、そうですか」
 と言えるものだろうか。先のことで悲観するから自殺を考えているのに、そんな人に対して、楽しいことが待っているなどという説得は、まるで釈迦に説法の類である。
 ただ、自殺を考えてしまうのは、先のことに希望が持てないからだと思っていたが、それだけではないような気がしてきたのだ。
 自分の知っている世界で、今まで考えたこともないできごとが起こり、夢の世界だとして理解できなくなった時、感覚がマヒして来れば、人生に対して諦めが生じるのかも知れない。それがそのまま自殺という発想に繋がってくるわけではないのだろうが、大きな発想の転機になることもあるだろう。そう思うと、心中する人の気持ちも分からないわけでもない。先を考えるというよりも、生きることに諦めを感じているからというのが、自殺の原因だからである。
 奈々子の兄も心中だという。手紙の内容を見ると、明らかに人生に諦めが感じられ、疲れてしまっているのが、手に取るように分かる。
 しかも、同じ世界で別の世界を想像しているような書き方もあり、修の考え方に似ているところがある。それだけに分かりやすく、逆に分かりにくいところがハッキリしているように思う。
 まったく同じ考えというのもありえないことなので、どこかに違いがあるはずだ。そこからマヒしてしまった感覚がよみがえってくることもあり、
――同じ考えでも違いがあると、そこから自分を顧みることもできるんだ――
 と思うようになっていた。
 これが仲間意識であり、今までの修にはなかったものなのかも知れない。
 ただ、そう考えると、少し怖くもなってくる。自分にもいつ自殺を考えるか分からないところがあるということだ。
 人は自殺を考えるところまでは、誰にでもあるように思う。ただ、本当に自殺する人は少ない、やはり、
「痛い、苦しい」
 であったり、
「この世への未練」
 というものが邪魔するのだろう。
 今の修の場合は、それ以上に人生への感覚がマヒしてしまっているように思う。
――人生の楽しみとは何なのか?
 まだまだこれから目標を持って、達成のために努力する?
 この惰性に満ちた毎日の中で、何を達成するというのか、しかも同じ日を繰り返してみたり、巻き戻してみたりして、自分の意志の働かないところで、暗躍しているものがあるのは、何かを悟らせようとする力が働いているように思えてならないからだった。
 自殺をする人のほとんどは、覚悟を超越しているのであろうが、超越した先にあるものは、
――感情のマヒ――
 以外の何者でもないと思える。
 ここ最近ずっと、身体に疲れが溜まってきているのを意識していた。今までにも疲れを感じることは何度もあったが、それには理由があった。高校時代にしていたバスケットの疲れが溜まった時、受験勉強による睡眠不足と精神的な欲求不満から来ているものと、明確な理由があったのだが、今は明確な理由が見つからない。
 同じ日を繰り返していることで、身体に余計な緊張が走ったために、疲れが鬱積しているからではないかというのが一番大きな理由ではあるが、それだけだとは言いにくい。
 リナの話では、毎日どこかで自分と同じ考えの人に出会うような話をしていたように思う。
 そういえば、今日は本当に今日なのだろうか?
 おかしな言い方だが、自分にとって、一日を当たり前に過ごした場合の「今日」かどうかである。
 同じ日を繰り返している感覚は確かにあった。二度目の同じ日は、あっという間に過ぎていった。そして、その次の日に、自分のことを覚えている人が少なかったのも事実だ。その時に感じたのが、
――自分を知っている人が、どんどん少なくなってきている――
 という感覚だ。
 この感覚は、実は以前からあった。同じ日を繰り返しているのではないかという疑念を感じるよりも前からである。
――どうして自分を知っている人が少なくなっていると思ったんだろう?
 実際に人から、
「あなた、誰?」
 と言われたわけではなかった。言われたのは、同じ日を繰り返していると思うようになってからで、同じ日を繰り返すことで、進むべく道が分かれてしまったのではないかと思ったからだ。
 自分を知っている人が少なくなったと感じたのは、漠然とした感覚ではあるが、最初にどこで感じたのかということは覚えている。
 あれは、駅前の交差点だった。そう、リナを最初に見かけたあの交差点である。
 リナとの出会いは、交差点が始まりだったが、それ以前からリナとは出会えるような予感があったのかも知れない。リナと出会って、時間を繰り返していることの意識を強め、そして、まりえとの出会いを予知してくれた。予言と言ってもいい。予言は的中し、まりえに対して特別な感情を抱いた。
 しかし、それ以前に、交差点に対して特別な感情を抱いていたのは事実で、それが、
――自分を知っている人が、どんどん減ってきている――
 という感覚だった。
 交差点の中にいると、誰もが自分だけのことを考えて行動している。もちろん、集団で行動している人も少なくはないが、すれ違う人に対して、誰も感情を抱くことなどなかった。
 当然のごとく、知らない人同士がすれ違う。ひょっとして知っている人がいるかも知れないなどと、誰も思っていないから、知っている人がいても、無視して通り過ぎているのが日常茶飯事なのかも知れない。
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次