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異能性世界

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 彼がいないのが分かると、最初相当長く感じられた数十秒が、今度はあっという間に終わってしまったように思えた。
 電車が次の駅に到着すると、人が数人乗ってきた。彼がさっきまでいた場所に今度は違う人が佇んでいたが、その人の顔には朝日がまったく当たらない。駅に着く前に大きなカーブがあり、朝日が当たらなくなったのだろう。それにしても朝日の力の大きさに、ビックリさせられた。今佇んでいる人が、今度は小さく感じられたからだ。
 電車が降りる駅に近づいてきたので、立ち上がると、さっきまでに比べて、車内が急に小さくなったような錯覚を覚えた。それほど背が高いわけではない修は、立ち上がったからといって車内が狭くなるなど、考えたこともなかった。今日に限って立っている人の背が、皆自分とりも低いことに驚かされたのだ。
 背が高くなると、遠くまで見渡せるので、それだけ狭く感じるのだろうが、急に背が伸びることなどないはずなので、そんな感覚に陥ったことなど、今までにはなかったのだ。
 電車を降り、改札を抜けると、さすがに都会の駅だけあって、早朝からモーニングサービスを行っている喫茶店があった。時間は七時少し前だったが、同じ電車に乗ってきた客が入っていくのを見ると、少しくらい早くても、問題はなさそうだ。
 常連客の後からついていくのが一番いい。電車の中では寡黙だった客が常連にしている店に入ると、どのように変わるか興味があったが、店の中に入っても、ほとんど変わらなかった。早朝の雰囲気というのは、寡黙が似合うのかも知れない。
 店内には、いかにも眠くなりそうなクラシックが流れていた。朝の音楽としてはふさわしいのだろうが、こっちは睡魔が襲ってこないようにコーヒーで眠気覚ましをしようというのだ。クラシックは店内の雰囲気に似合ってはいるが、睡魔に襲われないようにしないといけなかった。
 最初に入った客は、奥のテーブルに座って、本を読んでいた。
――いつの間に――
 その人が店に入ってから修が店内に入るまでに、ほとんど時間が経っていなかったはずなのに、さっきの男性はすでに席に座って本を読んでいる。その落ち着きから、まるで最初からいたかのような雰囲気に、圧倒された気がした。
 本を見ると、その人が自分で持ってきたものではないようだ。ということは、席に着く前に、店にある本を物色して、席に座って読み始めたのだ。その間十秒もなかったくらいで、本当に、いつの間に本を物色し、読み始めたのだろう。しかも、頭からではなくて途中からである。自分の本でもないので、栞を挟んでおくなどということはできない。最初からページを覚えていたとしても、ここまで早く本を読む体勢になっているなど、想像もつくはずなかったのだ。
 読んでいる本のタイトルが目に入ってきた。文庫本にしては少し大きめで、よく見ると骨董品に関しての本だった。どうして喫茶店に骨董品に関しての本があるのか分からなかったが、思わず部屋にある大時計を思い出した。
「いつもだったら、そろそろ大時計の目覚ましで目を覚まし、意識がしっかりしてくる時間かな?」
 と感じた。
 大時計の時を刻む音は、朝の目覚めが一番耳に響いているのかも知れない。目が覚めた瞬間、胸の鼓動と時を刻む音がシンクロされて、重なって聞こえたことが何度もあった。
 よく見ると、その人に見覚えがあるのに気が付いた。
「骨董品屋のおやじさんだ」
 大時計を購入した骨董品屋には、あれから何度か赴いたことがあったが、たまにおやじさんとも話をしたことがあった。
「こんな偶然もあるんだな」
 と思いながら、修はレジの横にあるマガジンラックから新聞を取って読んでいた。
「そういえば、今日は新聞を見ていなかったな」
 毎日欠かさず見ているわけではないが、新聞を見なかった日は意識しているはずなのに、その日は、新聞を見ていなかったことに気付くまで時間が掛かった。それだけ普段と違った行動パターンだった。
 朝早く目が覚めて、家にいるのも億劫だ。しかも、行動パターンを変えることで、同じ日を繰り返しているのではないかという感覚を払拭したかったから早く出かけてきたのだった。
 そんな時に知り合いを見かけるというのも偶然にしてはできすぎだ。しかも相手は気付いていない。こちらも話しかける気もないというのは、どこか冷たい感じがするのは、朝の風の冷たさを感じたからであろうか。
 だが、本当に偶然なのだろうか?
 元々、骨董品屋で大時計を買ったことから、同じ日を繰り返しているのではないかという発想が現実味を帯びてきたのだ。何かの前兆ではないかという危惧が、一瞬頭の中を巡ったのだ。
 骨董品屋には、あれから何度か顔を出した。おやじさんとも顔見知りになり、たまに世間話をする仲になっていた。
 だが、今のおやじさんはまるで別人のようだ。話しかけても
「あなた誰?」
 と言われそうで、気持ち悪かった。
 以前に、まりえから、
「どなたでしたっけ?」
 と言われたのを思い出したが、あの時のショックを再度味わいたくはなかった、
 しかし、記憶の中のショックは、思ったほどではないという記憶がある。足元にポッカリと穴が空いたような感じだったが、ショックという意味では、さほどではなかった。何か現実味のないイメージが頭の中にあり、
――あの時の相手が本当にまりえだったのだろうか?
 という意識の方が強く残っているくらいだった。
 自分の中で信じられないという思いを抱いた時、
――これは夢ではないだろうか?
 という意識を持つ。現実逃避に近いイメージがあり、感覚をマヒさせたいという意識が働くのだろう。
 逆に、
「あなた誰?」
 と言われたい感覚に陥ることもあるのかも知れない。
 自分の方なのか、相手の方になのか、話をしたくない理由があり、それでも顔を合わせてしまった時、相手から、
「あなた誰?」
 と言われた方が、気が楽だと思うこともある。完全に逃げているのだが、ひょっとするとあの時まりえから、
「どなたでしたっけ?」
 と言われた時も、心のどこかで顔を合わせてしまったことへの後悔があったのかも知れない。
 その日、おやじさんを見かけたことを、すぐに忘れてしまうような気がした。忘れてあげないといけないという思いもあってか、忘れないといけないと思うと、思ったよりもアッサリと忘れてしまっていた。
 そのことを思い出すと、きっと心の中の雲が綺麗に晴れるような気がしていたが、それはかなり後になってからではないかと思えた。まずは忘れてしまうことが今の段階での事実であり、朝の時間すら、あっという間に過ぎてしまったかのようだった。
 朝早起きした時というのは、時間が経つのが早いもので、あっという間に夕方になっていた。
 退社時間が近づいてくると、
――今日は、区切りのハッキリしない一日だった――
 と、感じた。
 ただ、逆に時間の区切りがハッキリとしない時ほど、後から考えると一日が長く感じられるというものだ。
 時間があっという間に過ぎた日は、後から考えると、えてして一日が長かったりするものだ。今までずっとただの錯覚だと思っていたが、実際は区切りのハッキリとしない一日だったというのが理由だったのだ。
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次