異能性世界
修は、ここ数日誰かに見られているような気がしていたのだが、ひょっとすると兄からだったのかも知れない。不思議な世界を垣間見ることができる修と、死ぬことに対して異様な考えを持っている兄とは、どこかに接点があるのではないかと思えてならなかった。奈々子が修に日記を読ませたのも、奈々子の中で、兄と修の共通点のようなものを感じていたからなのかも知れない。
奈々子は、修に日記の感想を聞きたかったのかも知れないが、修は余計な先入観を持って読んでしまった日記の感想を言えるはずもなく、黙っていることにした。
「私は、秋山さんが三日間無断欠勤したのだと、どうして思ったのかが、自分でも不思議なんですよ。他の人が感じているのは、秋山さんは三日間、会社には来ていたんだけど、仕事らしい仕事をしていないと思っているらしいんですよね。だから、仕事も終わっていないはずだと思っていたのに、終わっていることが皆には不思議なようなんです」
「僕も何を皆が不思議に思っているかがよく分からないんだけど、いつも通りに出勤してきていつも通りに仕事をこなしているだけだと思っているんだけど、これだけ同じ事務所の中で、一人の人間の行動が違って見えるというのも、おかしな話だよね」
一人の人間から見たいくつもの世界を考えたことはあるが、一つの世界でも感じ方が人それぞれに違っているという思いをしたことがなかった。
奈々子のことは、意識の中にありながら、兄の存在があるがゆえに、近づくことのできない人だと思っていた。それが今はこの世にいない人なのだ。しかも自らで命を断ったのだ。
彼の日記には記されていなかったが、彼が本当に死を意識したのは、奈々子が彼のことを一瞬でも忘れた瞬間があったからではないかと思っている。彼にとってその瞬間が、永遠に続くのではないかと思った。実際に彼が死を選ばなければ、ひょっとすると、奈々子は兄を忘れてしまったかも知れない。
日記を見ても分かったのだが、彼は相当な自信家であり、自分の思い通りにならないと気が済まない方だ。奈々子が自分の考えているような接し方をしてくれないと、忘れられたも同然だと思ったとしても、それは無理のないことなのかも知れない。
奈々子から見て、兄の存在が絶対であったかのように思っていたのだろう。
確かにある時期まで、奈々子は兄に対して絶対だという意識があったはずだ。今はなくなっているが、その原因が、修にあった。修に対して、兄と同様の感情を抱くようになり、しかも兄に感じたことのなかった、
「自分と同じもの」
を、修のどこかに感じたのだ。
修は、奈々子が自分に対して、他の人が感じることのできないものを感じることを悟った。またしても、以前の感覚が戻ってきたのだ。
「どんどん大切なことを忘れていっているような気がする」
という思い、そして、
「自分を知っている人が、少なくなってきている」
という思いをそれぞれ抱きながら、修は奈々子への意識を思い出しつつある。
その日は、奈々子に対しての思いを思い出そうと、絶えずいろいろと思い出しながら、ずっと考え事をしていた。気が付けば、もうすぐ今日という日も終わる。本当に終われるのであろうか?
部屋の大時計が、午前零時を示した。
大時計が部屋にやってきてから、午前零時を意識してしまう毎日を過ごしていた。過ぎた瞬間は果たして次の日なのか、それともまた今日という日なのか、息を呑む瞬間だった。
「過ぎてしまえば、何があろうと、その日が「今日」なのだ。同じ日を繰り返していたとしても、無事に翌日になったとしても、今日に変わりはないんだ」
と、言い聞かせるように、時計を見つめた。
静寂は、暗闇にこそ似合うもの。午前零時を過ぎる瞬間に、一瞬電気が消えてしまったような錯覚を覚えたが、最近では毎日のことになり、慣れてくれば、怖いと言う感覚はなくなってきた。
静寂の中で、正確に時を刻む音は、耳に響くと言うよりも、背中に響く気がした。背中にまるで目があるかのように、後ろに迫ってくるものがあれば、その時であれば見ることができる気がする。それが昨日の記憶であれば、同じ日を繰り返してしまうのではないかと思うのだった。
「前の日に何かを忘れてきたような気がする」
一体何を忘れてきたというのだろう。同じ日であればいくらでも思い出して取りに行ける気がするが、ほんの少しでも日をまたいでしまうと、もう一度同じ日を繰り返して、忘れてきた時間に到達しないと、取りに行くことはできない。
しかし、本当にその時間がやってきて、忘れていたものが何だったのかを覚えていることができるだろうか。同じ日を繰り返すリスクとを比べてみると、その代償は大きなものになるのではないかと思うのだった。
いろいろな自問自答を繰り返していると、最後には、
「同じ日を繰り返している」
という結論に導かれる。
しかし、到達するまでにいくつもの疑問点をその場所に置き去りにしてしまっていることにも気付かされる。
静寂の中、過ぎていく時間が、本当に規則的なのかどうかまで、疑わしくなってしまっていた。
同じ日を繰り返すことが、自分にとってのリスクを犯すことになるのだろうが、リスクがいつ表に出てくるのかが分からないだけに、同じ日を繰り返すことが恐怖であることに違いはない。
午前零時を通過した。背中には何も感じない。
「よかった、繰り返す一日ではないんだ。明日に無事になれたんだ」
と、素直に喜んでみた。
だが、本当に素直に喜んでいいのだろうか。同じ日を繰り返さないことが修にとって、本当によかったと言えることなのか分からない。
今までは何の疑問もなく翌日になった。疑問を感じる余地など、どこにあるというのだろう。一日を繰り返すという発想すら、影も形もなかったはずだ。
「本当に誰も意識していないのだろうか。意識の中にありながら、考えないようにしているだけだからこそ、前を見て生きているという証になると思っているのかも知れない」
そう思うと、いかに自分が前を見ていないかということを思い知らされた気がした。午前零時近くになると、背中に現れる
「過去を見る目」
反応するかどうかで、過去がその日に存在するかどうかが決まる。
過去とは、意識するから存在しえるものではないかと思ったことがある。過去の存在を記憶として残しておくだけなら、忘れてしまったとしても、さほど意識はしないだろう。それでも前だけを見ていることに疲れた時、ふと思い出すのが過去の思い出、それだけで十分のはずなのだ。
なまじ過去の記憶が生々しいと、現実との境界が曖昧になり、現実逃避の材料になりがちであった。そこに背中の目が、過去を見ることを意識すると、午前零時というボーダーラインが目の前に広がり、通りすぎてしまうと、過去を見る背中の目が反応するのだ。
過去に戻りたいという気持ち、やり直したいという気持ちは、誰もが無意識に持っているだろう。修もその一人で、むしろ強い方だったのかも知れない。
だが、一度過去を繰り返してしまうと、感覚がマヒしてしまう。マヒした感覚を自分が覚えていて、二度と過去を繰り返したくないという思いも生まれる。