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異能性世界

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 明美はそんな俺を見守るような眼差しを送る。これでは立場が逆ではないか。心の中でもどかしさが襲ってくる。もし、俺が死を考え始めたのがいつかと言われると、この時だったのかも知れないと思った。
 死ぬことに対して背中を押したのは、明美だった。明美は自分がどうせ助からないことで、一緒に死んでくれる人を探していたのかも知れない。白羽の矢が立ったのが俺なのだろうが、今までの俺なら、何とか逃れようという思いよりも、相手の術中に嵌ってしまったことが悔しくて、地団駄を踏んでいたかも知れない。
 しかし、今の俺は、すがすがしい気持ちだ。
 俺も知らない間に、誰か一緒に死んでくれる人を探していたのかも知れない。死というものを考えたことがなかったので気付かなかっただけで、考えてみれば人間いつかは死ぬのだ。この先に何が待っているかと思うと、死ぬことが怖いとは思わなかった。
 何が待っているかって? それは幸せになることだろう。
 などというセリフは聞きたくない。幸せとは何かを考えたことがないわけではないが、考えているうちにバカバカしくなった。ずっと考えることではない。見つからないことの方が本当で、幸せとは、なって初めて分かるものではないかと、最近は思うようになったのだ。
 そんな漠然としたものを追い求める気力はすでに失せていた。
 まわりの人もそうなのかも知れない。死のうと思わないのは、死ぬことが怖いからで、生きることにどれほどの執着があるというのだろう。俺はいつもそう思っていたのだ。
 俺には一人の妹がいる。
 妹は実に従順な女で、今一緒にいる女とは違った意味で、俺にとって大切な女だ。子供の頃にはよく俺の後ろをついてきていた。まるで子分ができたようで嬉しかったが、相手が女であることを意識していなかった証拠だろう。
 妹を女として意識し始めたのはいつ頃からだっただろう。最初に感じた思いは、大好きだという気持ちだった。
 女というと、成長期の俺たちには、淫靡な雰囲気しかなかった。雰囲気は頭の中に纏わりついて離れない。成長期がこれほど刺激的で、そして大人になることを怖いと思わせるものだと思ってもみなかったので、妹に感じた思いも、悪いことだと思って、ずっと封印してきた。
 兄妹で淫靡な感情を持つことは、誰にでもあることだと思う。またそれが人間としての感情であるならば、仕方がないことだと思うが、仕方がないことなら、どうしてそれを悪いことだとして、意識させるのだろう。どこの誰がそんな意地悪な発想を抱かせるというのだろうか。
 疑問ばかりが残ってしまった頭の中を、少しスッキリさせたいと思い、行きついたのが「死」だった。
 今なら怖いという感覚をマヒさせることができそうな気がする。死ぬなどという感覚はそう何度も、そしていつまでも持ち続けることなどできるはずもない。
 死ぬことを怖がるのは、愚かなことだと思う。死ぬことについて怖くない時期があるだろうから、その時に一思いに死んでしまえばいいのだ。
 怖いと思うから怖いのであって、怖くないと思うのは、感覚がマヒしているからだ。絶えず感覚が正常に機能しているとは限らない。感情の元に感覚もマヒすることがあるだろう。その時に、やりたいことを貫徹させる思いが、死に切れるかどうかのカギを握っているのだ。
 心残りは一番何かと聞かれると、妹だと答えるだろう。心残りを考えること自体、愚の骨頂、考えられることは一つ、妹のことだけだった。
 俺は妹を女として好きになったのだろうか? 死ぬのが怖いとするならば、妹のことが心残りだからだ。
 子供の頃、俺が妹を育てているというほどの自負を持っていたが、今思い出しただけでも恥かしい。それは妹が好きなったことの裏返しだからだ。
 何度寝込みを襲おうかと思ったことか。やめたのは理性が制御したからではない。妹の寝顔を見ていて、あどけなかった頃を思い出したからだ。これも一種の理性の一つなのかも知れないが、俺にとって妹は侵すことのできない領域でもあった。
 それでも、他のやつにくれてやるわけにはいかない。妹が俺以外のオトコとニコニコ笑っている姿を想像しただけでも、胸を掻き毟りたくなるほどだ。こうやって書いていても手が震えてくるのが分かる。そんな時に頭に浮かんだ言葉が。「死んだ方がマシ」だということだった。
 死ぬなんて、そう簡単にできるはずはない。思ったとしても、すぐに決意や覚悟は鈍るものだ。だが、鈍らないとすれば、そこには諦めや失望が必ず存在しているはずだ。俺のように妹に対しての諦めがあれば、死を覚悟することもできるかも知れない。
 だが、俺は死ぬことを人のせいにしたくない。遺書などを書いて、誰かのせいにするなどということをしたくないのだ。ここに書き留めるのも精一杯の抵抗に近いだろう。
 こうやって書いている俺は、本当は弱い人間なんだ。元々人間なんて弱い存在なのだ。せいぜいできたとしても潜在意識の中で夢を見る程度だ。それも限界があるではないか。それを思うと、こんな文章を書いている俺は、だんだん情けなくなってくる。
 そろそろ筆を置くとするか。
 ただ、本当に俺はこのあとどうなっていくのだろう? 本当に死んでしまうのだろうか? 死んでしまった方が確かに楽だ。だが、死ぬことを何度も覚悟できるものではない。
 やっぱり今まで死について何も考えたことがなかったことを後悔している。もう少し考えていれば、もっといろいろな発想ができたであろうに、ただ、堂々巡りを繰り返すこともありうる。一旦入り込んでしまった袋小路を抜けられなくなる可能性だってないわけではない。
 ここに記したことは誰が見るというのだろう。見るとしたら妹しかない。俺はこの期に及んで妹に何かを期待しているのだろうか。
 俺は自分が悔しい。筆を置くつもりでまだ書いている。書き足りないわけではないのに、何を書こうというのだ。
 もしこれを見ている妹へ。俺のような後悔をしないようにするんだぞ……。
                    ◇
 ここで日記は終わっていた。これ以上の内容は、後ろのページに書かれていない。
「この内容は、兄が本当に死んでしまう三日前に書かれたようなんです。本当は誰にも見せてはいけない内容だと思ったんですけど、秋山さんなら、この内容について、私と同じような考えを持っているんじゃないかって思うんですよ」
 日記を読んでいて、奈々子に対して恋心を抱かなかった自分を顧みると、そこにやはり兄の存在が大きく立ちはだかっていることを思い知らされた。
――死ぬ間際まで、妹のことを考えていて、妹のことを考えるから、死を意識するようになった。しかも一緒に心中した人とは、心が本当に通じ合っていたわけではない。ただ、死にたいという同じ目的で、あたかもどこかで待ち合わせをしていたかのような感覚の死には、到底理解できるものではない――
 と、兄の死をどう判断していいのか、日記を読むことで、一層分からなくなってしまったかのようだ。
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次