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異能性世界

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 という意識が働いている。どんなに長い間の夢を見ていたと思っても、実際には夢から覚める数秒間でしか見ていないという話を聞いたことがあるため、その意識が頭の中にはある。そのせいもあってか、
「どんな夢を見たとしても、一日を飛び越える夢を見ることはできないんだ」
 と感じるのだった。
 そのいい例として、修は時々学生時代の夢を見ることがあったが、その夢の中では、まわりの友達などは学生なのに、自分だけが社会人で、今の自分なのだ。
 それは、夢を過去まで見ることができないという発想の表れなのではないかと思う。
 その発想の答えとして修の中にあるのは、
「夢の中での自分は、決して主役ではない」
 という発想だった。
 夢は作られたものであり、作っているのは、もちろん見ている本人である。そして本人はあくまでも「裏方」であり、自分が夢の中に出てきたとしても、それは脇役として、自分から客観的に見た自分でしかないのだ。
 だからこそ、過去の発想をすることができても、出てくる自分は今の自分しか発想できない。過去に戻った自分を発想することはできないのだが、そのことが学生時代の夢であっても、今の自分しか夢の中では感じることができない証拠なのである。
 夢を見ている時、夢を見ているという意識があることがある。
――夢とは潜在意識がなせる業――
 と言われるが、まさしくその通り、夢を見ているという意識がある時は、特に夢の中だからといって、特別なことはできないのだという思いがあるのだった。
 これも考えすぎが災いしているからなのか、それとも夢を別の世界ではあるが、同じ空間に広がっているものだと考える「パラレルワールド」と比較して考えるからなのか、夢に対して、
「普段の出来事の延長」
 という意識が強かった。
 普段の出来事の延長ではあるが、現実とは明らかに違った世界が広がっている。だからこそ、「パラレルワールド」という発想が生まれてくるのだった。
 テレビでも小説の世界でも、「不思議な物語」として表現はしているが、「パラレルワールド」という言葉で表されることはあまりない。「パラレルワールド」という言葉がタブーになっているのではないかと思うほどであるが、本当は知名度が薄いため、
「どうしても説明が必要だ」
 という発想の元、なかなか言葉として表すのが難しいからなのかも知れない。
 一つの言葉でも、人によって感じている思いが微妙に違っていたりすることがあったりする。文字による説明であれば、余計にイメージしにくいかも知れない。かといって、言葉にするから分かるというものでもない。言葉にすると、発音が同じものでも、まったく違った意味のことも存在するからだ。
 まりえとの話では、まだまだ自分が知りたいことを満たしてくれるものではなかったが、目からウロコが落ちたことがいくつもあった。まりえにとって、修の話も、まりえの中で感じていた疑問を解消させられたものがあったに違いない。ただ、まだまだ発想に距離があることは感じている。ある程度平行線を描いていることもあるはずだ。もっとも交わることは元からないと思っているし、交わった時点が、すべてを解決してくれるとも思わない。気持ちに余裕を持つことができただけでも、よしとすべきなのだろう。
 夜のとばりも降りて、確実に一日が終わろうとしている。
――これは本当に昨日の繰り返しではないのか?
 まったく同じではなかったが、酷似した世界だった。これが昨日からの直線での延長線上ではないことは、一番修本人が分かっていることかも知れない。ただ、それは漠然としていて、グレーなのか、ダークなのか分からない。
 グレーとダーク。曖昧さを感じるのはグレーなのだが、ダークはそこに重さを感じる。修は、ダークはパラレルワールドであり、グレーが一日を繰り返している感覚なのだと感じているのだが、今日の一日は、そのどちらでもあり、またそのどちらでもないような感覚だった。
 家に帰ってくると、一気に睡魔が襲ってきた。今までにも仕事がきつかったりして、一気に睡魔が襲ってくることもあったが、それほど考えることが多かったのだろうか。他のことはほとんど何も考えていなかったと思うほど、今日はパラレルワールドに関しての発想が頭の中を巡っていたのだった。
 眠気が襲ってきたので、パジャマに着替え、寝床に入った。テレビをつけておいたのが悪かったのか、睡魔は襲ってきているのに、眠れないのだ。
 眠ろうとしているが、すぐに意識が引き戻される。原因が何か最初分からなかったが、何度か引き戻されているうちに、何度も寝返りを打っていることに気が付いた。どうして寝返りを打つのかということを考えてみると、やっと気が付いたのが、腰の痛さだった。
 それまで腰痛やぎっくり腰などになったことがなかったので、腰の痛さというものがどのようなものか分からなかった。今も今回初めての痛みなので、一般に言われる腰痛に対して、軽いものなのか、それ相応のものなのかの比較ができない。それだけに気付くのが遅れても無理のないことであろう。
 一度身体を起こし、再度横になった。痛みは相変わらずで、なかなか寝付けない。そんなことを繰り返しているうちに、さっきまであれだけ眠かった目が冴えてきた。それでも睡魔は残っていて、そのギャップが軽い頭痛として、襲ってきたのだ。
 腰痛と頭痛のダブルパンチに、そのまま寝てしまえば、
「きっと朝まで起きなかっただろうに」
 と思っていたものが、一日の最後で、時間の感覚を長引かせる結果になってしまった。時間を長く感じるのは、しょうがないとしても、自分の部屋にいて、時間の長さを感じるのは、あまり好きではなかった。
 今までずっと、仕事が終わったら、すぐに帰宅していたのだが、ここ最近は、帰りにいろいろ寄ってくることが多くなった。本当につい最近のことだが、そのせいもあって、家にいる時間が長いと、感じている時間よりもさらに長く感じられることが嫌だったのだ。
 その一番の理由は、静寂だった。
 部屋の中にいると、まわりから音が遮断された感覚になる。そこまで防音設備が行き届いた部屋ではないのに、最近は耳鳴りに襲われるほどの静寂を感じるようになっていた。
 テレビはついているが、見ているわけではない「流れてくる」音と、ボンヤリしながら見つめる画像は、漠然とした時間にふさわしい。もしテレビがついていなければ、さらに時間が長く感じられたに違いないと思うほど長かったのだ。
 時間が長いといっても、流れる時間がゆっくりと感じられるわけではない。最終的に、
「終わってみれば、長かった」
 ということを感じさせるに違いない感覚が頭の中にあるからだ。
 ただ、これはいつものことなのだが、気が付けば眠ってしまっていた。目を覚ました時は午前零時を回っていて、明らかに翌日になっていたのだ。
「また昨日を繰り返しているのか?」
 という胸騒ぎを覚えたが、少なくとも、昨日は夜中に目を覚ますことはなかった。
 テレビはついたままだった。
 テレビのリモコンを使って日付と時間を確認する。
「明日になっている」
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次