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異能性世界

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「確かに同じ日を繰り返しているという意識はあるんだ。本当にそれを感じ始めたのがいつだったのかと言われるとハッキリしないんだけど、徐々に意識が深まっていったようだね」
「それは、自分の意識に自信がないからでしょうね。そんなはずはないという思いがどうしてもあるので、自分の中の常識としての意識が邪魔をしていると言っても過言ではないんでしょう。だから、徐々にしか意識が生まれてこないんですよ」
「まりえちゃんの言う通りだね。徐々にしか意識が生まれないのは、自分の考えていることがあまりにも大それていると思っているからなんですよ。普通、同じ日を繰り返しているなど誰も思ったりはしませんからね。でも、絶対にそんなことはないんだと思っていることこそ、最近は気になってしまうんですよ」
「気になるから、いろいろ考えてしまうんですけど、私の場合は考えすぎて、堂々巡りを繰り返してしまうんです。そのため、自分の考えから抜けられなくなってしまうんじゃないかって思ってしまうんですよ」
「僕も抜けられないことが多いです。三歩進んで二歩下がるって感覚ですね。だから、結局一歩しか進んでいないので、徐々にしか意識が生まれてこない気がするんでしょうね」
「同じ日を繰り返すという感覚が、意識の中で大きくなりすぎて、意識の限界を超えそうになることってあるかも知れませんね。私は時々思うんですよ。考えすぎて意識がパンクしちゃうんじゃないかって」
「僕の場合は、それが堂々巡りになっているので、限界を感じることはないんですよ。ただ、抜けられない意識が強いので、どこかで意識を変えないと、他のことが頭に入ってこなくなるので、それも難しいところだと思っています」
「修さんは、もし、毎日を繰り返している時があるのだとしたら、どうすれば、そこから抜けられると思ってますか?」
 まりえと修は、同じ日を繰り返しているというところで、一致した意見を持っているが、そのことで感じていることは、まったく違っている。まりえの方では、意識の限界を感じていて、修の方では堂々巡りを繰り返すことで、抜けられないと思っているのだ。どちらが強い意識を持っていて、どちらがきついと思っているのか比較にはならないだろうが、話をしていくうちに、何か解決の糸口であったり、お互いの疑問点を解消できることが見つかれば幸いだと思っていた。
 そのことについては、二人とも共通した意見であろう。特にまりえの場合は、同じ意識を持った人は思っているよりたくさんいると思っていながら、なかなか見つからなかったことに苛立ちに近いものすら感じていたようだ。だからこそ、修の存在は新鮮であり、出会えたことを嬉しく思っているのだろう。お互いに好きあっているのではないかと修は思っているようだが、まりえの方の本心に関しては、話をしているうちに次第に分からなくなってきた修である。
 だが、話をしてみないと分からないことが多いのも、まりえと修の関係ではないだろうか。そのことをまりえも分かっているようで、積極的に話してくれる。それは修にとってもありがたいことで、自分が疑問に思っていたことが解決されるはずだからである。真面目な話でありながら、話の中にすべての意識を集中させてしまわないようにしなければと思うほど難しい話であった。
「下手に意識しない方がいいと思うんだけど、違うかな?」
 正直、修にも分からない。分かるはずがないという意識が邪魔しているのもあるのだろうが、
――分からないことを考え続けるのは時間の無駄だ――
 という思いもあるからだ。
 冷めているからではない。自分が考えすぎるところがあり、そのせいで堂々巡りを繰り返してしまうという意識があるからだ。
「そうですね。私もそう思うんですけど、そう思っても安心できない自分がいるんです。ふと我に返ってしまった時、本当にそれでいいのかって、また考えてしまうんです。考えすぎなのかも知れませんね」
 まりえの場合は、意識の限界を感じていることで、時間の無駄だとまでは行かないまでも、結論など出るはずはないというところで、修と同じ思いなのだ。
 だが、まりえに限らず、特に女性は、どうしても安心を求めてしまう。考え事をするのは仕方がないが、考えが限界に達したり、堂々巡りを繰り返したりした時に考えすぎるのは、
「不安を解消できない」
 という思いがあるからであろう。
 不安を解消できないと、また考え込んでしまう。
 不安を解消することと、安心感を得たいという思いと、同じものだと思っていたが、最近の修は違うものだと思い始めた。
 不安を解消できれば、安心感が生まれるが、それは一時的なものだ。恒久的な安心感ではない。そのことは分かっていたはずだと思っていた。しかし、それを一緒に考えてしまうのは、それだけ気持ちに余裕がないからではないだろうか。
 同じ日を繰り返していることから抜けるのは、意識を変えることが一番ではないだろうか、実際に同じ日を繰り返しているということを事実として捉えているのかどうか、疑問がある。
「忘れてしまうことのできない夢のようなもの」
 そんな感覚が、同じ日を繰り返している意識の中にあるとすれば、すべては意識の問題である。
 限界に達しているまりえと、そして堂々巡りを繰り返していると思っている修の考え方とでは、過程が違っても、結局は同じところに行きついている、そう思うと、
「あまり意識しないようにすること」
 という結論が一番近い気がするのだ。
 一気に意識しないようにするなど不可能であることは、お互いに分かっているはずだ。
「それができれば、苦労はしない」
 と、お互いに思っているはずで、ゆっくりであっても、結論に近づけるしかないことを意識できれば、まずそこからが出発点だと言えないだろうか。
 修は子供の頃から、余計なことを意識してしまう自分を感じていた。余計なことを考えてしまって、
「お前は行動がゆっくりだ」
 と言われて、まわりから苛立ちを覚えられることもあった。
 また、余計なことを考えてしまうことで、焦りを生み、却って焦って失敗してしまうこともあった。
「そんなに慌てず、ゆっくりやればいい」
 と、言われたこともあり、その人から行動がゆっくりだと言われたことはなかった。どうやら、相手によって態度が変わるところがあり、人によって、修に対して抱いている思いがまったく正反対だったりしていたようだ。
「あいつは掴みどころのないやつだ」
 と言われていたものだ。
 もちろん、修本人は自分がまわりからそう言われていることは分かっていた。分かっていたが、なるべく気にしないようにしていた。気にしても仕方がないからだ。その原因が余計なことを考えてしまうところにあることも分かっていた。だから、気にしても仕方がないと分かっていたのだ。
 掴みどころのないことで、逆に修に一目置いている人もいた。そんな連中が修の友達になったのだが、皆まわりから、
「変わり者」
 と言われている人たちばかりだった。
作品名:異能性世界 作家名:森本晃次