異能性世界
もちろん、今から思えばそう感じるのだが、女の別れの切り出し方にだって、問題はある。そう思うと、どっちが悪いのかなど、分からなくなってしまう。別れるにはそれなりの理由があるのだろうが、それを、お友達以上に思えないという漠然とした言い訳をされても、こっちはどうすればいいというのだ。修はあの時のことを思い出すと、自分の世間知らずだったこと、そして、言い訳で別れを切り出す女と付き合っていたこと、そのあたりに問題があったのではないかと思うのだった。
大学時代には、何度か似たようなことを繰り返した。
卒業後は、会社の女の子を好きになり、一時期付き合ったことがあった。彼女は、大人しそうな性格に見えたが、結構気が強い。それでも、最初に気弱そうに見えたのは、修が赴任する少し前に失恋を経験していたからだった。
「私は、結婚まで考えていたんです」
この言葉はショックだったが、修の闘争心に火をつけた結果になったかも知れない。その人は別の会社だったが、転勤で遠くに行ってしまったようだ。ちょうどその後に修が赴任してきたわけで、まるで火事場泥棒のようで、少し気が引けるところもあったが、彼女が修を見つめる目は、修に初めての一目惚れを経験させたのだった。
彼女は修のことを本当に好きだったようだ。修に対しては今までの女性よりも厳しかった。今までが学生同士の付き合いだったというのもあったが、その時の付き合いは、彼女が明らかに結婚を視野に入れていたことで、少し修との気持ちの間で距離があったことも事実だった。
だが、修もそんな彼女が好きだった。結婚までは真剣に考えていなかったが、
「この人と結婚できたら、幸せだろうな」
と思っていた。
実際に、付き合って行く中で、結婚を意識し始めたのも事実だし、まわりからも、
「結婚するにはお似合いだ」
という目で見られてもいたようだ。
だが、結婚を意識し始めると、今度は相手が少し距離を置くようになっていた。修のことを真剣に結婚相手と見るようになって、少し物足りなさを感じるようになったからなのかも知れない。
「一緒に昇った梯子を、自分だけさっさと降りてから、外されてしまった感じだ」
要するに、置き去りにされてしまったのだ。
こんな時のショックをいかに癒すことができるかなど、その時の修には持ち合わせていなかった。今同じことが起こったとしても、対処するのは難しいだろう。精神的に打ちのめされて、どうやって立ち直ったのか覚えていないほどのショックは、かなりの間、精神的に尾を引いた。
しかし、一旦忘れてしまうと、今度は思い出すことの方が難しいくらいに、ポッカリと頭の中に大きな溝を作ったかのようになっていた。
「あの時のショックは何だったんだろう?」
トラウマとしては残ったはずなのに、どうしてこんなに簡単に忘れてしまったのだろう? 不思議で仕方がなかった。
大きなショックから立ち直る時というのは、何かを掴むことだと言われるが、逆に何かを失っている時だと思う。何を掴んで何を忘れてしまっているのか、その差がどれほどのものなのかはその時々で違うのだろうが、少なくとも、その時から修は感覚がマヒすることが多くなっているのに気が付いていた。
何も感じなくなったこともある。
家族に対しての感情も薄れてきた。家族愛などという言葉も、まるで他人事。そんな修だったが、恋愛はもういいと思っていた。
最近まで修は、その時の恋愛を完全に忘れていた。ここまで完全に忘れてしまっていたというのは、まるで記憶喪失のような感じだったのかも知れない。人に恋愛経験を聞かれた時も、
「学生時代に二度ほど恋愛経験があるだけで、大人の恋愛など経験したことはなかったですよ」
と、答えていたに違いない。それほどのショックは記憶を喪失させるだけのものであって、それが修の精神の弱さを示しているものなのかどうか、自分でも分かっていなかったのである。
それを思い出させてくれたのは、リナとの出会いだった。
「あなたを好きになってくれる人が必ずいるはずだから」
という言葉を聞いて、目からウロコが落ちた気分になったことで、忘れていたはずの記憶がよみがえってきたに違いない。記憶は飛んでいたものではなく、封印されていたものなのだろう。思い出すことができたことは、本当によかったと思っている。
今さら思い出したとしても、ショックはすでになく、思い出として残っている。
「もし、今彼女と会ったら、どんな話をするだろう?」
もっとも、話などできるであろうか。何を話していいのか分かるはずもなく。ただ佇んでいるだけになるかも知れない。
しかし、一度は胸を焦がすほど好きだった相手である。ひょっとするとまた同じことを繰り返すかも知れないとも感じた。それでもいいと思うのは、一度完全に記憶の奥に封印されてしまったからであろうか。修にとっての彼女は、これからの人生にどのような影響を与えるのか、まったくの未知数であった。
――このまま忘れてしまっていた方が幸せだったかも知れないな――
と思う時が来るような気がしていた。それが怖くて仕方がない気もしていたが、出会いということに対して感覚がマヒしてしまったままでは、せっかくの自分を好きになってくれる人に気付かないというのは悲しいことだ。
「まりえちゃんは、誰か付き合っている人、いるのかい?」
「いいえ、いませんよ。いればいいんですけど、誰かいい人いますか?」
その顔はまるで、
「それは僕のこと?」
と聞いてほしいと言わんばかりに思えた。相手の気持ちが手に取るように分かり、その通りにするのは少し癪な気もしたが、それもくすぐったい気持ちにさせるだけで、心地よさに繋がるものだ。思ったことをそのまま行動に移すと、まりえは笑みを浮かべた。それは満足そうな笑みで、
「修さんと、お付き合いできれば、ステキでしょうね。デートとかどこに連れて行ってくれるのかしら?」
もう付き合い始めたような感覚である。
それにしても、まりえがこれほど積極的な性格だとは思わなかった。大人しそうな性格で引っ込み思案に見え、それがいいと思っていたが、本当は、
「まわりに対して言えないことでも、自分にだけは話してくれ、そして他の人の前では見せない笑顔を、自分にだけ見せてくれることのできる彼女が好きなんだ」
と思っていたのだ。
今のまりえが、まさしくそんな雰囲気ではないだろうか。お互いにデートということに関しては思い入れがあるようで、話が弾んでいた。映画を見たり、ショッピングに出かけたり、楽しい発想は一人で浮かんでこないことも話をしているうちに、いくらでも浮かんでくるものだった。
「楽しい話をしていると、時間が経つのを忘れてしまいますね」
「そうだね。時間なんてあっという間というのは、このことなんだろうね」
お互いに時間に対しての思いも似たところがあるのか、その後は、時間に対しての話に花が咲いていた。
「楽しいことほど、永遠に続いてほしいという思いのある時間だと思っているんだけど、気が付けばあっという間に時間が過ぎてしまっているよね」
「そうですね。でも本当にその通りで、それも、意識しすぎてしまうからなのかも知れませんね」