短編集27(過去作品)
「そうそう、例えばそんなことだね」
「いわゆる虫の知らせというやつですか?」
「そうだよ。後になって気付くものだけど、私はそういう話を信じる方だね。それだけ一生懸命に打ち込むことができる何かがあったということなんだから、信じたくなる気持ちも分かるだろう?」
三橋は深々と頷いた。
――走れなくなることを感じたのは走っている自分ではなく、走っている姿を見た自分が何か変調を感じることで、予感した虫の知らせに違いない――
ショックから立ち直ると、そのことを痛感した。やっと、まわり全体を見ることができるようになった証拠だろう。
だがどこで狂ってしまったのだろう。陸上選手としての輝かしい過去を持っている自分はそれが自慢だった。自慢だと思ったことが悪い方へと影響していったのではないだろうか。そう考えると、またしても袋小路を作ってしまう。
人間が成長は歳とともにあるのだと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。歳を取れば取るほど、自分が分かってくればくるほど、虚しさがこみ上げてくる。きっと絶頂の時期というものがあり、それを過ぎると衰退の一途をたどるとも考えられないだろうか?
身体だってそうではないか。ある程度の時期を超えると、本人の意志のあるなしにかかわらず老化が始まる。精神的なものだって同じなのかも知れない。
老化ではないのだろうが、絶えず成長していきたいと思い、実際に自分のためにいろいろ吸収してきた人がふと立ち止まると、
――私は一体どこにいるんだ――
ずっと前だけを見続けて、果てしなく前進していることを分かっているくせに、思わず後ろを振り向いてしまう。
――もう、こんなに来たんだ――
と思う反面、引き返すことのできないところまで来てしまったことに少なからずの恐怖感を覚える。まるで、置き去りにされてしまったかのように……。
三橋は、そんな夢を今までに何度見たことだろう。きっと夢を見るにはそれなりの理由があるはずなのだが、共通点が見当たらない。潜在意識の中で夢を見るだけの理由が思い当たらないのだ。
夢から覚めた時の朝日は、やけにオレンジ色をしているような気がする。
――夕日じゃないのか?
と思うほどで、身体に感じる気だるさは朝のものではなく、間違えなく夕方のものだ。
――朝と夕方の違いって何だろう?
三橋は影に朝と夕方の違いを感じる。単純に太陽が東の空と西の空というだけの違いではない。同じ太陽の角度であっても、夕日の方が影の長さを感じるのだ。夕方の方がより影の存在を感じる。ビルの壁に写った影が、自分自身を見つめているように何度感じたことだろう。
――影、それは本当に自分を写すものなのだろうか?
鏡を見ていて考えたことはある。元々あまり鏡を見る方ではなかったが、それは自分の顔が嫌いだったからである。
「一番知らないのは、きっと自分の顔だよ」
と言っていた人がいたが、考えてみれば当たり前だ。鏡などに写さない限り自分の顔を確認することがないからだ。改まって言われるまでもないが、思わず一緒にいた人たちは頷いていた。
――俺ってこんな顔をしていたんだ――
どこから見ても無表情だ。鏡に向かって微笑みかけると、目尻にしわができる。それが実に不自然で、やはり自分は無表情の似合う人間だ。
小学生までの頃は自分の顔が嫌いだった。そのイメージは高校を卒業するまで抜けなかったが、親の好みで髪型もいわゆる「ボッチャンカット」、学校ではからかわれ、それでも文句の言えない自分が悔しかった。
だが、嫌いな顔でもじっと見ていれば自分だという変な意識が出てくるもので、高校くらいになると、真面目な顔が嫌いではなくなってきた。表情を変えようとしても、鏡の中の自分はいつも無表情で、ただじっとこちらを見つめているだけである。
表情のなさはまさしく影ではないか。明るいところでは見ることができるが、暗闇では闇に紛れて見ることができない。
――闇に紛れて蠢いている――
という表現がピッタリだ。
影にも表情があるだろう。鏡の中の自分のように無表情で、いつもこちらを見つめている自分に時々気付いて胸騒ぎのような感じになるのは、三橋だけではないだろう。だが、それも自分の顔を鏡で見て、鏡の中を自分だという意識がなければ存在しない考え方のように思う。影と鏡、切っても切り離せないものではないだろうか。
――自分が一番可愛いんだ――
といつの間にか考えるようになっていた。
本を読めば読むほど、自己犠牲が世の中を作ってきた歴史を垣間見ることができる。元々歴史が好きで、歴史の本をよく読んでいた。小説ではなく、史実に基づいた流れの話が多く、時代の節目節目に興味を持っていた。
歴史の中の美徳は、自己犠牲が大きな部分を占めている。陸上をしている時でも時間があれば歴史の本を読んでいた。自己犠牲に興味があったわけではない。ターニングポイントを見つけて、そこがその後の歴史にどのような影響を与えたかということに興味があるのだ。
考えないでいいことを必死に考えているから、考えないといけないことをおろそかにしてしまう。そんなところがあることに三橋は気付いていた。だから袋小路を自分で作ってしまって抜けられなくなってしまう。
――考えれば考えるほど、自分の考えが狭くなっていくんじゃないか?
その危惧は今に始まったことではない。走っている時に前に誰もいない時ですら感じていたことだ。いや、前に誰もいないから逆に不安になる。後ろから追われていると、
――いつか後ろから倒されるんじゃないか――
とまで考え疑心暗鬼になっている。
マラソンの場合は、途中まで人の後ろにいて先頭の後姿を見て走ることで自分のペースを掴めるのだが、短距離ではそうはいかない。確かに数秒で決まってしまう勝負なのだが、走れば走りこむほどタイムは短く更新されていくが、実際に感じている時間はだんだん長くなってきている。まるで距離が長くなっているように感じるというべきか、五十メートルが最後は百メートルくらいに感じたものだ。
スタートラインから見るゴールに変わりはない。走り終えての疲れも変わらない。違うのは走っていてなかなかゴールにたどり着かないという感覚で、ペース配分が自分の中で次第にできなくなっていった。
それを不安というのだろう。不安を感じるとその時間は次第に長くなる。そのことに気付いたのが自分の青春そのものだと思っていた陸上だったとは皮肉なことだ。
不安が募るというのは、足元が揺らいでくることだった。
走っていると、まわりの視線を感じることがあった。いつも後ろからだけの視線にしか気付かなかったが、一度横からの視線に気付くと、それからは気になるようになっていった。
その視線は絶えず横からである。自分が走っているにもかかわらず、絶えず真横から……。
――一番自分が早いはずなのに――
と考えると、横を覗いてみたくなる。
だが、それによって後ろからの視線を余計に感じるのも嫌だった。背中に感じていると振り向きたくない衝動に駆られるのは当然のことで、特に走っている最中に頭を動かすことはバランス感覚を保つ上で致命的である。
――この世界は自分だけのものなんだ――
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次