短編集27(過去作品)
「自分ではあっという間のことにしか思えないんだ。まるですべての時間だけが進んでしまって、自分だけが取り残されたような気がするんだよ。十分くらいのものなんだろうけどね」
と言うと、美奈もこういう話はまんざら嫌いではないらしく、
「じゃあ、寿命が少しだけ延びたと思えばいいんじゃないかしら? きっとあなたにとってこの十分という時間は存在しないのよ。隣にいてまるで抜け殻のように見えたもの」
美奈が真剣に新宮の顔を覗き込んでいる。
「じゃあ、その十分は僕にとって何だったんだろう?」
「あなたの知らない世界なのかもね。逆にあなたは私たちの知らない世界を見たのかしら?」
とても信じられそうもない話を平気な顔でする美奈、さすがにこの時は気持ち悪さを感じた。普段は虫も殺せぬようなあどけない表情なのだが、その時は目の下にできたクマが印象的で、
――あどけない表情の持ち主が真剣な顔をすると、あんな表情になるのか――
というのを思い知らされた気がした。
美奈のそんな顔を見たのは、それが最初で最後だった。それからはいつものあどけない表情だったのだが、今から考えると、一度くらいは真剣な顔を見られてよかったように思う。きっと一度は見ることになる表情だったのだろう。だが、もう二度と見ることができない表情。それだけに一番印象に残っている話でもある。
「あの時の私はどうかしてたのね。どんな話をしたのかすら覚えていないわ」
あどけない表情で見つめられると、新宮もあの時の表情が幻だったのではないかという錯覚に陥ってしまいそうになる。不思議な気持ちだ。
あどけない中に妖艶な雰囲気を醸し出している美奈は、従順なところがあどけなさに結びついているように思える。
もう十年以上も前のことになるだろうか? 友達と見に行ったSF映画を思い出す。タイムマシンを使ってタイムスリップする映画で、本人の見た側と、まわりから見た側とから描かれていた。
タイムスリップしている人は、目の前が光って、突然違う光景が飛び込んでくる。まわりから見ている方は、空間に穴が開いたかのようになっているところに、いきなり飛び込む姿が一気に映し出されている。まるで火の玉になったかのようだ。まさしくタイムトンネルと呼ばれるものだ。
トンネルといえば思い出すのが西洋屋敷の近くにあった空き地から少し入ったところに防空壕の跡であった。崖になったところの森の中に作られていて、いつ崩れるか分からないということもあり、子供はおろか、大人も立ち入り禁止だった。冒険心の強い連中は探検に行っていたようだが、一度行くと二度目に行こうという人が一人もいなかったことが不思議だった。
だが、ゆくゆく話を聞いてみると、一度入った人は、中で何が起こったか覚えていないらしい。入る前と出てきてからの記憶はしっかりしているのだが、中での部分だけがポッカリと記憶の中から消えている。
「消えているのではなく、頭の奥に封印されているんじゃないか?」
と言いたいのを堪えたが、まだ子供だった新宮の話をまともに聞いてくれる大人がいるはずもないし、
「子供は余計なことに口出すんじゃありません。ただ、あそこへは立ち寄ってはいけないの」
と諭されるだけだろう。
それこそ大人の理屈というものである。自分たちだって子供の頃があり、いろいろな発想を巡らせていたはずなのに、どうして大人になると、自分たちだけの杓子定規な発想だけで固まろうとするのか、憤りを覚えるだけだった。自分が大人になって子供を見ていると、
――なるほど、子供っていうだけの発想にしか見えてこない――
と思ってしまう自分が悲しかった。ところどころではいい発想をするのかも知れないが、全体的なものが見えていないため、子供の意見を鵜呑みにできないと考えるのだ。相手が大人なら、
「一つの意見」
として受け入れられるものが、子供というだけで受け入れられないのも、
――ああ、悲しい大人になったんだな――
と心のどこかで嘆く結果を招いているのかも知れない。
防空壕の中に入っていった子供は、自分が防空壕に入ろうと決意した記憶は残っているらしい。中に入って一瞬冷たさと暗さを感じたところまで記憶があるのだが、そこから先はまるで彷徨うように表通りを歩いているところからの記憶しかない。
もちろん、行ってはいけないことになっているところに立ち入ったことを大人に話すようなことはしない。怒られるのがオチで、きっと何も真剣に考えてくれないと思うからだ。子供の目から見て大人は、
――自分たちのことは棚に上げて、子供だという理由だけで、まともに話を聞こうとしないそんな連中だ。自分たちの理屈に合うか合わないかだけですべてを判断する――
としか思えない。そんな連中相手に真剣に訴えても無駄なのは最初から分かっていた。
冒険心がないわけではないが、危ないと分かっていることにチャレンジするほどの価値を自分なりに見出せないと思った新宮は、防空壕に近づくことはしなかった。もう少し自分が理屈を考えない性格ならば近寄って行ったことだろう。
頭の中にある「タイムトンネル」、中で何が繰り広げられているのかを考えていると、なぜか頭の中に浮かんでくるのが、木の切り株などに浮かんでいる年輪だった。
――なんて突飛な発想をするんだろう――
思わず苦笑いをしてしまったが、一年ごとにできる溝の間に何か凝縮された記憶があるという発想である。人間のようにカレンダーがあるわけでも時計があるわけでもない。規則正しい自然の営みだけが繰り返されることで刻む年輪の幅が決まってくるのだ。神秘的だが、その間に何が起ころうとも規則的に年輪を刻んでいる。タイムトンネルも規則性の中で成り立っているように思えてならないのだ。
美奈の話を聞いていると、自分の考えをかなり代弁してくれているように思えた。他の人相手ではまともに相手にしてくれないような発想を新宮相手にしている。最初から同じような考えを持った男性だと感じているに違いない。
――オンナの勘――
と言えるのではないだろうか。
しかし、それもたった一度だけのことだった。まるで
――それこそが幻だったのでは――
と感じてしまうほどである。
「見てはいけません」
昔話を思い出す。見てはいけない顔を見てしまったのではないかと思えるのは、それがたった一回だったということに起因している。時間が経つにつれ、その時の表情や話が次第に頭の中で大きくなってくる。本当に見てはいけないものを見てしまったのではないかと感じたこともあったくらいだ。
――見てはいけないもの――
記憶を失う時に、そう感じたのではないだろうか? 昔話でもあるではないか、見てはいけないものを見てしまえば、死んでしまうか記憶を失うか、どちらかだということが……。何か教訓めいたものを残してくれているのが昔話だと思っている。
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次