夏橋
「う~ん、方法としては児童保護施設、いわゆる孤児院に引き取ってもらうことも考えられますが……なつこがそれを望んでいるのかどうか……」
「え? 今、なつこと言われましたかな? あの子、名前をなつこと?」
「ええ、それが?」
長老の顔には明らかに動揺が広がっていた。
「……もしや、夏橋の謂れと何か関わりがあるんですか?」
沢田は、以前三代目の橋について長老たちが口をつぐんだのを覚えていた、そしてなつこが来るようになって、なぜか名前の一致が何か偶然ではないような気がしていたのだ。
三代目夏橋の謂れを聞き出すとしたら今しかないと沢田は思った。
「……隠しておっても先生にはいずれわかってしまうじゃろうと思いますでな、いっそ今話しちまいましょう……ワシら年寄りは『夏橋』と聞くとちっとばかり胸が痛くなるんですじゃ」
「と、おっしゃいますと?」
「ワシらもワシらの爺様辺りから聞いただけの話ですがな、最初の橋と二代目の橋が流されてもうて、それでも橋はなくちゃならんものだったもんで、無理しても三代目を架けなきゃいかんと言うことになったんだそうですじゃ、じゃが、どっちの村にもそんなに余裕があるわけじゃありゃせんでな、今度の橋こそ流されないようにせにゃならん……と」
「それは当然そう考えるでしょうね」
「で、その時に誰が言い出したのか知りませんがな……」
それで大体見当がついた。
「人柱……ですか?」
「……」
長老は深く頷いた。
「その頃、村に一人の娘がおりましてな、母親はその子を産んだ時に亡くなったそうですじゃ、お産が重かったのは娘にも良くなかったんでしょうな、その子も智恵遅れだったそうで……それでも父親が一人で面倒を見とったそうじゃが、その父親がひょっこりと死にましてな」
「その理由は?」
「染物職人だったそうですじゃ、それで川っぺりに小屋を建てて住んどったそうなんじゃが、鉄砲水で流されましてな、おそらく娘だけはなんとか助けたいと思ったじゃろう、父親は流されて娘だけは助かったんですじゃ」
「しかし、その当時、智恵遅れの子で親もいないというのは……」
「ええ、はっきり言って厄介物でしかありゃせん、じゃが父親は皆に好かれる男じゃったそうで、村中でその娘の面倒を見とったそうじゃが、智恵遅れでは嫁の貰い手も無ければ仕事もできん……」
「その子が人柱に……」
「……」
長老は頷いた、そして、沢田はこう続けた。
「そして、その子の名前が『なつ』だったのでは?」
「その通りですじゃ」
「おなつとなつこ……か……」
「ワシらも人柱の話はちょっと眉唾だと思っとったんですがの、今の橋を架ける工事中に出て来ましたのじゃ……」
「おなつの骨……ですね?」
「さすがにあれを見た時は、思わず念仏を唱えましたじゃ……ワシらより下の世代はもうこの話は知りませんがの……」
「『おなつ』と『なつこ』……名前だけじゃなくて、なんとなく境遇も似てますね、そのなつこが橋桁の下のテントに住んでいるというのも気になります……ですが、こういう事はやはり子供の気持が一番でしょう、今度なつこがやってきたらそれとなく気持を聞いておきます」
「そうして貰えますか、それが一番じゃな……」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「施設って?」
「親を亡くしたり捨てられたりした子供たちが一緒に暮らすところだよ」
「だって、あたしにはお父さんがいるよ……それに捨てられてなんかいないもん」
次になつこがやって来た時、施設の話をしてみたが、やはり父親と離れる気はないようだった。
そして次の寄り合いに顔を出して年寄りたちにその話をした。
「私としても今のままで良いとも思えないんですが、本人が嫌だというのを無理にと言うのも正しくない気がするのですよ」
「そうじゃなぁ……しばらく様子をみるほかないじゃろうなぁ……」
長老がそう言って溜息をつくと、別の年寄りが……。
「じゃが、夏美ちゃんのこともあるで……」
一瞬、場の空気が凍りつき、それを口にしてしまった年寄りも気まずそうに黙り込んだ。
「夏美ちゃん? 新しい名前が出て来ましたが?」
「いや、気にせんでもらえますかの」
「それは無理な話でしょう、今の空気はただ事じゃなかった……聞かせていただけないのなら自分で調べますが、どうやら私にもかなり関わりがあることのようですからね」
沢田がそう言うと、長老は渋い顔で話し出した。
「実は……あの家に住んでたのは、米作りをしてる夫婦と娘でして……夏美ちゃん言うて小さい……何年生じゃったかの?……そうか……二年生の女の子じゃったんですわ」
「もしや、その子も川に嵌って?」
「その通りですじゃ……梅雨時言うのは田植えの時期でもありますからの、夫婦は二人とも朝から田んぼじゃった、で、いつもなら学校の帰りに田んぼに寄って行く夏美ちゃんが時間になっても来んのですじゃ……心配になって橋まで行ってみると……ランドセルが落ちてたんですわ……二人は『夏美、夏美』と叫びながら堤防を川下に向かって走り出しましてな……わしらも一緒に探したんですが見つからん、勿論消防にも電話しましてな、ヘリコプターも出て探しましたんじゃが……」
「見つからなかった?……」
「黄色い帽子だけがずいぶんと下流で見つかっただけでしたわ……流れが速すぎてダイバーとかも川に入れませんでな、やっと探せるようになったのは三日も四日も経ってからで……」
「やはり?」
「わしらは正直なところ、帽子が見つかったところでだめじゃろうと思いましたがな、親にしてみれば諦められるはずもありゃせん……特に母親は毎日毎日狂ったように探し回っておりましたがの……遺体が見つかった時には……」
「精神に異常を?」
「そうですじゃ……それから直じゃったなぁ、二人してどこかへ行っちまったのは、父親はなんとか正気を保っておりましたからの、家と田んぼを売り払ってどこかの病院にでも入れたんじゃろうと思っとります……行き先は誰も知りませんのですわ」
「そうですか……そんな謂れが……」
「お気になさりませんかの?」
「ええ、まあ、仕事柄怖い話には慣れてまして……それに別に私に恨みがあるわけでもないでしょうから……哀しいこと、気の毒なことですが、気にはなりませんね」
「そうですか、それなら良かった……わしらも別に隠し事をしてたわけではありませんがな、なんとなく気になっていたもので」
「ええ、お気になさらずに……
「いやいや、あの家が空き家になっていると忘れようにも忘れられませんでしたからな、先生が住まわれるようになって、なんだかほっとしてますんで……」
「ですが……それを聞いたからには尚更なつこを何とかしないと……私はあんな小説を書いていますが、呪いだの怨念だのを根っから信じているわけでもないのですよ、しかし、偶然にしては出来過ぎている、気にならないといえば嘘になりますからね」
しかし、なつこに夏美とおなつの話をして怖がらせて父親から引き離すわけにも行かない。
なつこは相変わらず時々やって来ては菓子や惣菜を食べ、ジュースを飲んで行く。