怒りの交差
「お姉さんは、学校には行ってないんですか?」
と聞くと、
「ええ、私は小学校卒業までは行っていたんだけど、今は行っていないの。小学校を卒業した頃に、病気が発覚して、療養を必要とされたのよね。それで療養にふさわしい場所として、お父様の別荘に行くことになったの。その別荘というのが、その丘の向こうにあるんですけどね」
と言って、線路の向こうにある丘を指差した。
その向こうには、あまり行ったことがなかったが、確か森があって、その真ん中に大きな池があったと記憶している。子供の頃、一度行った記憶があるが、子供が楽しめるものが何もなかったので、ほとんど記憶に残っていない。なぜ、両親がそこに連れていったのか分からなかったが、連れて行った両親も、その時にガッカリしていたようだ。両親のガッカリしている姿を見て、自分もガッカリしてしまったのだろう。
小学生の途中くらいから、親に対して疑問を感じるようになった隆二だったが、疑問を感じながらでも、親が感じていることを以心伝心してしまったのが、小学生の頃だったのだ。
それでも、何とか思い出そうとすると、確か、池の奥に白い西洋のお城のような建物が建っていたのを思い出した。
――あれが彼女の言っている別荘なんだろうか?
もし、そうだとすれば、かなりの大きさだった。
まさか別荘などとは思わなかったので、何かの博物館なのだと思った。両親がその建物に近づこうとしなかったのは、そこが人の持ち物であることを分かっていたからであろうか。そう思うと、本当にどうしてそんな場所に家族で赴くことになったのか、想像もつかない。
――ということは、その時にはすでに、彼女はその建物の中にいたのかな?
と思うと、何となくむず痒い気分になった。
「お姉さんは、今おいくつなんですか?」
と聞くと、
「今年で十八歳になるわ。学校に行っていれば、高校三年生になるのかしらね」
と言っていた。
高校三年生というと、大学受験を目指しているか、就職活動をしているかで、大人の仲間入りの一歩手前というところであろうか。彼女は学校に行っていないと言っていたので、クラスメイトに感じるような女の子を感じることはなかった。
――まるで天使のようだ――
と思うと、その瞳に吸い込まれるかのようだった。
「私、もう長くないの」
「えっ?」
屈託のない笑顔で言われると、真剣な話なだけに、信じられないことでも信じてしまう。「長くないって、それは不治の病で?」
「ええ、お医者さんからも宣告されているわ。私の家系には、私と同じような病気で亡くなった人が結構いるの。だから、生まれてきた時から、爆弾を背負っているようなものだったのよ」
信じられない話を畳み掛けられた。
「まるで呪われているようですね」
と言うと、
「そうかも知れないわね。でも、私は死ぬことが怖いとは思わないの。私たちの家系では、この病気で死んでも、誰かの中で生き返るという言い伝えがあるのよ。普通の人は信じられないと思うんだけど、私たちは真剣に信じているの。だから、病気が発症してから少しの間は、他の人と接することを禁じていて、ある時期になると、今度は表に出て、いろいろな人に接することにしているの。私はちょうど今日が、そのある時期に当たるの。そして、最初に出会ったのがあなただということになるのよ」
信じられない話であっても、疑う余地のない話というのはあるもので、隆二には、まったく疑う気持ちはなかった。
「信じられない」
と口では言ったが、余計に気持ちは疑うという感覚ではなく、気持ちとしては屈託のないものだったに違いない。
「お姉さん、お名前は?」
「私は、つかさっていうの。ひらがなで『つかさ』ね」
「つかささんですね、素敵なお名前です」
隆二は、真剣にそう感じた。もし、自分が女だったら、つかさという名前が似合うのではないかと思ったほどで、
――きっと一生忘れられない名前になるんだろうな――
と感じたほどだった。
「僕の名前は隆二って言います。名前は男らしい名前なんだけど、実際には友達といるよりも、一人でいる方がいいと思っている孤独な男ですよ」
と言うと、
「一人でいるのが孤独だというのは分かりますけど、だからといって、そんなに自分を卑下する必要はないと思いますよ。私はあなたと一緒にいるだけで楽しいと思えますからね」
「そうなんですよ。僕も今までにないようなワクワクした気持ちをつかささんと一緒にいて感じます」
それは、一人の女性と一緒にいる楽しみを初めて知ったという意識からであろうか。それとも、相手が年上であり、学校も行っていないのに、自分よりもたくさんのことを知っているようで、今までの何も知らなかった自分が恥ずかしいという気持ちもあるからだろうか、彼女に対して一生懸命に自分を見せようとしている自分に気付いた。
しかし、それは押し付けがましいものではなかった。
今まで自分が他の人と一緒にいて楽しいと思わなかったのは、
――自分を見せよう。目立ちたい――
という気持ちが強すぎて、自分だけが先走ってしまい、まわりを置いてけぼりにしてしまったことで、ハッと我に返った時、
――俺は孤独なんだ――
と感じてしまった。
孤独だから寂しいという思いを抱かないようにするには、その場から、さっさと逃げ出すことしかなかった。まわりを見る余裕もなく、いや、見ることを避けながら自分だけで突っ走ると、孤独だけが残り、
――二度と、あの人たちと関わりたくない――
と思うようになった。
自分が恥ずかしいという気持ちも最初はあったが、次第にその気持ちが薄れてくると、開き直りから孤独を感じるようになったにも関わらず、
――開き直りが一番自分のためになる――
と思うようになった。
そのうちに、人と関わることが面倒くさくなり、孤独を悪いことではないと思うようになっていった。その思いはずっと変わることがなく、大人になっても、それは同じだった。
「うちに遊びに来られますか?」
「いいんですか?」
その言葉に甘えて、彼女の家に遊びに行った。
そこはまるで今までに味わったことのないもので、まるで竜宮城のような気分だった。
しかも、彼女の家にいるのが楽しくて、夜遅くなって帰宅したのだが、
「あなた、いったいどこに行っていたの?」
と親から言われ、つかさの別荘だと答えると、
「あそこは、三年前に閉鎖になったはず」
と言われ、しかも追い打ちをかけるように、
「あんた、三日間もどこに行っていたの?」
と言われた。
一日だけだと思っていたのに、三日も留守にしていたなんて、一瞬ビックリしたが、
――やっぱり竜宮城だったんだ――
と思うと、変に納得できた。
まわりの大人が何と言おうと、自分を自分が納得させることができたのだから、それが真実なのだと思った。
それからつかさに遭うことはなかったが、頭の中からつかさへの思いが消えることはなかった。
――やっぱり彼女は三年前に死んでしまっていたんだろうか?
と思った。
それから、一日一日の経過する感覚に比べて、数日経ってから思い出す感覚があっという間であり、この感覚の違いが、次第に開いてくるのを感じるのだった。