怒りの交差
その日、何かが違っていたとすれば、風が強かったくらいである。走っていてもハンドルが取られるのではないかと思うほどなのは、身体が分かっているはずなのに、意識としてはなかったのだ。
ハンドルを握ってペダルをこいでいると、足が痺れてくるのを感じた。最初はその原因がどこから来るのか分からなかったのだが、どうやら、湿気で足が重たくなっていたのが原因だったようだ。
普段なら、湿気が原因だということは身体には分かっていても、頭で理解できなかったに違いない。しかし、走っていて目の前に一瞬、白い閃光が走ったことで、眩しさから、ブレーキを無意識に作動させることで、反射的に身体が反応したことを悟り、その瞬間、足に痺れを感じたのだ。
眩しさやブレーキを作動させたのは一瞬だったが、足の痺れは取れることはなかった。
――どうしたんだろう?
足の痺れに対して疑問を感じたわけではない。湿気や熱気から足に痺れを感じることは今までにも何度もあり、その原因もすぐに分かったからだった。隆二が感じた疑問は、そういうことではなく、足の痺れを感じたことで、一休みしていこうと思ったことだった。
いつもであれば、足に痺れを感じた時ほど、辛くなる前に、一気に家まで自転車を走らせようと思うはずだった。それなのに、
――何をそんなに呑気なことを考えているのだろう?
と感じた。
足の痺れは、一度起こってしまうと、次第に足の裏に痺れが回ってきて、自転車をこぐのも困難になってしまう。だからこそ、最初は少々きつくても、痛いかも知れないが、それを我慢してでも一気に家まで駆け抜けるというのがいつもの考えだったのだ。
足の裏に痺れを感じると、ペダルを踏むのが困難になる。しばらくはじっとしていなければいけなくなり、いつになれば痺れが取れるのか自分でも分からないまま、不安な時間をすごすことになる。
そんな時間ほど、なかなか経ってくれないものである。
――もう、一時間くらいは経っただろう――
と思って時計を見ても、気がつけばまだ二十分ほどしか経っていないなどということはしばしばあった。
――似たような思いを何度かしたことがあったような――
中学に入ると、友達との待ち合わせも少なくはなくなった。五、六人のメンバーが駅で待ち合わせをすることも何度かあり、隆二は今まで待ち合わせの時間に遅れたことは一度もなかった。
それどころか、二番目以降になったこともない。つまりは、待ち合わせ場所に一番乗りするのは、いつも隆二だと決まっていたのだ。
「待ち合わせ時間の二十分前にはいつも行っている」
というのが、隆二のモットーだ。
早すぎるのは分かっているのだが、待ち合わせ場所に、自分以外の人が先にいることを気持ち悪く感じていたのだ。
何か気持ち悪いという根拠があるわけではないのだが、自分が先に来て待っているという感覚が快感になってくるのだ。
快感は一度味わってしまうと、他の人に譲ることはできないものだ。幸いなことに、他の人には分からない快感なので、この快感は独り占めできている。
「あいつは変わっている」
と言われたとしても、自分だけが快感を知っているというのは、それもまた快感であり、次第に待っている時間がワクワクできる時間に変わって行った。
確かにワクワクは快感であるが、時間に対しての感覚とは別だった。
――誰もいないのは快感なのに、一人だと思うと寂しさを感じてしまう――
その頃は、寂しさは辛いことだと思っていたので、一人で待っていることが不安にも繋がっていた。
――誰も来なかったらどうしよう――
待ち合わせ場所を自分だけが勘違いしていて、一番乗りだと思っていたのに、本当は自分だけ蚊帳の外にいるのではないかと思うと、怖さを感じる。
しかし、それでも誰もいない待ち合わせ場所に一番乗りしてしまうのは、怖さよりもワクワクしたいというのが自分の本音ではないかと感じるのだった。
つまりは、ワクワクの時間には、その裏側に怖さが潜んでいるということになる。その頃からだっただろうか、
――楽しさの後ろには怖さが、怖さの後ろには楽しさが潜んでいる。そんな二面性をいつも感じている――
と思うようになっていたのだ。
寂しさは孤独と一体化していると思っていた。
今では、寂しさを孤独は別だと思っているが、最初は同じだと思っていた。その理由がこの時に感じた「寂しさ」だったのだ。
孤独を感じる前に、最初に寂しさを感じていた。
――寂しさというのは、他人から与えられるもので、孤独というのは、自分の気持ちの奥から醸し出されるものだ――
と今では感じているが、中学時代にはそんなことを考えてもいなかった。
なぜなら、その頃には孤独という言葉は知っていても、その感情を感じたことがなかったからだ。
だからこそ、孤独を寂しさの中の一つだと思っていたのだが、その感情は当たらずとも遠からじで、実際に孤独を感じるようになると、
――孤独というのは、辛いことだけではないんだ――
と思うようになっていた。
寂しさも、辛いことばかりではないのかも知れないが、寂しさの中から、自分を納得させるものは生まれてこない。孤独を感じていると、自分を納得させることができるのを感じるのは、
――孤独という感情が、自分の中で何かを生むことになるのだ――
と感じたからだ。
――想像することは孤独にはできないが、創造することは孤独から生まれることもあるのではないか――
と思うようになったのは、創造と想像の比較を考えるようになった高校時代からで、子供の頃から、
――何か新しいものを生み出すことが自分を納得させることで、生きがいに繋がっている――
と思うようになったのが、高校時代だった。
だが、実際に新しいものを生み出すことが自分を納得させることだということに気付き始めたのは中学時代のことで、ひょっとすると、下校の時に足の痺れを感じたあの日が原点ではないかと思うようになっていた。
だから、たまに思い出す中学時代のあの日のことが、
――まるで昨日のことのようだ――
と感じるのであって、目を瞑ると、あの日の白い閃光が瞼の裏にこびりついているような気がして仕方がなかった。
閃光の正体が何であるか最初は分からなかったが、その正体の方向は分かれば、すぐに理解することができた。閃光は最初こそ、
――白い――
という表現がピッタリであったが、何度も思い出すたびに、少しずつ赤みを帯びているのを感じるようになっていった。
それは目を閉じた瞳の裏に浮かぶ眩しさが、赤みを帯びていて、赤みは少しずつ明るさの強度を和らげている。そう思うと、
――眩しさには限界と幻影の二つが存在している――
というのを感じ、光の方向が分かってきた気がした。
――光は海の方から見えたんだ――
そう、光は波に反射した太陽の光だった。
分かってみれば、そうたいそうなことではないように思うが、太陽の光ほど、霊験新たかなものはないのを思い出した。
――当たり前のことであればあるほど、その神秘性が浮き彫りにされる――
神秘性というのは、案外身近なところに潜んでいるということを忘れていた。