怒りの交差
「女の腐ったような態度を取るんじゃないってね。自分ではそんな思いもないのに、謂れのない中傷に聞こえて、その頃から親の小言が中傷にしか聞こえず、説教に説得力を感じなくなったんだ」
「それは今でもない?」
「いや、それを言われたのは、その時だけだったんだが、自分の中でその言葉が残り続けていたんだが、君たちからの苛めがなくなってから、急に親を見ても、残っていた言葉がスーッと消えていくのを感じたんだ」
その頃のことを思い出していた。
急に苛めがなくなってからというもの、自分の中にもう一人誰かがいるような気配を感じるようになった。最初は違和感があったが、途中から慣れてきたというべきか、違和感がなくなっていったのだ。
違和感がなくなる前は、親から見離された気分になり、まわりの人が信じられなくなった。
――誰も俺のことなんて、何も思っちゃいないんだ――
半分やけくそ、半分開き直ったような気分になっていたが、急に苛めがなくなったことで、
――ひょっとして、普通の人間として暮らしていけるかも知れない――
と思うと、それまでの開き直りが冷めていった。
――もし、この時、開き直りが続いていれば、俺の人生は随分と違ったものになっただろうな――
と感じた。
いい方に変わるのか、悪い方に変わるというのか、もしいい方であれば、その時の自分は相当悪いところにいたということであり、逆に悪い方に変わるのであれば、相当にいい方にいたと考えられるだろう。
それは今となっては分からない。自分にとって何がよくて何が悪いのか、そんな感覚はすでにマヒしてしまっていたのだ。
一ついえることは、
――親に対しての気持ちは、すでに他人のような気持ちになっている――
ということで、自分が将来結婚適齢期になって好きな人ができても、結婚しようとは思わないかも知れない。
いや、結婚はしても、子供を作ろうとは思わないだろう。
――子供ができたら、自分が受けた思いを、自分の子供にはさせたくない――
と思えばいいだけなのだろうが、その思いを通り越して子供を作りたくないと思うのは、それほど、強烈なトラウマを植えつけることになったからである。それを言われた年齢にあるのか、それとも、苛められていた原因が遠因としてあるのか、隆二はどちらにしても、子供が嫌いになっていたのだ。
隆二が子供を好きだった時期なんてあるのだろうか?
小学生の頃から苛められていて、自分が中学生になってからは、子供を見ていると、なぜか腹が立ってくる。それは、子供というのが、苛めっ子と苛められっこのどちらかにしか分類されないと思うからだ。
本来なら、そのどちらでもない分類が存在するはずなのだが、苛められっこから見れば、中立の立場の連中は、苛めっ子よりもたちが悪い。ただ静観しているだけというのは、苛めっ子を見て見ぬふりをしているというだけで、苛めているのと同じというわけである。
その理屈は、自分が苛められなくなって分かったことだ。苛められている間は、そんなまわりを見る余裕などなく、どうすれば苛められずにすむかということを考えている時、まわりを見る余裕などあるはずもない。
どうすれば苛められなくなるかということを考えているつもりで、それが不可能だと思うと、次に考えるのは、
――どうすれば、一番被害を最小限に抑えることができるか?
ということである。
考えられることとすれば、なるべく抵抗せずに、相手が疲れるのを待つというやり方である。下手に抵抗すると、相手が面白がって、余計に苛めをエスカレートさせてくる。しかし、その理屈に至るのは、抵抗しないという消極的なやり方をするようになってからしばらくしてからであった。
――理屈じゃないんだ――
苛められっこの取る態度は、無意識のもので、苛められっこの本能とでもいうべきであろうか?
そう考えると、
――苛められっこというのは、苛められっこになるべくしてなった。つまりは、選ばれた人なんだ――
と思うようになり、その理不尽さはいつか何かの形で実を結ぶことを切望するようになっていったのだ。
そんなおかしな理屈を考え出したのは、中学生になった頃だった。苛め自体がなくなって数年が経っているのに、何を思ったのか、自分でもよく分からなかった。その頃から、前に自分を苛めていた連中から、なぜか一目置かれるようになっていた。その理由は本人はおろか、一目置いている連中にもよく分かっていないようで、しいて言うなら、
「カリスマ性のようなものを感じるからなんだろうか?」
と誰かが言っていたようだが、中学にあがったばかりの皆には、その意味は分かりかねていた。
中学生になると、まわりの雰囲気が激変したのを感じた。男のこと女の子のそれぞれの雰囲気がぎこちなく見えてきたのである。
中学に入ると、自分も思春期を迎え、女の子に興味を持つようになるものだと思っていた。それは仕方のないことで、誰もが通る道だと感じていたのだ。
しかし、同級生の女の子を見ても、別に何かを感じるということはない。ただ、気になったのは、制服だったのだ。
それも制服を着ている女の子が気になったわけではなく、制服自体に興味があった。
――制服を着てみたい――
という感情があったわけではない。
自分が制服を着ている姿など、想像しただけで嘔吐を催すほど気持ち悪いと思っていたし、着てみた感触を想像もできなかった。かといって、学生服を扱っている洋服屋の前を通りかかって、マネキンが着ている制服を見ても、別に何も感じなかった。
――俺は制服に何を感じたのだろう?
と思ったが、やはり、まわりの女の子に興味を持つことはなかった。
そんなある日のことだった。
学校が終わってから、いつものように一人で下校していた時のことだった。家までの途中には、砂浜の横を海と平行して走っている道路があって、そこを自転車で通るのが自分の通学路だった。車の量も下校時間はまだそれほど多くなく、歩く人もほとんどいない時間帯だった。道の隣を電車が通っているが、駅と駅のちょうど中間くらいなので、駅から降りて歩いてくる人もまばらだった。道の向こうには山が迫っているので、住宅地でもない。そんなところを自転車で通るのだから、いつも何も考えずに自転車を走らせていた。
ただ、いつも何も考えていないと思っていたのは、実は錯覚だったのだ。いつも考えていることが同じだったというだけで、しかも毎日代わり映えのしない光景の中で走っているので、何も考えていないと感じていただけだったのだ。
そんな自転車での下校時間は、毎日の生活の縮図のようであり、毎日を平凡にすごしているということを考えもしていなかったのだ。
その日も自転車で走りながら、前だけを見ていた。毎日同じ時間なのだから、ほとんど変化のない道だった。しかし、そんな毎日だからこそ、少しでも何かが違えば、その違いに敏感ではないだろうか。
しかし、敏感に何かの違いを感じることができるのかも知れないが、その違いがどこから来るのか、自分で分かるのだろうか? ただの思い過ごしのように感じてしまえば、ただそれだけのことである。