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怒りの交差

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 しかし、その日は急に頭が痛くなった。偏頭痛に近いものがあり、
――まるで頭が虫歯の痛みのように、ズキズキする――
 と思ったのだ。
 虫歯の痛みと表現したのは、
「虫歯って、放っておいて治るものではない。ただの頭痛とは違うので、ちゃんと病院にいかないと」
 と言われたことが頭に残っているので、この時の頭痛は、すぐには治らないということを自覚しているということを示していた。
 その場に座り込んでしまったような気がする。
 タバコを吸っているやつだけではなく、まわりを歩いている人誰も気にもかけてくれない。声を掛けてくれるわけでもなく、俯いてしまった自分の横を、足音だけが聞こえてくるのだ。
 こんな痛みの中でも、
――なんて薄情な――
 と感じた。
 もっとも、下手に声を掛けられるよりも、本当は放っておいてもらう方がいいのではあるが、それでも自分が人と関わりたくないという思いの裏づけになったようで、何とも皮肉な気分だった。
――ううう――
 痛みは次第に深まっていき、そのうち、脈打っている頭が、次第に膨れてくるように感じられた。開けることのできない瞼の裏には、真っ赤な色が広がっていて、そこには黒い細い線が無数に広がっていた。それはまるでクモの巣のように環状になっていて、それが毛細血管ではないかと思うようになるまで、少し時間がかかった。
 耳鳴りが聞こえる中、人が歩いている足音が次第に消えていった。頭の痛みもそのうちに麻酔がかかったかのように、感覚がマヒしていき、気を失いかけているのを感じていた。
「大丈夫ですか?」
 気がつけば目を開けることができるようになっていて、目を開けると、そこには青い空が広がっていた。
 決して眩しいという感じはなかった。背中は少し硬いところにのっかかっているようで、そこがベンチの上であることが次第に分かってきた。
「ああ、すみません。ベンチまで運んでくれたんですね?」
 と礼を言うと、
「いいえ、あなたが自分からベンチの方まで歩いてこられたんですよ。ただ、かなり足元はふらついていましたけどね。だからよくここにベンチがあるって分かったものだって感心したくらいです」
 と、助けてくれた人がそう言った。
「でも、ずっと見ていてくれたんですね。ありがとうございます。助かりました」
 というと、
「少しの間、気を失っておられたようでしたので、気になってですね」
「どれくらい気を失っていたんでしょうか?」
「五分くらいじゃないですか? あなたが苦しみだしたのを見たのは、まだだいぶ向こうからでしたからね」
 その人はどこかのOLさんのようだった。
「そうなんですね」
 というと、
「でも不思議なんですよ。遠くから見ていると、あなたが女性のように見えたんです。雰囲気もそうですし、体型も女性にしか見えなかったのに、近づいてみると男性でしょう? 自分でも不思議で仕方がなかったんです」
 それを聞いて、隆二はビックリした。
 今までに、女性のような雰囲気だなどと言われたこともないし、女性のような体型でもなかったはずだからだ。
 介抱してくれた彼女を見ると、
「どこかで会ったことがあるような気がするんですが……」
 と思わず声に出していた。
 彼女も一瞬戸惑ったが、
「そうですか? 気のせいかも知れませんよ」
 と言って、笑っていたが、
「気のせいですよ」
 と、完全な否定はしなかった。
 しかも、その時の笑顔は、決して悪意のあるものではなく、迷惑をしているという雰囲気でもなかった。むしろ、親しみを感じる笑顔で、まんざらでもないというイメージが漂っていた。
 ベンチから起き上がった隆二は、腰にまだ痛みがあるのを感じていたが、頭痛がしていたはずなのに、どうして腰に痛みを感じるのか分からなかった。しかも、この痛みは今までに感じたことのないもので、決してひっくり返ったり、こけたりしたものではなかった。
――いったいどうしたんだろう?
 一人で考えていると、
「まだ、顔色が悪いようですね。もう少しお休みになっていればいいかも知れませんね」
 と声を掛け、隣に座った。
「私も、まだ少し時間がありますので、ご一緒してもいいですよ」
 と言ってくれた。
「それはそれはありがとうございます。でも、本当にいいんですか?」
「ええ、今日はこれから予定もありませんし、一人でいるよりも誰かとお話している方がいいんです」
 と答えた。
 その横顔は少し寂しそうだったが、すぐに元に戻り、辛さを醸し出している雰囲気でもなかった。
 寂しいからと言って辛いとは限らない。人間、一人になりたい時もあるものだ。また、寂しい気持ちの時、今までの自分にまったくかかわりのなかった人と一緒にいることで、気分転換になることもある。かくいう隆二にもかつて同じようなことがあり、寂しさにかこつけて、友達でもない人と話をしたりしたこともあったくらいだ。
 だからと言って、その人とそれ以降友達になったわけでもない。相手もちょうど話し相手を欲していた時期だったようで、
「話ができてよかったよ。スッキリした」
 と言ってくれて、自分も寂しさが解消できたことを含め、嬉しい思いだった。
――彼女は、以前の自分のような気分になっているのかも知れない――
 以前の自分は、こんな風に気分の悪い人を見かけると、近寄っていって、声を掛けたりしたものだ。もちろん、自分に時間的にも精神的にも余裕のある時でないとできないことだが、そんな時、ある一定の優越感に浸っていた。
――自分が話しかけることで、相手も安心できるんだ――
 何ができるというわけでもない。その時々で状況も違っているはずなので、精神的に余裕のある時でなければ、話しかけたりはしない。話しかけて相手を怒らせる結果になってしまっては、こちらがバカみたいだ。
「放っておいて」
 と一蹴されると、一人取り残されてしまうことで、後悔と相手への恨みが残るだけだった。
 それこそ最悪であるが、精神的に余裕のある時であれば、意外とそんなことはない。自分の精神的な余裕がまわりの空気を和らげるのか、まわりの空気に洗脳される形で、自分の気持ちに余裕ができるのか、隆二は精神的に余裕がある時は自分でも分かるので、そんな時こそ、出会いが待っているという予感を感じるのだった。
 ただ、今までに女の子に声を掛ける機会はなかった。
――下心がみえみえなのかな?
 自分でも、下心がみえみえだと思う時もあれば、そうでもない時がある。そこは、精神的な余裕とは結びついていないようだ。
 今回は、女性の方から声を掛けてくれ、体調の悪いところを助けてくれた。ただ、彼女には隆二が女性の雰囲気に見えるようで、隆二としては複雑な心境だった。この日は普段なら湧き上がってきそうな下心が思ったよりもなく、ないからこそ、話しかけてもらえたのだろうと思うのだった。
 下心はないが、心の中に何か違和感があった。
――そうだ、目の前で咥えタバコをしているやつがいて、そいつを見ていると、頭痛に襲われて、気がついたら、ベンチで横になっていたんだ――
 ということを思い出した。
作品名:怒りの交差 作家名:森本晃次