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怒りの交差

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「でも、本当の愛煙家というのは、ちゃんとマナーを守れる人じゃないかって思うんだ。一部の不心得者のために、嫌な思いをすることになるんだよな。ただでさえ、今は空気がきれいになっているんだから、余計にタバコの匂いって目立つんだよ。それを分かっていないんだろうな」
 と隆二がいうと、
「それは愛煙家から言わせてもらっても同じことだよ。本当にあいつらのせいで、ちゃんとルールを守っている人間まで白い目で見られる。それは理不尽なことじゃないかな?」
 これが、愛煙家の本音なのだろうと、隆二は思った。
「それは俺も思っていたよ。ルールを守れないやつらに言ってやりたいものだ。『お前たちは嫌煙家だけではなく、愛煙家まで敵に回したんだぞ』ってね」
 というと、
「まさしくその通りだよな。一部の不心得者には、そんなことが分からないんだ。そんな連中は、仕事をしても、家庭を持っても、ロクなことはないよな」
 二人は、そんな会話をしながら、お互いのストレスを解消させることで、溜飲を下げていた。
 その頃から、隆二は自分の中に不思議な力が芽生えていることに気付いていた。それは力が芽生えたことを最初に感じたのではなく、自分の身体に変調を感じることで分かったことだった。
 しかも、身体に変調を感じたのも、その前に精神的な矛盾を感じたことから始まっていた。その矛盾というのは、
――俺の中に、もう一人の自分がいることに気がついた――
 というものだった。
 もう一人の自分と言ってしまうと御幣があるかも知れない。
――俺の中に、もう一人、誰かが潜んでいる――
 というべきだろう。
 それはまるで
――ジキルとハイド――
 のように、別人格の誰かが潜んでいるのだ。
 もし、これを他の人にいうと、
「それってただの二重人格なんじゃないか?」
 と言われるかも知れない。
 しかし、二重人格であれば、もう一人誰かが潜んでいるとは言わない。
――もう一つの人格が潜んでいる――
 というだろう。
 そして、二重人格であれば、本人にもそれがどんな性格なのか分かっていて、そっちの性格に陥ってしまうことが分かるようになるはずだ。
 しかし、隆二にはもう一人の自分がどんな性格なのかも、いつどんな時に、もう一人の自分が現れるのか、分かっていない。
 気がつけば、自分に戻っているのだが、どこか違和感だけが残っていて、その違和感が何を起こしたのかも分からない。ただ、おかしな気分が残っているだけだ。
 しかも、もう一つの性格が表に出たという意識があるのに、他の人が自分に対しておかしな態度を取ることはない。別の性格を示したのであれば、まわりの人も混乱してしまい、元に戻ったとしても、まわりはまだもう一人の性格ではないかと思い、そのように対応してくるはずである。
 まわりからは、一切そんなおかしな態度で接せられるようなことはない。こちらからおかしな様子を見せれば、早いタイミングで反応があるはずなのに、違和感があった時に限って、普段よりも余計に落ち着いた雰囲気をまわりが醸し出しているのだった。
――思い過ごしなんだろうか?
 とも思ったが、実は違和感というのは、悪い方の違和感ではなく、スッキリとした気持ちよさが残る違和感であった。
――ストレスが一気に解消されたかのようだ――
 普段から理不尽なことに腹を立てることが多くなってきているのに、スッキリとした気持ちよさを感じている時は、理不尽なことがこの世から消えてしまったかのような満足感、いや、達成感に近いものがあった。
――達成感?
 満足感だけにとどまらず達成感があるというのは、自分の目指すものが叶った時に感じることであり、しかもそれは自分の手柄である時に感じるものだった。
――俺の中にいる誰かというのは、いったいどんな力を持っているのだろう? 達成感を感じるのだから、自分だという意識があるのだろうか?
 だが、少しすると、自分の中の誰かの存在を感じなくなってくる。それはまるで目が覚めるにしたがって忘れていく、普通に見る夢のようではないか。また、沸々とよみがえってくるストレスと理不尽なことへの憤り、前にも増して、ひどくなってくるのを感じる。
――スッキリとした気持ちよさが終わったあとの反動なのだろうか?
 とも感じられた。
 しかし、それこそ、自分の中にいるその人間が、自分ではないという証拠ではないだろうか。もう一人の誰かが本人の意識以外のところで何をしているのか、分かればいいのだが、どうして分からないのだろう。分かってしまうと都合が悪いのか、その誰かの存在は、少なくとも隆二には知られてはいけないものなのかも知れない。
 それでも、
――いつかは、現れてくれるに違いない――
 と感じた。
 もう一人の自分という発想は、思ったよりもたくさんの人が感じているのだということを誰かから聞いたことがあった。しかし、ジキルとハイドのような発想を自分の中に抱く人は誰もおらず、この発想は二重人格であったり、自分の中にもう一人の自分がいるという発想よりも、さらに進んだ発想であるということを隆二は感じていた。
 それは長所と短所のようなものではないかと思った。
――長所は短所の裏返しであり、そのくせ、隣りあわせでもある――
 という。
 裏返しだったら、見ることができないはずで、理屈的には合っているように思うが、隣り合わせだとすれば、目の前にあっても、気付かないもののように感じると、それはまるで、
――路傍の石――
 のようではないか。
 路傍の石というのは、目の前にあっても、決して誰にも気にされることはない。
――あって当たり前――
 という発想からか、なくても別に気に掛けられるものではない。
 ただそれが本当に重要なものなのか、それは誰にも分からない。
――路傍の石のみぞ知る――
 とでもいうべきであろうか。
 隆二は、通勤時間帯があまり好きではない。駅に向かうまでの歩行者の群れであったり、満員電車の混雑具合、とにかく関わりたくない相手が人そのものだと思っているので、接近することも最近は嫌になってきた。
 その日、隆二はいつものように家を出て、駅に向かったが、どこかいつもと違った違和感があった。
 今までに感じた違和感とは違うもので、最初から、
――何かが起こる――
 ということが分かっていたかのようだった。
 いつものように、線路沿いの遊歩道を歩いていると、目の前からタバコを咥えて、あたかも、タバコを咥えて歩くのが当然と言わんばかりに歩いている姿には、傲慢さしか感じられなかった。
「キッ」
 思わず相手を睨みつけて、歯軋りをした。普段はそれだけで、満足はしなかったが、自分の中で、怒りを表に出したということでの中途半端な満足があった。
――どうせそこまでしかできないんだから、やらないよりはマシだ――
 と感じていた。
 だが、それは負け犬の遠吠えのようで、情けない気分も半分はあったのだ。
 それでも、
――自分は間違っていない。悪いのは相手だ――
 という自負があるので、自己満足にしかすぎないが、それでもよかった。やってもやらなくてもストレスに繋がるのなら、やらないよりもいいと思ったのだ。
作品名:怒りの交差 作家名:森本晃次