怒りの交差
嫉妬するにも、その根拠が見つからず、嫉妬することで自己嫌悪に陥ることが自分で分かっていたので、嫉妬もできなかった。それは、
――自分を抑えることができたから――
という理由ではなく、ただ、自己嫌悪に陥った自分を想像することができたというだけのことだった。
人によっては、
「あいつを好きにはなれないが、理性で自分を抑えることができるのは、さすがだな」
と彼に一目置いている人もいるが、大半は、
「いつも暗いやつで、何を考えているのか分からない」
と、全体的な暗さから、彼の奥を覗く気にもなれず、本心を垣間見ることのできない連中ばかりだたt。
新見はそれでいいと思っていた。
中途半端に分かってもらえるよりも、最初から分かってもらえない方が気が楽である。下手に信用されようものなら、
――彼らの信頼を裏切ってはいけない――
というプレッシャーに見舞われて、余計な気を遣わなければいけなくなる。
一度まわりに与えた印象がいい印象であれば、その印象を崩さないようにしなければいけないという思いが強く、さらに凝り固まった自分を作り上げようとして無理をしてしまうことになるだろう。
そんな思いは無理を繰り返すことになる。一度でも裏切れないという思いは、自分に対して本来持つべき優先順位をマヒさせ、それが無理に繋がり、無理は必ず綻びを呼んでしまう。
そうなると、最低限の自分としての態度に、本人の意思に反した裏切りが芽生えてしまうようになる。
――防ぐことはできないんだ――
一度裏切ってしまうと、それがどんなに小さなことであってもダメなのだ。
裏切りは、一つのウソでも成立する。そう思うと、
――裏切りになるウソをつきたくないために、ウソをつかなければいけなくなる――
そんな時に必ず出くわしてしまうのだ。
そして、つかなければいけないウソ、そのウソの相手というのは、自分なのだ。人を裏切りたくないためにつくウソが、自分を裏切ることになるという思いを、その時、ハッキリと自覚できるだろうか。自覚できなければ、トラウマとなって残ってしまい、人を裏切っていないのに、裏切ったのと同じ感覚を味あわされることになるのだ。
こんなに気持ち悪いことはない。
自分で納得できないのに、裏切ったような気になってしまい、いつの間にか自己嫌悪に陥っている。自己嫌悪に陥るのは、当然の理屈なのだが、自分では納得できていない。同じ自己嫌悪でも、理屈が分かっている自己嫌悪と、理屈が分かっていないものとではレベルが違うのだ。
そのうちに、うつ状態がやってくるようになる。
自分を納得させることができないのであれば、新見はそのまま自分の殻に閉じこもってしまう。それは克典にも言えることで、克典も同じ頃、新見と同じようにうつ状態に陥っていたのだ。
ただ、克典の場合は少し違っていた。
元々人間嫌いだった克典が、大学に入ると、まわりに友達ができたことで、自分に対しての違和感を感じたのだ。だから、友達と言っても、決して心を許すことはなく、一人で佇んでいる時を新鮮に感じたのだ。そのまま一人でいることを快感に感じるようになり、次第に感覚がマヒしていき、いつの間にか、うつ状態を抜けていた。
新見の場合は、自分を納得させられないのであれば、自分だと思っていた性格を否定することから入ったのだ。・だから、友達ができても、ナンパに精を出し、知り合った女性と正面から向き合ってみて、自分の気持ちを確かめようとしてみた。だが結果は、
――結局、皆自分がかわいいんだ――
という結論になり、
――一度、頭の中をまっさらにしないといけない――
と考えるようになった。
ともみがふいに口を開いた。
「私が、この店に来る時は、不思議といつも男性二人がいる時が多いんです」
それを聞いた新見が、
「今日みたいにですか?」
「ええ、そうなんです。しかも、他のお客さんは誰もいないんです。バーというところは、男性であれ、女性であれ、一人が多いと思っているのは私だけなのかしら?」
というともみに、今度は克典が返した。
「そんなことはないと思いますよ。女性二人組というイメージは、僕にはありますね」
「そうなんですか? 私には、女性二人組というイメージはなかなか湧いてこないんですよ」
「ともみさんは、女性同士で呑むことってないんですか?」
今度は新見が返した。
「そうですね。ないかも知れませんね」
それを聞いて、二人は黙ってしまった。
女性同士で呑む雰囲気を想像することは、新見にも克典にも、難しいことではなかった。しかし、ともみと誰か他の女性が飲んでいるというイメージが湧いてこない。もし、女性二人が呑んでいる状況を思い浮かべたとして、二人とも、ともみとは似ても似つかぬ女性に思えてならないのだ。
その想像は、克典も新見も同じであった、しかし、どちらの方がその思いが強いかといえば、新見の方だった。二人とも納得できないことは想像もできない性格であったが、その思いがより強いのは、新見の方だということであろう。
二人がそんなことを考えていると、
「ほら、やっぱり」
ともみは、ふいに声を上げ、自分だけで何かを納得したようだった。
その言葉に最初に反応したのは、やはり新見だった。
「どうしたんですか? 何かを思いついたんですか?」
それを聞いたともみは、新見と克典を交互に見つめ、思わず噴出してしまった。
それを聞いて、少し不満を感じた二人は、それぞれにともみを睨んだ。
そのことに気付いたともみは、
「あ、ごめんなさい。別にお二人を笑ったわけではないんです。自分におかしかったんですよ」
「どういうことですか?」
克典が聞いた。
「いえ、自分でも無意識だったんですが、お二人を交互に見てしまったことがおかしかったんです」
「ますます分かりません」
と、新見が言った。
「お二人は、まだ気付いていないんですか? それともお二人が誰かと会話をする時って、いつもこんな感じなのかしら?」
また、少しおかしかったのか、ともみは、笑いを堪えているかのように口に手を持っていった。
今度は男性二人、何も言わずに、自分たちだけで見つめあった。何となく分かっているかのように思えるが、その現象をどう捉えていいのかを二人は考えているようだった。
二人が沈黙に入ると、しばらくその沈黙を楽しんでいるかのように佇んでいたともみは、自分から口を開いた。
「実はね。女性側の私が話をしている時、お二人は交互に私の話しに答えているんですよ。お気づきになっていました?」
とともみが言うと、二人はもう一度目を合わせて、お互いに納得したかのように頭を下げた。どうやら、二人にはそれぞれの感覚で分かっていたようだ。
「僕たちの間では、今までそんな感覚に陥ったことはなかったですね。そもそも、僕たち二人に対して、女性が一人というのは、あまりなかったことですからね」
新見が答えた。