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怒りの交差

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「なるほど、新見さんらしい発想ですね。無意識の方が力強いというのは、僕もまんざら反対ではないと思うんですが、正直という発想に関しては、やはり意識していないと難しいところがあると思っています」
 という克典の話を聞いて、新見は黙ってしまった。
 本当は何か言いたいことがあるようだが、
――これ以上話をしても、堂々巡りを繰り返すだけだ――
 と考えたので、少し冷却時間を設けようと思ったようだ。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか?
 克典には結構な時間がかかったような気がしたが、新見とマスターの二人は、ほとんど時間が経っていないような気がしていた。
「正直の反対がウソだとすると、ウソのウソは本当ということになるんでしょうが、それって信じられるんでしょうか?」
 いきなり、そう言って話を切り出したのは、マスターだった。
――面白い切り口だな――
 と克典は思ったが、どうやらこの店でのマスターと新見の立ち位置が分かったような木がした。
――マスターの奇抜な発想から話が始まって、それに回答する形で新見が発言することで会話が成立していくんだな――
 と感じた。
 普段はおとなしそうなマスターだが、話始めると、どこまでも饒舌に感じられた。それは無口な研究員が、自分の意見を述べるのに、時間やまわりの雰囲気などといった感覚がマヒして話し始めるのに似ている気がした。
 もっとも自分もその研究員の一人である。今までに何度、まくし立てるように話をして、気がつけば、あっという間だったという気がしていたことだろう。ただ、その相手はいつも研究員であり、話が盛り上がる時もあれば、最後は結局同じところに着地して、話が縮小されてしまったこともあった。
「反対の反対で、元に戻るという発想は、数学的な発想であり、マイナスにマイナスを掛けるとプラスになるという発想に近いんじゃないでしょうか? でも実際には数学みたいに答えは一つだというわけではなく、無数に答えは存在している、だから反対の反対が元に戻るというわけではないと思います」
 と新見が話すと、
「そうですね。その答えというのは、きっと可能性のことではないかと思います。考えられることだけでもかなりあるのに、考えられない可能性も無数に存在すると考えると、ねずみ算的に増えていく気がして仕方ないですね」
 と克典が補足する形で答えた。
「なるほど、その可能性という考え方は私も分かる気がします。可能性が無限大であるという言葉をよく聞きますからね」
 とマスターが言った。
「いえいえ、無限大などというのは、そんなに簡単なものではないと私は思います。無限大というのは確かに存在するとは思いますが、そのあたりにたくさん転がっているようなそんな代物ではないと思うんですよ」
 という新見の考えに、マスターも克典も揃って感心したのか、ほぼ同時に頭を下げた。
「無限大という言葉をよく耳にしたりしますが、私は無限大を肯定するのであれば、四次元の世界も肯定しているのと同じではないかと思うんです。四次元の世界というのは、よく『メビウスの輪』を喩えに用いられますよね? あれは矛盾を示した図であり、四次元の世界の原点は矛盾にあると考えてもいいと思うんです」
 新見がこの話を始めると、場は完全に凍り付いてしまったように見えるのではないかと思うほどの別世界を感じた克典だった。
「メビウスの輪というのは、僕の考えでは、堂々巡りを繰り返すはずのものが矛盾を起こしたという発想でいるんですが、どうなんでしょうね?」
 と克典がいうと、
「確かにそうだよね。堂々巡りをするというのあは、普通に矛盾のない輪のことを示していると思うんだが、それこそ、無限を表しているんじゃないかな?」
 これはマスターの意見だった。
「なるほど、堂々巡りの発想と無限という発想は、一見違っているようだけど同じものに感じる。だけど、一見同じものに感じるけど、実際には違っているんだという発想もできるんじゃないか? だからそこに矛盾の発想が生まれて、メビウスの輪のようなものが創造されるんだ」
 これは新見の意見だった。
「タイムパラドックスという言葉があるけど、ここでいうパラドックスというのは、直訳すると逆説ということになるよね。この逆説というものこそ、矛盾であり、矛盾というのは、どちらから見ても辻褄が合っていなければいけないものが、片方から見ると違っているというようなものなのかも知れない」
 この克典の意見に、即座に反応したのがマスターだった。
「なるほど、ここで最初の話に戻ってくるんだ。ウソのウソは正直ではないという発想ですね。単純に矛盾と考えても、今みたいにいろいろな発想からグルッと一周してきても、結果は同じところに戻ってくる。まったく違う話に脱線していたはずなのに、本当に面白いですね」
 やはり最初に問題提起しただけのことはある。話の展開に熱中していた二人は、そのことに気付いていなかった。
「正直者には、きっとウソのウソが正直だという思いしかないのかも知れませんね。そういう意味では僕は正直者ではないです。結構考えがひねくれていますからね」
 と苦笑いをしながら克典は語った。
 すると新見も苦笑いをしているのが見えたが、
――なるほど、さっきの真面目だという言葉の裏には、正直者だという発想とは違ったものがあったに違いない――
 と感じた。
 確かに真面目な人が正直者だとは限らない。
「この人は真面目だ」
 と言われると、苦笑いをしてしまう人がいるが、それは相手の皮肉が分かっているからだ。
 真面目というのは、正直者という意味ではなく、融通が利かないという意味であり、あまり褒められた言葉ではない。そのことを普段なら察するはずなのに、この日は最初から分かっているわけではなかった。
――どうして、マスターは、ウソのウソの話をしたんだろう?
 まるでさっきの話がただのマスターの思い付きから来たものではないということを察したかのようだった。
――マスターは、新見の性格はよく分かっているようなので、俺の性格を図るのに、新見が発想することが俺を指し示しているような内容になるように誘導したのだろうか?
 いくら客商売のマスターとはいえ、そんな心理学の研究員の上前を跳ねるようなマネができるというのは信じがたいことだった。だが、話をしているうちに、確かに誘導されているかも知れないと思いながらも引き込まれていきそうになる自分を感じ、何とか思いとどまったのを思い出した。
 しかも、話が真面目な性格から入ったのではなく、どこかニアミスっぽいところのある正直者という発想から入ったというのも、どこか策士のような雰囲気を感じさせた。
 克典が考え込んでいるうちに、いつの間にか会話が滞っていた。最初に感じた、
――凍りついたような空気――
 とは少し違った世界で、まったく動いていないように見えるのは、
――凍りついたわけではなく、時間があまりにもゆっくり過ぎているので、凍り付いているように見えるだけだ――
 という思いに駆られていた。
作品名:怒りの交差 作家名:森本晃次