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怒りの交差

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 そんな克典の気持ちを知ってか知らずか、新見は落ち着いたもので、克典に少しおかしな雰囲気があると思ったのか、落ち着くまで話しかけてくることはなかった。そう思うと、最初にマスターに挨拶をした自分と、息苦しさで誰にも話しかけられず、まわりからも話しかけられない異様な雰囲気の自分と、二人が存在したかのように感じられた。
――どっちが本当なんだろう?
 きっと表に出ていたのは、話しかけていた自分であり、息苦しさを感じていた自分は、その中でぼんやりと表に出ている自分を眺めていたように思えた。
――早く元に戻りたい――
 と思うと、マスターがこちらを見た。
 すると、息苦しさと石の匂いは一気になくなり、まるで何かの呪縛から開放されたような気分になった。その時、
「もう少しすると、ともみちゃんも来ると思うので、それまでゆっくりしていってくださいね」
 という言葉を聞いた。
――ともみちゃんというのは、どんな人なんだろう?
 という想像に駆られたが、最初に感じたのは、まるで男のように毅然とした態度を取るやり手の女性という雰囲気が頭をよぎった。
 本当は、清楚で大人しめの女性が好きな克典なので、本当はそういう女性を想像したかった。自分が想像した、
――男性のような毅然とした態度を取る女性――
 というのは、一番苦手だったのだ。
 それはきっと衝突の予感があったからだ。
 克典は、自分が性格的に、
――人と同じでは嫌だ――
 と思っている方なので、気性が荒かったり、自己主張の強い人とは衝突するところが結構あった。
 研究をしている時は気をつけているので、なるべく衝突することはない。
――相手の研究を尊重する気分になれば、それで大丈夫だ――
 と思っているからで、実際に研究の中で衝突することはなかった。
 誰もが、自分の研究を唯一のものだと感じているからで、相手の領域を侵してはいけないという暗黙の了解があるのだ。同じ道を目指しながら、自分の道をしっかり確保していくのが研究なので、皆周知のことだった。
 しかし、同じ道を歩んでいるわけではない人は、その人の道がどこにあるのか、分からないものだ。だから相手にいくら気を遣ったとしても、自己主張がある以上、衝突は避けられないものに思えている。それでも、相手がそれほど自己主張の強くない人であれば、それほど衝突は起きないが、相手が自己主張の強い人であれば、克典としても自分を抑える自信はない。
――しょうがないことなんだろうな――
 あきらめではないが、承服できないところもある。
 それからどれくらいの時間が経ったのであろうか? マスターも仕事が一段落していて、少し話す余裕もあるようだ。
「研究の方はいかがですか?」
 マスターは新見の研究をどれほど知っているというのか分からないが、声のトーンから察すれば、社交辞令のように感じられた。
「ああ、まあまあかな? 研究と言っても心理学なので、形になって見えるものは研究結果の論文でしかないので、それについての成果は、なかなか表に見えるものではないんですよ」
「なるほど、そうなんでしょうね。伊藤さんも新見さんと同じような研究をなさっているんですか?」
 と聞かれたので、
「ええ、まあ」
 とお茶を濁したが、それを見ていた新見が、
「ええ、そうですよ。彼は真面目すぎるところがあるので、どうも私とは違った目で研究をしているようなんです。それが新鮮で頼もしくもありますよ」
 とマスターに話したが、それが褒め言葉なのか分からず、複雑な心境になった克典だった。
「真面目な人というのは、モノを見る時、何でも真正面から見てしまうものなのでしょうか?」
 マスターは真面目という言葉に反応し、新見に聞いてみた。
「そうですね。それは一概には言えないかも知れませんね。真実と事実が違うように、真面目な人が何でも真正面から見るとは言えないんじゃないでしょうか?」
 新見は少し相手を考えさせるような、何かを示唆している言い方をした。
「真実と事実ですか。確かに真実が事実だとは限らないし、事実が真実だとも限りませんよね。言葉は似ていますが、ニュアンスが違っているような気がします」
 マスターも返した。
「真実の方が含みを感じさせ、事実は曲げることのできないものだっていう認識を僕は持っていますよ」
 真実と事実という見解には、克典も少し興味を持っていた。
 心理学を研究する上で、研究員とこのような話になることはまれではあるがないわけではない。しかし、研究員以外の一般の人と、このような話になることはまずないと思っていた。
 克典は、研究員と一般の人との間に明確な線引きをしていて、同じ話をするのでも、相手によって表情を変えていた。それは意識してのことで、相手も十分に分かっていると思っていた。
 だが、逆に無意識の方が相手には悟られるようで、それだけ自分がウソをつけない性格であることを分かっていたが、本当は研究員としてはいい傾向ではないと思いながら、人間としては悪い気がしない。だからこそ、余計に相手によって表情を変えることを意識するようになっていた。
――自分にとって正直とは何なんだろう?
 と時々考えることがあった。
 人からどちらかというと正直者だと見られていることをいいことに、猫をかぶっているところがあるのは自分でも分かっている。猫をかぶることで、相手に安心させようと思っているのだが、時々、
――相手に看過されているのかも知れない――
 と感じた。
 正直なことがいいことなのか悪いことなのか、まだ結論は出ていないが、
――正直であることに越したことはない――
 という思いが原点にあり、
――正直でありたい――
 という気持ちが意識になっていることを感じていた。
「ところで、正直という言葉の定義として、まず、誰に対して正直なのかというのが最初に考えることではないかと思うんですよ」
 と、まずはマスターが自分の考えを述べた。
「自分に対して正直なのは、前提だと思いますが、そうなると、まわりの人に対して本当に正直にいられるかというのが問題になってきますね」
 と、新見が答えた。
「確かにその通りですね。自分に正直になるということは、えてして、自己中心的な考えに陥りがちになってしまう。だから人によっては、自分を押し殺してでも、まわりに正直になりたいと思う人がいるようですね」
 とマスターが言うと、
「それはきっと、ほとんどの人がそうではないかと思いますよ。自分で気付いていない人が多いだけではないでしょうか?」
 この新見の意見に、
「僕はそうは思いません。確かに気付いていないだけの人はたくさんいると思いますが、自分を押し殺してまで、他人に正直になることを自分で意識していないでできるはずはないと思うんですよ」
 と克典がいうと、
「そうかな? それは意識するということが、無意識の状態よりも、強い力が働くという発想から来ているものではないのかな? 僕はそうは思わない。無意識の方が自然に力を発揮することができて、下手に意識してしまうと、せっかくの力を半減させるのではないかと思っているんですよ」
 という反論を聞いて、
作品名:怒りの交差 作家名:森本晃次