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怒りの交差

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「そうなんだ。俺はクリスチャンではないが、旧約聖書の話は嫌いではない。『バベルの塔』の話の時、塔を建設した王が、天に向かって矢を射った時、神様が人間の傲慢さに怒って、言葉が通じなくし、そのために、世界各国に人類が散らばったという話になっているだろう?」
「君はそれを信じているのかい?」
「信じているというよりも、プロパガンダとしては、よくできた話ではないかと思うんだ。少なくとも信教している人にとっては、実に納得できる話ではないかな?」
 新見の話も分からなくはないが、実際に話としては説得力のあるものだと、克典も考えていた。
「聖書に出てくる話は、すべてが本当だなんて信者であっても、思っている人はいないと思うが、信者でなくても、『すべてが架空の話だと思っている人って本当にいるのかな?』って俺は思うんだよ」
「俺もそうなんだ。いろいろな伝説やいい伝えがあるけど、『火のないところに煙は立たない』っていうだろう? それを考えると、すべてがウソだというのもおかしな気がするんだ」
 と新見がいうと、
「『木を隠すには森の中』という言葉もあるけど、まさしくその通りなのかも知れない。そういう意味では、何が本当で何がウソなのか、見極める必要がある。信者のように真剣に考える人には、見極める力を備えていないといけないんじゃないかな? そういう意味で、敢えて聖書の話は『真理を隠している』のかも知れないね」
 克典の話もよく分かる。
 新見は克典に、
「どうして男女の違いに固執するのか?」
 と聞いたはずなのに、いつの間にか話が脱線していることに気がついた。
「何となく、話が逸れていませんか?」
 と新見がいうと、
「そんなことはないですよ。俺は話の動向は至極自然な気がしているよ。確かにまっすぐ進んでいるわけではないけど、まっすぐだけが正解ではない。そもそも、キリスト教の話を持ち出したのは、君ではないか」
 と言われて、
――うっ、確かにその通りだ――
 と感じたが、言葉にはならなかった。
――どうして自分から話を逸らしてしまったんだろう?
 途中で誘導尋問があったわけではない。聞きたい話に対して、言いたいことを先に言ってしまわなければ気がすまない性格の新見だったので、それが影響したのかも知れない。そのことを、克典は看過していた。
「新見さんは、正直だと思いますよ。思ったことを口にしないと気がすまない。しかも感じたことを忘れる前に言ってしまわなければいけないと思っている。話が難しくなればなるほど、その傾向は強い。心理学を志していると、自分の性格を見失いこともあるのかも知れませんね」
 と言われて、
――つくづくその通りだ――
 と、ぐうの音も出ないのを、新見は感じていた。
 確かに心理学をやっていると、自分の考えが相手よりも先に行っているという錯覚を感じることがある。そのため、相手を待たなければいけないと思い、相手に合わせるには、自分が考えたことの三歩前くらいを思い出さなければいけない。
 難しいことを考えているのだ。三歩前というと、他の人の他愛もない会話の十歩以上前を思い出すようなものだ。それだけ一つの言葉を結論付けるためには、いくつものプロセスを踏む必要がある。それが心理学と言う学問だと思っていた。
「伊藤さんは、結構いろいろなことを考えているんですね。やはり教授の見込んだだけのことはある」
 敬意を表して、素直に言葉に出した。
「ありがとうと言っておくよ」
 克典のこの言葉は聞きようによっては、皮肉にも聞こえるが、決してそれは皮肉ではない素直な気持ちから出た言葉であるということを、新見は分かっているつもりだった。
 少しだけ間があっただろうか。次に言葉を発したのは、克典だった。
「俺は大学生の頃、一人の同級生と仲良くなったんだけど、彼には悩みがあったんだ」
 おもむろに話し始めた克典に、新見はただ聞いていた。
「彼は、自分が何者なのか分からないって言っていたんだけど、どうやら、自分が本当は女に生まれてきたはずではないかって思っていたらしいんだ。高校時代までは、そんなことを言ってもバカにされるだけだと思っていたのか、誰にもいえなかったらしい。でも、俺と仲良くなってなぜか話す気になったらしいんだけど、その理由を聞いても、最初は教えてくれなかったんだ」
 新見はただ、頷いていた。
 克典は続ける。
「その人は、時々女性の気持ちよりも、男性の気持ちの方がよく分かるっていうんだ。それも、恋している男性の気持ちがね」
 というと、新見が口を開いた。
「その人には、恋愛経験はあったんですか?」
「恋愛経験はないと言っていたんだけど、初恋のようなものはあったらしいんだ。しかも、その初恋の人は、亡くなったというんだよ」
 その話を聞いて、
「少し重たい話になってきたね」
 と、新見は答えた。
「俺の初恋は、いつの間にか誰かを好きになっていて、その人に女を感じたことから、異性への気持ちを感じたんだ。他の人とは逆なのかも知れないけどね」
 という克典に対して新見は、
「俺は少し違うかな? 異性に興味を最初に感じたのは、友達が女の子と腕を組んで楽しそうにしているのを見たからなんだ。その時の友達の顔が羨ましく感じられて、きっと嫉妬から自分の中の異性への興味に気がついたのかも知れないね」
「なるほど、そういうのもあるだろうね。人を介して、自分の気持ちに気付き、大人になっていく自分を感じる」
 という克典に対して、
「そうなんだ。だから、女性に興味を持つという感情を、今まで悪いことだなんて思ったことはない。時々、『女性にうつつを抜かす暇なんかない』と言われたことがあったけど、それは受験前にまわりから言われたことであって、俺自身は、そんなことを言われるいわれもないので、別に気にはしていなかったけど、あとから思うと、無性に腹が立ってくるというのもおかしなものだって思っているんだ」
 新見のセリフには説得力が感じられたのか、
「そうそう、まさしくその通りだね。どうして大人って、当たり前のことしか言えないんだろうね」
「そうだよ、自分たちだって通ってきた道のはずなのに、その時もきっと大人に諭されて、自分の進む道を矯正されたのかも知れない。そして、その時に感じたんだよ。『大人になるって、当たり前のことを当たり前にすることだ』ってね」
 と新見がいうと、
「大人になりたくないという子供が多いのは、そういうところから来ているのかも知れないな」
 と克典は答えた。
 さらに克典が続ける。
「俺にとって、男女の違いも、その感覚に似ているんだ」
「どういうことなんだい?」
「男女って、大人と子供のような感覚で置き換えてみると、男が子供で、女が大人に思えてくるんだ。子供や男は理想主義が多くて、大人や女は現実主義が多いって思うと、この理屈も納得できるところがあるんだよ」
「男女を大人と子供に区別して考えるというのも面白いね。でも、男女は分かるけど、大人と子供の違いって、結構漠然としていると思うんだ。どこからが大人で、どこまでが子供なのかなんて、その線引きは難しいよね」
作品名:怒りの交差 作家名:森本晃次